見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

京都国立博物館『桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち』など

2015-05-13 22:12:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
○5/5(火)京都国立博物館→龍谷ミュージアム→京都文化博物館

京都国立博物館 特別展覧会『桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち』(2015年年4月7日~5月17日)

 公式サイトを開くと「2007年開催『狩野永徳』展より、待望の続編!」という謳い文句が画面に流れる。2013年の『狩野山楽・山雪』展は?と訊きたくなるが、措いておこう(山楽は本展にも登場する)。本展は、天正18年(1590)画壇の頂点にいた狩野永徳の急逝以後、狩野探幽が江戸絵画の扉を開くまでの「桃山後期」と呼ばれる時代の狩野派の動向に注目したもの。解説の山本英男氏は、寛永11年(1634)名古屋城の上洛殿に狩野探幽が描いた障壁画をもって「この時、確かに桃山という時代が終わったのである」と述べているから、だいたい40年間ほどの時代にフォーカスをあてた展覧会である。意外と短いが、密度は濃い。

 主な登場人物は、光信(1565-1608)、宗秀(1551-1601)、山楽(1559-1635)、孝信(1571-1618)、内膳(1570-1616)、長信(1577-1654)、甚之丞(1581-1626)、貞信(1597-1623)。はっきり言って区別のついていなかった絵師が多いが、ひとりずつまとまった数の作品を見ていくと、同じ狩野派でも、繊細、優美、豪快など、それぞれ個性を有していることがよく分かった。

 好きな作品は、まず宗秀『柳図屏風』(相国寺)。立ち枝のしなり方、葉っぱの靡き方が美しい。山楽『唐獅子図屏風』(本法寺)は、小顔すぎて変。マッチョな胸筋が強調されて、妙に人間くさい唐獅子である。光信『花鳥図屏風』は人工的な美しさ。ふと澁澤龍彦あたりが好みそうだと思った。

 風俗図は、美術作品であると同時に歴史資料として魅入られる。孝信『洛中洛外図屏風』(福岡市博物館)は市井の人々が大きく描かれていて面白い。放恣な享楽に流れる『北野社頭遊楽図屏風』も孝信筆。文化庁所蔵の『南蛮屏風』が見られたのは嬉しかった。紺碧の海に浮かぶ青い船、白い帆、画面の過半を占める金色の雲。色にも造形にも気持ちの良い緊張感がみなぎる。これ、『豊国祭礼図』の狩野内膳の作だったのか!

 続けて、平成知新館の常設展示(名品ギャラリー)を見に行く。中国絵画は『明清の山水画』。宋元絵画より親近感が湧く。近世絵画では、狩野永徳と長谷川等伯を見比べ。中世絵画には雪舟の『慧可断臂図』が出ていて、しばらく立ちつくした。この絵を見ると赤瀬川原平さんを思い出すのだ、私は。絵巻は霊験譚の特集。『泣不動縁起』は、祈祷する陰陽師と式神の場面が有名だが、全体のストーリーをはじめて知った。僧・証空の身代わりとなり、縄目を受けて地獄に連行される不動明王。泣かせる話じゃないか。

龍谷ミュージアム 春季特別展『聖護院門跡の名宝~修験道と華麗なる障壁画~』(2015年3月21日~5月10日)
京都文化博物館 増誉大僧正900年遠忌記念展『聖護院門跡の名宝-門跡と山伏の歴史-』(2015年3月21日~5月10日)

 龍谷ミュージアムの展示は、京都の聖護院だけでなく、全国各地の修験宗の寺院から、不動明王像や役行者・前鬼・後鬼像が多数集結。また近世・近代の障壁画も見ることができた。京都文化博物館の展示は、古文書類が面白かった。修験道には本山派(天台系。熊野三山を拠点とし、聖護院を本寺とする)と当山派(真言系。金峯山を拠点とし、醍醐寺三宝院を本寺とする)の二派があり、いろいろ確執や抗争があった歴史をはじめて知った。
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