○『ごちそうさん』(2013年9月30日~2014年3月29日、全150回)
2013年度は「朝ドラ」開眼の1年だった。春から夏にかけて、社会現象にもなった『あまちゃん』のおかげで、人生初めて「朝ドラ」の視聴習慣を身につけた(実際に見ていたのは夜だけど)。引き続き、後番組の『ごちそうさん』を見てみたら、これが面白い。はじめのうちこそ、過度に『あまちゃん』びいきの世論に意地を張るつもりで見ていたのだが、だんだん本当に面白くなって、やめられなくなった。
いま、昨年9月に自分が書いた『あまちゃん』感想メモを読み返したら「分かるヤツだけ分かればいい小ネタと、世代や国籍を超えて普遍的な人間ドラマの同居」なんて書いている。それに比べると『ごちそうさん』は「歴史」を感じさせるドラマだった。主人公・卯野め以子の実家である洋食屋の「開明軒」も、文士の室井さんも、建築家の竹元先生も、ドラマの開始直後こそ、歴史好きの視聴者が、あれこれモデルを穿鑿していたが、基本的には架空の存在だった。にもかかわらず、脚本の背骨には、太い「歴史」の流れが通っていたように思う。
そこが、この作品の好き・嫌いを分けるところではないかと思うが、私はハマった。どこにでもいる普通の人々の喜怒哀楽と、一回限りのドラマチックな「歴史」が交錯する物語が、私は大好きなのである。脚本の森下佳子さんは『JIN-仁-』でも、そうした世界を見せてくれたが、この作品も然りだった。私は中国映画の『芙蓉鎮』とか『活きる』が好きで、登場人物を翻弄する破天荒な「中国近代史」が面白すぎて、かなわないなあ、と思ったことがあるが、『ごちそうさん』を見て、日本の近代史だって、なかなか波乱に富んでいて、地道にまっすぐ生きようとした庶民を翻弄(あるいは愚弄)してきたじゃないか、と思い直した。
『ごちそうさん』に好きなエピソードはたくさんあるが、め以子の夫・西門悠太郎の父・正蔵が、鉱山技師として国家の発展に寄与していることを誇りにしていたにもかかわらず、鉱毒事件の加害者となってしまうという設定は好きだった。戦争の描き方は、1ヶ月足らずの戦後編も含めて巧かったなあ。善悪の判断以前に、大きな「歴史」の流れに呑みこまれてしまう庶民の無力さと、それでも精一杯の抵抗、防御、自己主張する様子が丁寧に描かれていた。昨今、歴史問題に対するNHKの姿勢は、右からも左からも不信の目で見られているが、このドラマを見る限り、制作現場の良心は保たれていると感じた。時には、かなり「毒」のある良心だと思ったこともある。
ただ、脚本にしても出演者にしても「丁寧な作り」が分かり過ぎるきらいはあったかもしれない。私は、頭のいい出演者が、意識的に阿呆を演じるドラマが大好きだが、もっと「ナチュラル」なドラマのほうが、いまの視聴者の好みに合うかもしれない、と思うこともあった。特に「とんだごちそう」の最終回は、予想もしなかった結末で、脚本家は「してやったり」という気持ちだっただろう。私は爽快な「してやられたり」を味わったが、ああいうところも、ナチュラルに感動させてほしかった視聴者が多かったのではないかと思う。
ちなみに、本編が終わってすぐに感想を書かなかったのは、4月19日放送のスピンオフドラマ、ザ・プレミアム『ごちそうさんっていわしたい!』を待っていたからである。これは面白かったには面白かったが、本編とは別物だった。脚本は加藤綾子氏。本編のファンによるファンのためのオマージュ作品という感じがした。なるほど、ドラマは脚本が生命(いのち)だと私は思っているけれど、出演者や演出家など、最終的にはいろいろな人の手を経て生まれるものだから、設定のみを受け継いで、別人が脚本を書くというのもありなんだなあ、と不思議な感慨を持った。
