〇津田資久、井ノ口哲也編著『教養の中国史』 ミネルヴァ書房 2018.8
中国史の概説書を見ると、時々読んでみたくなる。しかし1冊か2冊で古代から近現代までをカバーし、かつクオリティの高い概説書は、そんなにあるものではない。そう思っていたら、本書の評判がいいので読んでみることにした。編著者のおふたりは1971年生まれで私より年下だが、「はじめに」に書かれた日中関係と中国イメージの変化には、共感できるところがあった。
著者たちが学生だった90年代には、依然現地に関する情報は少なく、見知らぬ大地へのロマンを掻き立てられ、貧乏旅行に赴いた。その後、中国の経済発展により、今では多くの中国人観光客が日本を訪れるようになったが、逆に日本社会の中国への眼差しは冷え切っている。即物的かつネガティブな話題は盛んに紹介されるが、やや長めに歴史的経緯を俯瞰した「教養」の視点がすっぽり抜け落ちている。そこで、誰でも「知的に楽しめる」中国史を目指したのが本書である。編著者ふたりの署名のある序章「中国史を学ぶということ」に続き、執筆者の異なる13章と9つのコラムで構成されている。章題と執筆者は以下のとおり。
1)中華意識の形成-先秦史(渡邉英幸)
2)専制国家体制の確立と拡大-秦代~漢武帝前期(水間大輔)
3)儒家思想の浸透と外戚・宦官の専横-前漢中期~後漢(井ノ口哲也)
4)〈貴族〉の盛衰と「天下」観の変容-三国・両晋・南朝(津田資久)
5)草原から中華への軌跡-匈奴・五胡・北朝(松下憲一)
6)中国的「美」の営み-仏教美術の道のり(森田美樹)
7)礼教国家の完成と東アジア秩序-隋・唐(江川式部)
8)〈財政国家〉と士大夫官僚-唐後半期・五代・北宋・南宋(宮崎聖明)
9)ユーラシア世界の「首都」北京-契丹(遼)・金・元(渡辺健哉)
10)伝統中国社会の完成-明・清(小川快之)
11)「富強」をめざして-清末・中華民国・中華人民共和国(小野寺史郎)
12)多様化する文学、漂泊する作家たち-中国と台湾をめぐる現代文学の歩み(小笠原淳)
13)現代中国案内-変貌する家族・生活・メディア(森平崇文)
「匈奴・五胡・北朝」と「契丹(遼)・金・元」に各1章が割り当てられているのは、近年、ユーラシア史が注目を集めていることの反映だろうか。北宋と契丹の和睦(澶淵の盟)について、「北宋にとって屈辱的なもの」という見方は一面的で、北宋に課せられた絹と銀はそれほど重い負担ではなく、両国に平和と安定をもたらし、さらに国境における交易によって銀は北宋に還流したという指摘が面白かった。
契丹はだいぶイメージできるようになったが、金についてもっと知りたい。金の宗教は多神崇拝のシャーマニズムで、鷹に対する崇拝が強く、鷹頭人身の女性が乳児に乳を与える素焼きの像が発掘されているようだ。また金朝の皇帝は各派の道士を召して道教を保護したそうで、全真教の王重陽、その弟子・王処一、丘処機(全真七子!)の名前が出てきたときは、変な声が出そうになった。丘処機はチンギス・カンの幕営にも招かれているのか。そして金の中都に戻った丘処機が本拠とした長春宮は、現在の北京の白雲観だという…。『射雕英雄伝』の世界が目の前に!
しかし全体の三分の二くらい読み進んでもまだ唐後期を論じていたので、残り分量的に大丈夫か?と思った。古代史の比重が高いのは、新たな資料の発見による研究の進展を反映しているのかもしれない。明清代は駆け足だが、明の皇族にはキリスト教に入信した者が多く、永楽帝の生母の馬太后や皇后、皇太子もクリスチャンネームを持っていたというのは初めて知った。明清時代に完成した伝統中国社会が、伝統日本社会(江戸時代)と違っていた点として、さまざまな人々が自己主張をぶつけあう「訴訟社会」だったというのは面白い。宋から明清を舞台とした古装ドラマを思い出すと、納得できる感じがする。
近現代を扱った2編について、まず「現代文学」という括りで文学と映画が並列的に論じられているのが面白かった。「1980年代の文学の一つの特徴として、テクストと映画による二重の表現と受容があった」というのは、まさにそのとおり。確かに陳凱歌の『さらば、わが愛』、張芸謀の『活きる』、田壮壮の『青い凧』、賈樟柯の『プラットフォーム』などの作品を除いて、現代中国文学を語ることはできないし、映画というメディアを通じて、現代中国文学は世界中にファンを獲得したと思う。
終章は、オーディション番組の流行や荒唐無稽な「抗日ドラマ」の楽しみ方など、なかなか通な現代中国案内になっている。あまり知らなかったこととして、伝統芸能の「相声」(中国漫才)が21世紀以降、ブームになっているというのが興味深かった。
上記には些末な知識ばかり取り上げてしまったが、「中華意識」あるいは「天下」というがどのように生まれ、変化していくかという大局的な問題も面白かった。序章には、「全国的にみて大学で中国史を専門的に学べる場が確実に減ってきている」という寂しい報告もあるが、これからも多くの才能ある若者が、中国学を志してくれますように。
