見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ゴーギャン展と騎龍観音(東京国立近代美術館)

2009-07-28 00:09:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立近代美術館『ゴーギャン展』(2009年7月3日~9月23日)

 今より西洋絵画への関心が高かった頃、ゴーギャンは私の好きな画家だった。画面に色の塊をぶつけるような、鮮やかな色彩、明確なフォルムが、私の好みだったのと、南洋への憧れに共感するところが大きかったのである。

 本展には、『ノアノア』連作版画約20点を含め、50点余りが展示されている。前半(タヒチ移住前)から、『洗濯する女たち、アルル』や『海辺に立つブルターニュの少女たち』など、画集で見たことのある作品が並ぶ。私は『水浴の女たち』(松方コレクション)の画面に特徴的な、ゴーギャンの緑がかったブルーが好きだ。ブルターニュ時代から投入されるオレンジがかった赤茶色(やがてタヒチの女性たちの肉体を彩る)の引き立て役のようなブルーである。

 タヒチで描かれた『かぐわしき大地』は、画集で何度も見ていたはずなのに、これが楽園のイブを意味した作品だということは、全く忘れていた。赤い翼を広げて飛びかかるトカゲは蛇なのか。それにしても、描かれた女性は、妙にリアルに不機嫌な表情をしている。同じポーズで立たされ続けたモデルの不機嫌をそのまま描いたのか、それとも、未来永劫、人類の堕落の責任を取らされる、神話のイブの不機嫌なのか…。 

 そして、日本初公開の『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897-98年)であるが、あ、意外と小さいんだ、というのが第一印象だった。ビデオやパネルで丁寧な解説がされているので、部分部分をゆっくり見ていくと面白い。鳥や小動物がずいぶんいるのだな。登場人物が全て女性であることに、私は初めて気づいた。修道女のようにすっぽり長衣にくるまった女性から、全く裸体の女性まで、さまざまである。メランコリックなブルーに浸食された褐色の肉体は、熟れたマンゴーのような黄金色に輝いている。少し「引き」で見たほうが、画面の奥行きが分かりやすい。

 ゴーギャンは1901年にタヒチからマルキーズ諸島に移住し、そこで生涯を終えた。最後の展示室に集められた最晩年の作品はどれも好きだ。何でもない風景画『路上の馬』の空を流れる雲、『浅瀬』の、木立の間に見え隠れする海岸の大浪(これは「蒼ざめた馬」に先導される若者を描いた象徴的な作品である)、そして最期の年に描かれた『女性と白馬』(1903年)は、確かに「歴然とした老い」を感じさせるが、それでも明るい色彩は、息づくような美しさを放っている。ゴーギャン55歳。若いなあ。ルノワールやピカソみたいに長生きしたら、もう一化けしていたかもしれないのに…。

 このあと、所蔵作品展(常設展)の『近代日本の美術』も見てきた。お目当ては、先日も書いたとおり、原田直次郎の『騎龍観音』である。ものすごく近寄ってもOKの展示法に、ちょっとびっくりする。額縁に卍マークがあしらわれていることも新たな発見(護国寺所蔵だし)。 この作品、龍の顔が可愛らしすぎるのだが、それを見ないようにすると、なかなかの迫力である。雲海を掻き分け、激しく身をくねらす龍。それを平然と御する観音には、畏るべき超越性が感じられる。近世までの観音像は、女性の慈愛を表現することが多いが、この観音は、間違いなく男性的だ。そして、野蛮と文明の結合したような超越性の立像は、突飛なようだが、さっきまで見ていたゴーギャンの女性像に、どこか似ているように思った。恐ろしい龍の背中を踏みしめる、裸足の指の逞しさが似ているのだろうか。

※ゴーギャン展公式サイト
http://www.gauguin2009.jp/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする