今月2回目の西国三十三所ご開帳の旅は、名古屋から特急で3時間。紀伊勝浦の那智山へ。15年ぶりくらいの再訪である。
■西国第一番 那智山青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)
連休初日、善男善女でぎゅうぎゅう詰めのバスで山道を上っていくと、やがて右前方に雄大な滝が姿を表わす。ああ、これこそ那智山のご神体、と感動して、終点手前の「滝前」というバス停で思わず下車。飛瀧神社(ひろうじんじゃ)で、那智の大滝を正面に拝む。山上の激しい水流は、陽射しを浴びて、よく練った水飴のようにキラキラと輝いている。滝壺を離れ、青岸渡寺に向かっても、どこまでも滝の音が耳に響いているのが心地よかった。
青岸渡寺本堂は、思ったほどの混雑でなく、すぐにご朱印がもらえたのはありがたかった。しかしながら、肝腎の秘仏ご本尊は、本堂の奥深く、お厨子の扉が開いてはいるものの、見えるのはお顔の下半分と胸のあたりのみ。右手の肘を曲げ、頬杖をつくような、如意輪観音の典型的なポーズを取っていることと、胸板の逞しい、男性的なお像(如意輪観音にしては)らしいことだけは分かったが、岐阜の華厳寺に続き、ちょっと物足りないご開帳である。
続いて、隣りの熊野那智大社に参拝。いいなあ、この神仏が仲良く同居する雰囲気。だから終点バス停は「神社お寺前」というんですね。三本足の八咫烏(やたがらす)グッズがたくさん出ていて、かわいい。帰路は、苔むした石段の続く大門坂を徒歩で下る。壺装束に市女笠(→図解)で石段を上がってくる女性に行き合ってびっくりしたが、坂下の茶屋でレンタルしているのだそうだ。
■補陀洛山寺(和歌山県那智勝浦町)
那智駅で帰りのバスを降り、駅前の補陀洛山寺に寄る。ご本尊の千手観音は秘仏のため、拝することができないが、補陀落渡海と呼ばれた捨身行の出発点だったという往時をしのびたかったのだ。私は、一昨年、補陀洛世界(Potalaka)に擬せられる、中国・舟山諸島の普陀山に行ってきたことでもあるし…。お堂の中では、目つきのスルドイ坊主頭のおじさんに連れられた7、8人の女の子たちがお座敷に座って、大きなろうそくに「家内安全」「学業成就」などの願い事を書いていた。腰の曲がったおばあちゃんもひとり。親戚一同でお参りに来たところだろうか。
ご朱印もいただき、狭い堂内も見せていただいて、そろそろ立ち去ろうと思っていたとき、ご朱印を書いてくださったおじさんが、坊主頭のおじさんに「じゃあ、開けさせていただきましょう」とおっしゃる。女の子たちは、お厨子の正面に集められて正座する。ジャラジャラと重たい鍵束を持ってきたおじさんは、お厨子の前に飾られていたご本尊の写真パネルを取り除け、まず昔風の錠前で木製の扉を開く。次に内部の金属製の扉が開かれると、秘仏のご本尊が姿を現した。
引き締まったチョコレート色の肌、彫りの深いふくよかな丸顔、ゴーギャンの描く南方系の美女を思わせる観音様だった(→写真あり)。女の子たちは「前へどうぞ、どうぞ」と招かれてお厨子の前に進んだが、私はさすがに遠慮して遠目に拝するだけに留めた。数分後、「よろしいですか、もう閉めますよ」との声とともに、お厨子の扉は再び閉じられてしまった。
補陀洛山寺の方にお礼を言いながら、「大勢さんでいらっしゃるとお厨子を開けることもあるんですか?」と聞いてみたが「いやいや」とあまり詳しいことは教えてくれなかった。いずれにせよ、舞い降りた幸運に茫然。気もそぞろになって、那智駅前でバスを乗り間違え、もう少しで那智山に連れ戻されかけたことを付記しておこう。