中国史の概説書を見ると、時々読んでみたくなる。しかし1冊か2冊で古代から近現代までをカバーし、かつクオリティの高い概説書は、そんなにあるものではない。そう思っていたら、本書の評判がいいので読んでみることにした。編著者のおふたりは1971年生まれで私より年下だが、「はじめに」に書かれた日中関係と中国イメージの変化には、共感できるところがあった。
著者たちが学生だった90年代には、依然現地に関する情報は少なく、見知らぬ大地へのロマンを掻き立てられ、貧乏旅行に赴いた。その後、中国の経済発展により、今では多くの中国人観光客が日本を訪れるようになったが、逆に日本社会の中国への眼差しは冷え切っている。即物的かつネガティブな話題は盛んに紹介されるが、やや長めに歴史的経緯を俯瞰した「教養」の視点がすっぽり抜け落ちている。そこで、誰でも「知的に楽しめる」中国史を目指したのが本書である。編著者ふたりの署名のある序章「中国史を学ぶということ」に続き、執筆者の異なる13章と9つのコラムで構成されている。章題と執筆者は以下のとおり。
1)中華意識の形成-先秦史(渡邉英幸)
2)専制国家体制の確立と拡大-秦代~漢武帝前期(水間大輔)
3)儒家思想の浸透と外戚・宦官の専横-前漢中期~後漢(井ノ口哲也)
4)〈貴族〉の盛衰と「天下」観の変容-三国・両晋・南朝(津田資久)
5)草原から中華への軌跡-匈奴・五胡・北朝(松下憲一)
6)中国的「美」の営み-仏教美術の道のり(森田美樹)
7)礼教国家の完成と東アジア秩序-隋・唐(江川式部)
8)〈財政国家〉と士大夫官僚-唐後半期・五代・北宋・南宋(宮崎聖明)
9)ユーラシア世界の「首都」北京-契丹(遼)・金・元(渡辺健哉)
10)伝統中国社会の完成-明・清(小川快之)
11)「富強」をめざして-清末・中華民国・中華人民共和国(小野寺史郎)
12)多様化する文学、漂泊する作家たち-中国と台湾をめぐる現代文学の歩み(小笠原淳)
13)現代中国案内-変貌する家族・生活・メディア(森平崇文)
「匈奴・五胡・北朝」と「契丹(遼)・金・元」に各1章が割り当てられているのは、近年、ユーラシア史が注目を集めていることの反映だろうか。北宋と契丹の和睦(澶淵の盟)について、「北宋にとって屈辱的なもの」という見方は一面的で、北宋に課せられた絹と銀はそれほど重い負担ではなく、両国に平和と安定をもたらし、さらに国境における交易によって銀は北宋に還流したという指摘が面白かった。
契丹はだいぶイメージできるようになったが、金についてもっと知りたい。金の宗教は多神崇拝のシャーマニズムで、鷹に対する崇拝が強く、鷹頭人身の女性が乳児に乳を与える素焼きの像が発掘されているようだ。また金朝の皇帝は各派の道士を召して道教を保護したそうで、全真教の王重陽、その弟子・王処一、丘処機(全真七子!)の名前が出てきたときは、変な声が出そうになった。丘処機はチンギス・カンの幕営にも招かれているのか。そして金の中都に戻った丘処機が本拠とした長春宮は、現在の北京の白雲観だという…。『射雕英雄伝』の世界が目の前に!
しかし全体の三分の二くらい読み進んでもまだ唐後期を論じていたので、残り分量的に大丈夫か?と思った。古代史の比重が高いのは、新たな資料の発見による研究の進展を反映しているのかもしれない。明清代は駆け足だが、明の皇族にはキリスト教に入信した者が多く、永楽帝の生母の馬太后や皇后、皇太子もクリスチャンネームを持っていたというのは初めて知った。明清時代に完成した伝統中国社会が、伝統日本社会(江戸時代)と違っていた点として、さまざまな人々が自己主張をぶつけあう「訴訟社会」だったというのは面白い。宋から明清を舞台とした古装ドラマを思い出すと、納得できる感じがする。
近現代を扱った2編について、まず「現代文学」という括りで文学と映画が並列的に論じられているのが面白かった。「1980年代の文学の一つの特徴として、テクストと映画による二重の表現と受容があった」というのは、まさにそのとおり。確かに陳凱歌の『さらば、わが愛』、張芸謀の『活きる』、田壮壮の『青い凧』、賈樟柯の『プラットフォーム』などの作品を除いて、現代中国文学を語ることはできないし、映画というメディアを通じて、現代中国文学は世界中にファンを獲得したと思う。
終章は、オーディション番組の流行や荒唐無稽な「抗日ドラマ」の楽しみ方など、なかなか通な現代中国案内になっている。あまり知らなかったこととして、伝統芸能の「相声」(中国漫才)が21世紀以降、ブームになっているというのが興味深かった。
上記には些末な知識ばかり取り上げてしまったが、「中華意識」あるいは「天下」というがどのように生まれ、変化していくかという大局的な問題も面白かった。序章には、「全国的にみて大学で中国史を専門的に学べる場が確実に減ってきている」という寂しい報告もあるが、これからも多くの才能ある若者が、中国学を志してくれますように。