見もの・読みもの日記

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戦後日本の若かった頃/果てしなく美しい日本(D・キーン)

2015-05-26 21:14:29 | 読んだもの(書籍)
○ドナルド・キーン;足立康訳『果てしなく美しい日本』(講談社学術文庫) 2002.9

 キーンさんのまとまった著書を読むのは、不勉強なことに、初めてではないかと思う。本書は、1959年に刊行された『Living Japan (生きている日本)』の日本語訳(1973年刊行)で、あわせて1992年と1999年に行われた日本文化に関する二つの講演を収録している。主要部分は、著者が1953年(昭和28年)に京都大学大学院に留学し、約3年間を日本で過ごした経験をもとに執筆された。

 以上のような情報を本書序文から得たときは、そんな古い日本印象記に、今でも読む価値があるだろうか、と疑問を抱きかけた。しかし、古い観察に基づく本だからこそ面白い点がいくつもある。1959年といえば、私が生まれるほんの少し前なのだが、それに続く10年が、大きく日本の風景を変えてしまったことを感じた。

 その頃、著者が国際会議で会った日本の経済学者たちは、日本が戦前の生活水準を回復することは決してないと考えていたという。一方、外国の代表たちは、日本人生来の器用さを利用して、釣りの疑似餌(ルアー)のような細密な品物を作ってはどうかと助言したが、自動車や電子機器の生産を勧めた者は一人もいなかった。まるで笑い話だ。また、当時は女性の着物姿がふつうだったとか、サラリーマンは夏の間上衣やネクタイをしなかったとか(夏でもネクタイが必須になったのは、オフィスに冷房が入るようになってから)、生活に密着した細やかな観察がとても面白い。

 本書には、伝統的な文化や生活様式と、眼前の「生きている日本」が矛盾なく同居している。実際の日本、とりわけ京都の風土がそうであるように。パチンコ機械の並ぶ村祭りから、伊勢の遷宮、祇園祭、鞍馬の火祭などの荘厳を語り、喫茶店やナイトクラブに続けて、格式に従った芸者遊びや舞妓の魅力を語る。万葉集、徒然草、芭蕉の俳句などの自在な引用が、文章に豊かな彩りを添えている。

 その一方、日本人の政治意識に対しては、かなり的確で、時には辛辣な批評も見られる。「非政治的」なスタンスをとりがちな、日本の文学者(文芸研究家)の著作にはあまりないことだ。たとえば、こんな箇所:「新しい日本は、民主主義と個人の自由とを万人の人権と見なす日本であるが、その完全な実現までには、まだ遠い道程を行かねばならない」「日本の伝統的社会の維持に役立つ知識だけを西洋から学び取ろうという考えが単なる夢想でしかあり得ないことはもはや証明ずみだが、今の日本の若者たちが待ち望んでいる社会がほんとうに実現するまで、日本がいっそう不快で苦しい多くの変化を経るであろうことは間違いない」。キーンさんがこの言葉を発してから、まもなく60年。日本社会が「民主主義と個人の自由」を獲得するための困難は、まだ続いていると思わなければならないのかな。

 「民主主義が日本人の間にどれだけ深く根を下ろしているか、万一みずからの政府を選ぶ特権が奪われる危険にさらされたとき、彼らが立って闘うかどうか、断言することは難しい」という記述もある。92歳になられたキーンさんは、かつてご自身が呈されたこの疑問を覚えておられるだろうか。今の日本の政治状況と日本社会の反応を、どんな思いで眺めていらっしゃるのだろうか。
コメント
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