2013年度は「朝ドラ」開眼の1年だった。春から夏にかけて、社会現象にもなった『あまちゃん』のおかげで、人生初めて「朝ドラ」の視聴習慣を身につけた(実際に見ていたのは夜だけど)。引き続き、後番組の『ごちそうさん』を見てみたら、これが面白い。はじめのうちこそ、過度に『あまちゃん』びいきの世論に意地を張るつもりで見ていたのだが、だんだん本当に面白くなって、やめられなくなった。
いま、昨年9月に自分が書いた『あまちゃん』感想メモを読み返したら「分かるヤツだけ分かればいい小ネタと、世代や国籍を超えて普遍的な人間ドラマの同居」なんて書いている。それに比べると『ごちそうさん』は「歴史」を感じさせるドラマだった。主人公・卯野め以子の実家である洋食屋の「開明軒」も、文士の室井さんも、建築家の竹元先生も、ドラマの開始直後こそ、歴史好きの視聴者が、あれこれモデルを穿鑿していたが、基本的には架空の存在だった。にもかかわらず、脚本の背骨には、太い「歴史」の流れが通っていたように思う。
そこが、この作品の好き・嫌いを分けるところではないかと思うが、私はハマった。どこにでもいる普通の人々の喜怒哀楽と、一回限りのドラマチックな「歴史」が交錯する物語が、私は大好きなのである。脚本の森下佳子さんは『JIN-仁-』でも、そうした世界を見せてくれたが、この作品も然りだった。私は中国映画の『芙蓉鎮』とか『活きる』が好きで、登場人物を翻弄する破天荒な「中国近代史」が面白すぎて、かなわないなあ、と思ったことがあるが、『ごちそうさん』を見て、日本の近代史だって、なかなか波乱に富んでいて、地道にまっすぐ生きようとした庶民を翻弄(あるいは愚弄)してきたじゃないか、と思い直した。
『ごちそうさん』に好きなエピソードはたくさんあるが、め以子の夫・西門悠太郎の父・正蔵が、鉱山技師として国家の発展に寄与していることを誇りにしていたにもかかわらず、鉱毒事件の加害者となってしまうという設定は好きだった。戦争の描き方は、1ヶ月足らずの戦後編も含めて巧かったなあ。善悪の判断以前に、大きな「歴史」の流れに呑みこまれてしまう庶民の無力さと、それでも精一杯の抵抗、防御、自己主張する様子が丁寧に描かれていた。昨今、歴史問題に対するNHKの姿勢は、右からも左からも不信の目で見られているが、このドラマを見る限り、制作現場の良心は保たれていると感じた。時には、かなり「毒」のある良心だと思ったこともある。
ただ、脚本にしても出演者にしても「丁寧な作り」が分かり過ぎるきらいはあったかもしれない。私は、頭のいい出演者が、意識的に阿呆を演じるドラマが大好きだが、もっと「ナチュラル」なドラマのほうが、いまの視聴者の好みに合うかもしれない、と思うこともあった。特に「とんだごちそう」の最終回は、予想もしなかった結末で、脚本家は「してやったり」という気持ちだっただろう。私は爽快な「してやられたり」を味わったが、ああいうところも、ナチュラルに感動させてほしかった視聴者が多かったのではないかと思う。
ちなみに、本編が終わってすぐに感想を書かなかったのは、4月19日放送のスピンオフドラマ、ザ・プレミアム『ごちそうさんっていわしたい!』を待っていたからである。これは面白かったには面白かったが、本編とは別物だった。脚本は加藤綾子氏。本編のファンによるファンのためのオマージュ作品という感じがした。なるほど、ドラマは脚本が生命(いのち)だと私は思っているけれど、出演者や演出家など、最終的にはいろいろな人の手を経て生まれるものだから、設定のみを受け継いで、別人が脚本を書くというのもありなんだなあ、と不思議な感慨を持った。