○坂野潤治、大野健一『明治維新1858-1881』(講談社現代新書) 講談社 2010.1
本書は、「明治から戦前昭和にいたる我が国の民主化努力の成果と挫折を、通説に疑問を投げかけながら描き続けてきた政治史家」(坂野潤治氏)と「アジアやアフリカに頻繁に足を運びいままさに工業化せんともがいている途上国政府との政策対話に挑んでいる開発経済の実践家」(大野健一氏)の共同研究から生まれた。「まえがき」および第1部の冒頭、世代も専門も異なる2人の研究者が、どのような視点で明治維新を捉えようとしているかを読むうちに、これは私の待っていた本だ、という感じが強くなり、じわじわと喜びが湧いてきた。
明治維新は、いうまでもなく「欧米列強が支配する19世紀の国際秩序に後発国日本が組み込まれるという国際統合過程」であった。後発国が欧米諸国にキャッチアップし、彼らから対等な取り扱いを受けるに至るというのは、現在まで、成就した国がきわめて少ない大事業である。そして、明治政府は、第二次大戦後の韓国、台湾、シンガポール、マレーシアなど、一人の独裁者あるいは単独政党が長期にわたって抑圧的な開発主義を貫徹した「開発独裁型」政権とは、全く異なる性格を持っていた。
私が、うれしい興奮を覚えたのは、このへんの箇所だ。これは、明治維新を全面肯定する(俗流)司馬史観とは、似ているようで異なる。本書には他国・他地域への公平な目配りがある。「明治」は良かったが「昭和」は駄目とか、いや「明治」からずっと駄目とか、鏡に映った自分の姿を眺めて論評しているだけの、料簡の狭い歴史には、うんざりなのだ。「自虐史観」にしても、小島毅さんのいう(自己肯定的な)「自慰史観」にしても。
本書は、第二次世界大戦後の東アジア型開発独裁政治を参照しつつ、明治維新のユニークさを、その「柔構造」に見出す。明治維新のリーダーたちは、「富国」「強兵」「公議(憲法)」「輿論(議会)」の四目標を共有し、優先順位を自由に入れ替え、状況に応じて合従連衡しながら(しかし適度な一体感を保ちつつ)長期的には複数の目標を達成することができた。具体的には、第二部(坂野)が、各藩の重要人物のエピソードに則して論じているが、薩摩藩の軍事テクノクラート伊地知正治が上下二院制の創設に関する意見書を藩首脳に送っていたり、薩摩藩の小松帯刀と幕臣の勝海舟が海軍力の強化について語り合っていたり、幕末って、おもしろい時代だったんだなあ、と思った。
ただ、その「柔構造」を生み出した諸条件を論じた第三部(大野)は、ちょっと平板で物足りない感じがした。生産力の向上、全国市場の形成、教育の普及など、語るべきことはいろいろあるけど、「民間ナショナリズムという求心的な精神基盤」が、どうやって形成されたかが、私の最も知りたいところだ。気になる先行研究が多数引用されているのはありがたく、平石直昭氏の『日本政治思想史』(2001)が、日本の場合、もともと戦闘集団であった武士階級が、外国艦隊との衝突・敗北によって覚醒したのに対して、中国・朝鮮の文人政権は、軍事的敗北にあまりショックを受けなかったと論じているのは、首肯できるように思った。詳しい分析を読んでみたい。
最後に本書の「まえがき」に戻るが、幕末維新期は、政治制度が整わないなかで、きわめて成熟した政策論争が行われた時代であったが、戦後、制度的には「完璧に近い」民主主義が実現したにもかかわらず、「近年の政策論争が幕末維新期のそれよりも高度であったか」というのは、けっこう辛辣な問いかけである。苦笑せざるを得ない。

明治維新は、いうまでもなく「欧米列強が支配する19世紀の国際秩序に後発国日本が組み込まれるという国際統合過程」であった。後発国が欧米諸国にキャッチアップし、彼らから対等な取り扱いを受けるに至るというのは、現在まで、成就した国がきわめて少ない大事業である。そして、明治政府は、第二次大戦後の韓国、台湾、シンガポール、マレーシアなど、一人の独裁者あるいは単独政党が長期にわたって抑圧的な開発主義を貫徹した「開発独裁型」政権とは、全く異なる性格を持っていた。
私が、うれしい興奮を覚えたのは、このへんの箇所だ。これは、明治維新を全面肯定する(俗流)司馬史観とは、似ているようで異なる。本書には他国・他地域への公平な目配りがある。「明治」は良かったが「昭和」は駄目とか、いや「明治」からずっと駄目とか、鏡に映った自分の姿を眺めて論評しているだけの、料簡の狭い歴史には、うんざりなのだ。「自虐史観」にしても、小島毅さんのいう(自己肯定的な)「自慰史観」にしても。
本書は、第二次世界大戦後の東アジア型開発独裁政治を参照しつつ、明治維新のユニークさを、その「柔構造」に見出す。明治維新のリーダーたちは、「富国」「強兵」「公議(憲法)」「輿論(議会)」の四目標を共有し、優先順位を自由に入れ替え、状況に応じて合従連衡しながら(しかし適度な一体感を保ちつつ)長期的には複数の目標を達成することができた。具体的には、第二部(坂野)が、各藩の重要人物のエピソードに則して論じているが、薩摩藩の軍事テクノクラート伊地知正治が上下二院制の創設に関する意見書を藩首脳に送っていたり、薩摩藩の小松帯刀と幕臣の勝海舟が海軍力の強化について語り合っていたり、幕末って、おもしろい時代だったんだなあ、と思った。
ただ、その「柔構造」を生み出した諸条件を論じた第三部(大野)は、ちょっと平板で物足りない感じがした。生産力の向上、全国市場の形成、教育の普及など、語るべきことはいろいろあるけど、「民間ナショナリズムという求心的な精神基盤」が、どうやって形成されたかが、私の最も知りたいところだ。気になる先行研究が多数引用されているのはありがたく、平石直昭氏の『日本政治思想史』(2001)が、日本の場合、もともと戦闘集団であった武士階級が、外国艦隊との衝突・敗北によって覚醒したのに対して、中国・朝鮮の文人政権は、軍事的敗北にあまりショックを受けなかったと論じているのは、首肯できるように思った。詳しい分析を読んでみたい。
最後に本書の「まえがき」に戻るが、幕末維新期は、政治制度が整わないなかで、きわめて成熟した政策論争が行われた時代であったが、戦後、制度的には「完璧に近い」民主主義が実現したにもかかわらず、「近年の政策論争が幕末維新期のそれよりも高度であったか」というのは、けっこう辛辣な問いかけである。苦笑せざるを得ない。