〇『少林問道』全38集(2016年、上海新文化伝媒集団他)(※全42集版もあり)
2016年の作品だが、私が知ったのはごく最近である。9月17日からCS「衛星劇場」で日本初放映が決まったことに伴い、ファンの声を目にして興味を持った。どうせCSは見られないので、ネットで視聴してみることにした。時代は明の嘉靖帝の治世(1521-1566)、朝廷は厳嵩・厳世蕃父子とその取り巻き(厳党)に牛耳られていた(※これは史実)。厳党の権臣・明徳は、敵対勢力の程粛を一族もろとも殺害し、李王爺を自殺に追い込む。程粛の次男・聞道は少林寺に逃げ込んで生き延び、李王家の郡主・蓁蓁は官妓に身を落とす。程聞道と李蓁蓁、二人に同情する書生の楊秀、明徳の甥で武人の高剣雄の四人はおさななじみで、程聞道、楊秀、高剣雄の三人は義兄弟を誓った仲でもあった。しかし、運命は彼らを波乱の中に投げ込む。
聞道は少林寺にあっても明徳への復讐を諦めきれない。少林寺には「十八銅人」という武術の達人がいたことを知り、彼らを探して復讐に協力してもらおうとする。しかし、次第に自分の身勝手さを思い知り、出家して無想という法名を得、医学と薬学に精進するようになる。蓁蓁は洛陽の妓楼・梅艶楼で十一娘と呼ばれ、明徳への復讐だけを望みに生きていく。再びめぐり合った聞道(無想)と結ばれることは叶わず、高剣雄に身を委ねる。それを自分への愛情と勘違いした高剣雄もまた、運命を狂わされていく。
ここからネタバレ。梅艶楼の女主人・梅姑は、明徳のかつての愛人であり、二人の間に生まれた嬰児を、梅姑の兄である少林寺僧・敗火が程粛に預けたことが明らかになる。つまり、聞道が父の仇と思っていた明徳こそ、聞道の実の父親だったのだ(ここまでは中国語版の予告編でも明かされているので…)。さらに明徳には、程粛を恨むに十分な理由があったことも語られる。明徳は死病を患っており、それを治療してもらうために少林寺にやってきた。梅姑は命を捨てて父と息子の仲を取り持ち、聞道は明徳に治療を施して命を助ける。しかし、父親として受け入れることは拒む。
月日が流れて三年後。高剣雄は明徳の目を掠め、倭寇と結託して大金を稼ぎ、旱魃で苦しむ百姓に対して糧倉を開くこともなかった。高剣雄の悪行を知り、朝廷の高官・徐階(※このひとも実在)が査察に遣わされると聞いて、慌てる明徳。証拠隠滅を図るも、徐階の門弟となった楊秀は、厳党糾弾の好機と見て、命を賭して皇帝に真実を奏上しようとする。しかし、不敬の誹りを受けて捉えられ、罰杖を受ける。身を挺して楊秀を庇おうとする聞道。肉親の情から、うろたえる明徳。そこに皇帝の勅使が到着し、聞道を少林寺の方丈に任じ、楊秀と高剣雄に倭寇の掃討が命じられる。倭寇の根城に決死の攻撃をかけると決めた前夜、李蓁蓁、聞道、楊秀、高剣雄の四人は、昔のよしみを取り戻したように酒を酌み交わし、静かに語り合う。
明徳は、序盤こそ冷酷な悪役ぶりを見せるのだが、後半、より高位の厳世蕃や徐階の前に出ると、なすすべもなく平身低頭するばかり。中国の巨大官僚社会の怖さを思い知らされる。そして最後は、序盤では予想もつかなかった人間味を見せる。もっとも「予想もつかなかった」のはこちらの見方が甘いからで、序盤の極悪非道な振舞いの間にも、微かな心の揺れが表現されているという指摘がある。そうなのか~。もう一回、序盤を見直してみたい。『人民的名義』の高書記を演じた張志堅が演じている。
主人公・程聞道(無想和尚)を演じたのは周一囲。前半は、いつも目を剥いてわめき散らしているような粗野な青年でうんざりするのだが、後半、苦悩を乗り越え、医術と武術を身に着けてからは、別人のように美しいたたずまいを見せる。武術アクションも見事。楊秀、高剣雄、李蓁蓁は、正直、ほぼ最後まで身勝手で迷惑な奴らだと思っていた。しかし本作は、主人公の聞道を含め、妄執や欲心など困ったところを抱えた人間が、不完全ながら「悟道」あるいは「慈悲」に辿り着くまでを描いているのかもしれない。少林寺の僧侶たちも、それぞれ葛藤や後悔を抱え、人間味ある姿に描かれていてよかった。聞道を導く敗火師父は少林寺の薬局首座という設定。禅寺が、さまざまな技術と学術のセンターだった雰囲気がよく出ていた。
私が一番好きだったのは、明徳に従う道士の梁五。明徳に命じられれば、脅迫・殺人・強盗、どんな暴虐も辞さない、狂暴な忠犬である。しかし、かつて命を救ってもらった(らしい)明徳への献身は純粋で、どこか愛すべきところがある。共感してくれる人は少ないと思うが、ネットで探していたら、中国人女性の個人ブログに同じような感想を見つけて嬉しかった。
倭寇の描き方も興味深く、頭目の岡田という日本人はすっかり漢人に化けている。一方、漢人の江龍は、今は倭寇の一味となり、月代を剃り、陣羽織のようなものを着て、日本刀を使う。後期倭寇のカオスな状況をうまく物語に取り込んでいると思った。なお、嘉靖年間に少林寺の武僧が倭寇と戦ったことは『日知録』などにあり、これまでもいくつかのドラマの題材になっているが、本作は虚実の組み合わせ方が出色だと思う。ただ、本作は禅の教えにちなんだセリフが多くて、私には難しかった。できるなら、原作の日本語訳を歴史小説として読めたらいいのに。