和歌山まわりで紀伊半島を一周し、宿の取れなかった京都を通り過ぎて、大津泊。
■西国第一番 那智山青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)
連休初日、善男善女でぎゅうぎゅう詰めのバスで山道を上っていくと、やがて右前方に雄大な滝が姿を表わす。ああ、これこそ那智山のご神体、と感動して、終点手前の「滝前」というバス停で思わず下車。飛瀧神社(ひろうじんじゃ)で、那智の大滝を正面に拝む。山上の激しい水流は、陽射しを浴びて、よく練った水飴のようにキラキラと輝いている。滝壺を離れ、青岸渡寺に向かっても、どこまでも滝の音が耳に響いているのが心地よかった。
青岸渡寺本堂は、思ったほどの混雑でなく、すぐにご朱印がもらえたのはありがたかった。しかしながら、肝腎の秘仏ご本尊は、本堂の奥深く、お厨子の扉が開いてはいるものの、見えるのはお顔の下半分と胸のあたりのみ。右手の肘を曲げ、頬杖をつくような、如意輪観音の典型的なポーズを取っていることと、胸板の逞しい、男性的なお像(如意輪観音にしては)らしいことだけは分かったが、岐阜の華厳寺に続き、ちょっと物足りないご開帳である。
続いて、隣りの熊野那智大社に参拝。いいなあ、この神仏が仲良く同居する雰囲気。だから終点バス停は「神社お寺前」というんですね。三本足の八咫烏(やたがらす)グッズがたくさん出ていて、かわいい。帰路は、苔むした石段の続く大門坂を徒歩で下る。壺装束に市女笠(→図解)で石段を上がってくる女性に行き合ってびっくりしたが、坂下の茶屋でレンタルしているのだそうだ。
■補陀洛山寺(和歌山県那智勝浦町)
那智駅で帰りのバスを降り、駅前の補陀洛山寺に寄る。ご本尊の千手観音は秘仏のため、拝することができないが、補陀落渡海と呼ばれた捨身行の出発点だったという往時をしのびたかったのだ。私は、一昨年、補陀洛世界(Potalaka)に擬せられる、中国・舟山諸島の普陀山に行ってきたことでもあるし…。お堂の中では、目つきのスルドイ坊主頭のおじさんに連れられた7、8人の女の子たちがお座敷に座って、大きなろうそくに「家内安全」「学業成就」などの願い事を書いていた。腰の曲がったおばあちゃんもひとり。親戚一同でお参りに来たところだろうか。
ご朱印もいただき、狭い堂内も見せていただいて、そろそろ立ち去ろうと思っていたとき、ご朱印を書いてくださったおじさんが、坊主頭のおじさんに「じゃあ、開けさせていただきましょう」とおっしゃる。女の子たちは、お厨子の正面に集められて正座する。ジャラジャラと重たい鍵束を持ってきたおじさんは、お厨子の前に飾られていたご本尊の写真パネルを取り除け、まず昔風の錠前で木製の扉を開く。次に内部の金属製の扉が開かれると、秘仏のご本尊が姿を現した。
引き締まったチョコレート色の肌、彫りの深いふくよかな丸顔、ゴーギャンの描く南方系の美女を思わせる観音様だった(→写真あり)。女の子たちは「前へどうぞ、どうぞ」と招かれてお厨子の前に進んだが、私はさすがに遠慮して遠目に拝するだけに留めた。数分後、「よろしいですか、もう閉めますよ」との声とともに、お厨子の扉は再び閉じられてしまった。
補陀洛山寺の方にお礼を言いながら、「大勢さんでいらっしゃるとお厨子を開けることもあるんですか?」と聞いてみたが「いやいや」とあまり詳しいことは教えてくれなかった。いずれにせよ、舞い降りた幸運に茫然。気もそぞろになって、那智駅前でバスを乗り間違え、もう少しで那智山に連れ戻されかけたことを付記しておこう。
和歌山まわりで紀伊半島を一周し、宿の取れなかった京都を通り過ぎて、大津泊。