○中島岳志『下中彌三郎:アジア主義から世界連邦運動へ』 平凡社 2015.3
少し前に読み終わった本なので、内容を思い出しながら書く。下中彌三郎(1878-1961)は平凡社の創業者。本書は「平凡社創業100周年記念出版」として企画されたものだ。しかし、一昨年、著者が同じく評伝を書いた岩波茂雄ほど、出版業との結びつきは強くないように思う。
著者は、本書の冒頭に「下中彌三郎とは一体、何者なのか」という疑問を呈し、平凡社の創業者のほかに、自由教育で知られる池袋児童の村小学校の創始者、戦中・戦前のアジア主義者・超国家主義者、戦後の世界連邦運動の牽引者など、多様な側面を紹介している。私は、女性の啓発と地位向上に資したと言われる『婦女新聞』とのかかわりが興味深かった。ただし、下中は基本的に良妻賢母主義で、女性のための高等教育や政治参加には否定的だった。
下中は、愛に満ちた家庭をつくって男性を癒し、純真な子供を産み育てることのできる女性を賛美したが、その活動領域を家庭に限定し、彼の規範を外れる女性には厳しく抑圧的に振舞った。私は女性の一人として、こういう偏見は不愉快で、余計なお世話だと思う。また下中は、大日本帝国をユートピアの実現に向けた希望と見ていた。ロシアと戦うのは道ならぬロシアの行いを正すため、韓国を併合するのは韓国の国民が幸福に暮らせるようにしてやるためだというが、やはり当該国の人々は決して同意しないだろう。善意に満ちた偏見は、単なる嫌悪や蔑視より一層タチが悪い。
下中の生涯は、さまざまな思想や事業に飛びついては投げ出すことの繰り返しで、批判的に言えば、こらえ性がない。しかし、理想に向かって猪突猛進する姿は真実のもので、そこに嘘や計算は微塵もない。けれども、純粋かつ真剣で、行動力があるところが困りものなのだ。印象的なのは、「真の子ども」「真の人間」を構想する教育者は(ユートピアの)独裁者でありながら、そのことを全く意識していない、という柄谷行人の議論である。
これは下中の問題である以上に、著者が「下中の危うさを乗り越えることは、私の思想課題に直結する」と述べているように、今日的な課題なのではないかと思う。今日の社会、とりわけネットの中にあふれる「善意」と理想主義、性急に正義を求めるヒロイックな行動。けれどもそれは、本当に社会の幸福を増大するのか。他者を抑圧する方向に働いていないか。下中の創業した出版社の名前が「平凡」であることには、逆説のような、皮肉のようなほろ苦さを感ずる。二葉亭四迷の小説なども思い出しながら。
蛇足だが、「あとがき」に著者の勤務校である北海道大学附属図書館の助力に対する謝辞が記されているのは、ひそかに嬉しい。
少し前に読み終わった本なので、内容を思い出しながら書く。下中彌三郎(1878-1961)は平凡社の創業者。本書は「平凡社創業100周年記念出版」として企画されたものだ。しかし、一昨年、著者が同じく評伝を書いた岩波茂雄ほど、出版業との結びつきは強くないように思う。
著者は、本書の冒頭に「下中彌三郎とは一体、何者なのか」という疑問を呈し、平凡社の創業者のほかに、自由教育で知られる池袋児童の村小学校の創始者、戦中・戦前のアジア主義者・超国家主義者、戦後の世界連邦運動の牽引者など、多様な側面を紹介している。私は、女性の啓発と地位向上に資したと言われる『婦女新聞』とのかかわりが興味深かった。ただし、下中は基本的に良妻賢母主義で、女性のための高等教育や政治参加には否定的だった。
下中は、愛に満ちた家庭をつくって男性を癒し、純真な子供を産み育てることのできる女性を賛美したが、その活動領域を家庭に限定し、彼の規範を外れる女性には厳しく抑圧的に振舞った。私は女性の一人として、こういう偏見は不愉快で、余計なお世話だと思う。また下中は、大日本帝国をユートピアの実現に向けた希望と見ていた。ロシアと戦うのは道ならぬロシアの行いを正すため、韓国を併合するのは韓国の国民が幸福に暮らせるようにしてやるためだというが、やはり当該国の人々は決して同意しないだろう。善意に満ちた偏見は、単なる嫌悪や蔑視より一層タチが悪い。
下中の生涯は、さまざまな思想や事業に飛びついては投げ出すことの繰り返しで、批判的に言えば、こらえ性がない。しかし、理想に向かって猪突猛進する姿は真実のもので、そこに嘘や計算は微塵もない。けれども、純粋かつ真剣で、行動力があるところが困りものなのだ。印象的なのは、「真の子ども」「真の人間」を構想する教育者は(ユートピアの)独裁者でありながら、そのことを全く意識していない、という柄谷行人の議論である。
これは下中の問題である以上に、著者が「下中の危うさを乗り越えることは、私の思想課題に直結する」と述べているように、今日的な課題なのではないかと思う。今日の社会、とりわけネットの中にあふれる「善意」と理想主義、性急に正義を求めるヒロイックな行動。けれどもそれは、本当に社会の幸福を増大するのか。他者を抑圧する方向に働いていないか。下中の創業した出版社の名前が「平凡」であることには、逆説のような、皮肉のようなほろ苦さを感ずる。二葉亭四迷の小説なども思い出しながら。
蛇足だが、「あとがき」に著者の勤務校である北海道大学附属図書館の助力に対する謝辞が記されているのは、ひそかに嬉しい。