見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

マスメディアの敗北/2011年 新聞・テレビ消滅(佐々木俊尚)

2009-07-27 00:05:23 | 読んだもの(書籍)
○佐々木俊尚『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書) 文藝春秋 2009.7

 2009年春、アメリカを代表する高級紙であるニューヨーク・タイムズが破綻の一歩手前に追い込まれている、というニュースが流れた(→ダイヤモンド・オンライン 2009/03/12記事)。要するに新聞が売れなくなり、広告収入が激減してしまったのである。「アメリカのメディア業界で起きたことはつねに三年後に日本でも起きる」。それゆえ、日本の「新聞消滅元年」は2011年になるだろう、と著者は予測する。

 こう聞いても、もはや特に衝撃的ではない。むしろ、2011年まで持つのかしら?と首を傾げたくなる。テレビもまた、アメリカの後を追うように、CM市場が縮小に転じ、急激な凋落が始まっている。2011年の完全地デジ化と情報通信法の施行は、この流れを決定的にするだろう、と著者はいう。

 新聞・テレビに共通する構造変化は「メディアのプラットフォーム化」である。新聞であれば「コンテンツ=新聞記事/コンテナ=新聞紙面/コンベヤ=販売店」、テレビであれば「コンテンツ=番組/コンテナ=テレビ/コンベヤ=電波(地上波)」というのが従来モデルだった。そして、どちらも新聞社やテレビ局が「垂直統合」的にメディアの三層を支配し、第一面を飾るトップニュースは何か、ゴールデンタイムに見るべき番組は何か、ということを決定してきた。しかし、コンベヤ=インターネットの台頭により、新聞記事のコンテナがYahoo!ニュースやGoogleに、テレビ番組のコンテナがYouTubeやニコニコ動画(違法だけど)に変わってくると、新聞社やテレビ局は、読者や視聴者に対して、従来のような決定権を行使できなくなってきた。

 細かい情報としては、日本の新聞社の中では日経新聞がいちばん時代に敏感な対応を取っているとか、アメリカのテレビはとっくに垂直統合を崩し、コンテンツ制作は他社(具体的にはハリウッド)が請け負っている(中国もそうだな。韓国は?)など、興味深く読んだ。凸版印刷が提供する「ちらしポータルサービス“Shufoo!(しゅふー)”」の存在も初めて知った。すごいな、この発想。あと、アメリカには、NBCやディズニーが参加し、千以上のテレビ番組や四百本以上の映画が無料で視聴できる「Hulu(フールー)」という動画サイトもあるという(残念ながら米国内アクセスのみ)。

 とにかく、マスメディアの時代は終わり、古いメディアは姿を消していく。そして、次世代のメディアは、まだ姿を明らかにしていない。いま行われている挑戦の大半は、おそらく失敗するだろう、と著者は冷徹に言い放つ。しかし、死屍累々の中から、きっと新しいメディアが育ってくるはずである。

 これはネタバレに類するが、「あとがき」を読んで、私は、著者が新聞社において12年間にわたって事件記者をつとめた人物であることを初めて知った。90年代の新聞社は、嫉妬と憎しみと競争心が渦巻き「殺伐として本当にひどい場所だったけれども」「自分のいま立っているこの場所は、世界の中心だと信じることができた」――そんな時代を肌身で知る著者であればこそ、本書において、マスメディア産業の頑迷固陋ぶりを厳しく糾弾し、誇りと悲しみを抱えながら、その敗北を宣告することができるのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする