○サントリー美術館 『生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村』(2015年3月18日~5月10日)
「正徳6年(1716)は、尾形光琳が亡くなり、伊藤若冲と与謝蕪村というふたりの天才絵師が誕生した」というのが本展の導入である。正徳といえば新井白石の時代だ(正徳という年号は白石が選んだとされる)。なお正徳6年は、6月に享保に改元されている。
冒頭には『平安人物志』画家の項が展示されていて、確かに二人が同時代人だったことを示す。若冲は「藤汝釣」蕪村は「謝長庚」の名前で載っている。もう一人の同時代人、藤(円山)応挙の名前も。ということで、応挙と蕪村の楽しい合作『ちいもははも』(爺も婆も)が展示されていた。着物姿の杓文字(杓子)と手拭いをかぶった猫が踊る。
まず「出発と修行の時代」と題して、二人の比較的若い頃の作品を展示する。若冲は、だいたいどこかで見たことのある作品だった。あ、これは細見美術館の、とか、これは千葉市美術館だ、とか分かるのだが、陳腐感が全くない。何度見ても楽しく、喜ばしい。それから、時代(年齢)を追って「画風の確立」「新たな挑戦」へと進む。
蕪村の作品は初めて見るものが多くて新鮮だった。やっぱり中国ネタが多い。歴史上の人物を独自の解釈で描いた『黄石公・王猛図』2幅はいいなあ。特にシラミをつぶす王猛の表情がいい。水墨画ならありそうだが、淡彩が美しい。明清絵画みたいだ、と思うのは私が倒錯しているのであって、蕪村が明清の新しい絵画を学んでいるのだろう。図録を見ていたら、後期展示の『猛虎飛瀑図』も素敵だ。『明師言行図屏風』の色彩感も独特である。これは後期も見たい。
第1展示室の最後では、二人が学んだと思われる中国・朝鮮絵画を特集する。正伝寺の『猛虎図』や日本民藝館の『花下遊狗図』を見ることができて、少し得をした気分。ただ、明らかに影響を受けたと思われる作品が隣に並ぶわけではないので、ちょっとこのセクション、分かりにくいかもしれない。
さて、階段を下りていくと、待っていたのが『象と鯨図屏風』(MIHOミュージアム)。やっぱりこれいいなあ、大好きだ。心から幸せな気持ちになれる。これまでの展示は、周りを暗くして屏風を目立たせる手法だったように記憶しているが、今回は、暖色(ワインカラー)が背景に用いられていて、雰囲気が明るい。向かい側の『蔬菜図押絵貼屏風』も大好きな作品。よちよち歩きの女の子を連れたお母さんが、中国語で「南瓜(なんぐゎ)、慈姑(つーぐぅ)」とうれしそうに教えていた。
蕪村の『山水図屏風』は力のこもった作品だが、向き合うには肩が凝る。背景は深い青。私は『峨眉露頂図巻』や『夜色楼台図』のような力の抜けた蕪村の作品のほうが好きだが、これらは連休以降(4/29~)でないと見られないのかあ。
後半のはじめに、若冲と蕪村の交友関係図が掲げてあった。二人の直接の交流を示す記録(書簡など)は見つかっていないが、上田秋成、木村蒹葭堂など、両者の交友関係の接点はあったようだ。また、京都の四条通り界隈には、二人だけでなく、応挙や呉春や池大雅も住んでいたことが分かり、いろいろ想像力を刺激されて楽しい。
若冲の『果菜涅槃図』は久しぶりに見た。田楽をつくる『六歌仙図』は初見かもしれない。葉っぱを大きく描いた『蓮図』も記憶がなかった。漢文の賛ではなく和歌が書きつけてある。『釣瓶に鶏図』は、大和文華館も若冲を持っていたんだ、と初めて認識。いずれも晩年の作品である。あと比較的初期の作品で、赤い衣が鮮やかな『達磨図』(MIHOミュージアム)も、図録を見て気づいたが、未見のような気がする。
連休に再訪だな、これは。
「正徳6年(1716)は、尾形光琳が亡くなり、伊藤若冲と与謝蕪村というふたりの天才絵師が誕生した」というのが本展の導入である。正徳といえば新井白石の時代だ(正徳という年号は白石が選んだとされる)。なお正徳6年は、6月に享保に改元されている。
冒頭には『平安人物志』画家の項が展示されていて、確かに二人が同時代人だったことを示す。若冲は「藤汝釣」蕪村は「謝長庚」の名前で載っている。もう一人の同時代人、藤(円山)応挙の名前も。ということで、応挙と蕪村の楽しい合作『ちいもははも』(爺も婆も)が展示されていた。着物姿の杓文字(杓子)と手拭いをかぶった猫が踊る。
まず「出発と修行の時代」と題して、二人の比較的若い頃の作品を展示する。若冲は、だいたいどこかで見たことのある作品だった。あ、これは細見美術館の、とか、これは千葉市美術館だ、とか分かるのだが、陳腐感が全くない。何度見ても楽しく、喜ばしい。それから、時代(年齢)を追って「画風の確立」「新たな挑戦」へと進む。
蕪村の作品は初めて見るものが多くて新鮮だった。やっぱり中国ネタが多い。歴史上の人物を独自の解釈で描いた『黄石公・王猛図』2幅はいいなあ。特にシラミをつぶす王猛の表情がいい。水墨画ならありそうだが、淡彩が美しい。明清絵画みたいだ、と思うのは私が倒錯しているのであって、蕪村が明清の新しい絵画を学んでいるのだろう。図録を見ていたら、後期展示の『猛虎飛瀑図』も素敵だ。『明師言行図屏風』の色彩感も独特である。これは後期も見たい。
第1展示室の最後では、二人が学んだと思われる中国・朝鮮絵画を特集する。正伝寺の『猛虎図』や日本民藝館の『花下遊狗図』を見ることができて、少し得をした気分。ただ、明らかに影響を受けたと思われる作品が隣に並ぶわけではないので、ちょっとこのセクション、分かりにくいかもしれない。
さて、階段を下りていくと、待っていたのが『象と鯨図屏風』(MIHOミュージアム)。やっぱりこれいいなあ、大好きだ。心から幸せな気持ちになれる。これまでの展示は、周りを暗くして屏風を目立たせる手法だったように記憶しているが、今回は、暖色(ワインカラー)が背景に用いられていて、雰囲気が明るい。向かい側の『蔬菜図押絵貼屏風』も大好きな作品。よちよち歩きの女の子を連れたお母さんが、中国語で「南瓜(なんぐゎ)、慈姑(つーぐぅ)」とうれしそうに教えていた。
蕪村の『山水図屏風』は力のこもった作品だが、向き合うには肩が凝る。背景は深い青。私は『峨眉露頂図巻』や『夜色楼台図』のような力の抜けた蕪村の作品のほうが好きだが、これらは連休以降(4/29~)でないと見られないのかあ。
後半のはじめに、若冲と蕪村の交友関係図が掲げてあった。二人の直接の交流を示す記録(書簡など)は見つかっていないが、上田秋成、木村蒹葭堂など、両者の交友関係の接点はあったようだ。また、京都の四条通り界隈には、二人だけでなく、応挙や呉春や池大雅も住んでいたことが分かり、いろいろ想像力を刺激されて楽しい。
若冲の『果菜涅槃図』は久しぶりに見た。田楽をつくる『六歌仙図』は初見かもしれない。葉っぱを大きく描いた『蓮図』も記憶がなかった。漢文の賛ではなく和歌が書きつけてある。『釣瓶に鶏図』は、大和文華館も若冲を持っていたんだ、と初めて認識。いずれも晩年の作品である。あと比較的初期の作品で、赤い衣が鮮やかな『達磨図』(MIHOミュージアム)も、図録を見て気づいたが、未見のような気がする。
連休に再訪だな、これは。