〇根津美術館 企画展『禅僧の交流 墨蹟と水墨画を楽しむ』(2018年9月1日~10月8日)
中世において、日本と中国の禅僧たちの交流から生まれた墨蹟と水墨画の名品を紹介する。類似テーマの展覧会は何度か見たことがあるので、あまり新しい発見はないだろうなと思いながら、やっぱり好きなので行ってきた。
冒頭には因陀羅筆『布袋蒋摩訶問答図』。力のない描線で、柳?の下で対話する二人の人物を描く。右端に楚石梵琦による賛が書き付けられていて、最初の「花街鬧市」までは読めたのだが、あとが読めなくて気になっていた。ネットで調べたら、日本語サイトには見つからなかったが、梵華(中華仏文化網)というサイトに全文翻刻を見つけた。日付を見ると、この展覧会のためにUPされたものらしい。すごーい。うれしーい!「花街鬧市,恣經過。喚作慈尊,又是魔。背上忽然揩只眼,幾乎驚殺蔣摩訶」というものである。
次に元代の禅僧の肖像である『中峰明本像』。見たことはあるけど根津美術館の所蔵だったかしら、と思ったら、鎌倉・明月院の所蔵だった。本展には、鎌倉の禅寺や常盤山文庫の所蔵品がいくつか出ている。中峰明本は、襟をはだけ、くつろいだ姿を描くのが約束事である。私は「笹の葉中峰」と言われるこのひとの筆跡が好き。肖像画の賛も自賛であるらしく「銭塘潮」「西湖月」という文字が拾えた。一山一寧の草書もよく、石室善玖の軽やかな『寒山詩』もよかった。冒頭の「誰家長不死」は「誰が家かとこしへに死せざらん」と読むと、いま調べて知ったが、漢字の並びを眺めていると、だいたい意味が分かる気がする。
ここまで、すでに何人もの禅僧が登場しているが、誰が中国人で誰が日本人か、誰が(中国への)留学僧で誰が(日本への)渡来僧か、なかなか覚えられない。そう思っていたら、カテゴリーと師弟関係が一目で分かる「関係禅僧系図」というパネルが掲げて非常によかった。配布してもらえないかなあ。常備のレファレンスツールとして欲しい。
後半は、さらに海を越えた禅僧の往来と交流によって生まれた尺牘(書簡)や道号偈など。鎌倉・円覚寺から『無準師範像』が来ていた。痩せ型、面長で目尻の垂れた温和な顔立ち。短い口髭と顎髭。ちょっと敗火師父(ドラマ『少林問道』の登場人物)に似ていると思ってニヤつく。
展示室2は関東の禅僧の絵画を中心に。すぐに思い浮かぶのは賢江祥啓(啓書記)である。彼は初め、仲安真康という画家に学んだが、上京して芸阿弥に師事し、足利将軍家が所蔵する唐絵に学んだ技術を関東に持ち帰った。最初の師である仲安真康の作品、画法伝授の証として与えられた芸阿弥筆『観爆図』、さらに祥啓の弟子たちの作品などが展示されている。祥啓自身の作品では、中国風の『人馬図』2幅が面白かった。あと雪村周継の『龍虎図屏風』1双を久しぶりに見ることができた。たれぱんだ並みに溶けかかっている虎がかわいい。
今回の見どころはこれで終わらない。展示室3(1階の奥)の仏像が久々に展示替えになって、地蔵菩薩3躯が出ている。いずれも個性的でよい。手前、平安時代の立像はぼんやりした表情。垂らした腕がアンバランスに長い。真ん中は鎌倉時代の立像。口角が上がっていて、明らかに微笑んでいる。溌剌とした童子のようでかわいい。一番奥は、鎌倉時代の坐像。瓔珞と透かし光背が美しく、大きな蓮華座い華奢な体を載せている。
展示室5の「切り取られた小袖-辻が花から広がる世界-」も面白かった。桃山時代・16世紀の「辻が花」と江戸初期・17世紀の「慶長小袖」の端切れ25点を展示。いずれも30センチ四方くらいに切り取ってコレクションされている。「辻が花」の絞りだけでなく、刺繍や摺箔などの技法を組み合わせて使っている。『糸のみほとけ』を思い出すような、丁寧な根気仕事。展示室6「名残の茶」は、夏から秋・冬へ季節の変化を感じさせ、『鰐口やつれ風炉』と『燈籠釡』の組み合わせが面白かった。
中世において、日本と中国の禅僧たちの交流から生まれた墨蹟と水墨画の名品を紹介する。類似テーマの展覧会は何度か見たことがあるので、あまり新しい発見はないだろうなと思いながら、やっぱり好きなので行ってきた。
冒頭には因陀羅筆『布袋蒋摩訶問答図』。力のない描線で、柳?の下で対話する二人の人物を描く。右端に楚石梵琦による賛が書き付けられていて、最初の「花街鬧市」までは読めたのだが、あとが読めなくて気になっていた。ネットで調べたら、日本語サイトには見つからなかったが、梵華(中華仏文化網)というサイトに全文翻刻を見つけた。日付を見ると、この展覧会のためにUPされたものらしい。すごーい。うれしーい!「花街鬧市,恣經過。喚作慈尊,又是魔。背上忽然揩只眼,幾乎驚殺蔣摩訶」というものである。
次に元代の禅僧の肖像である『中峰明本像』。見たことはあるけど根津美術館の所蔵だったかしら、と思ったら、鎌倉・明月院の所蔵だった。本展には、鎌倉の禅寺や常盤山文庫の所蔵品がいくつか出ている。中峰明本は、襟をはだけ、くつろいだ姿を描くのが約束事である。私は「笹の葉中峰」と言われるこのひとの筆跡が好き。肖像画の賛も自賛であるらしく「銭塘潮」「西湖月」という文字が拾えた。一山一寧の草書もよく、石室善玖の軽やかな『寒山詩』もよかった。冒頭の「誰家長不死」は「誰が家かとこしへに死せざらん」と読むと、いま調べて知ったが、漢字の並びを眺めていると、だいたい意味が分かる気がする。
ここまで、すでに何人もの禅僧が登場しているが、誰が中国人で誰が日本人か、誰が(中国への)留学僧で誰が(日本への)渡来僧か、なかなか覚えられない。そう思っていたら、カテゴリーと師弟関係が一目で分かる「関係禅僧系図」というパネルが掲げて非常によかった。配布してもらえないかなあ。常備のレファレンスツールとして欲しい。
後半は、さらに海を越えた禅僧の往来と交流によって生まれた尺牘(書簡)や道号偈など。鎌倉・円覚寺から『無準師範像』が来ていた。痩せ型、面長で目尻の垂れた温和な顔立ち。短い口髭と顎髭。ちょっと敗火師父(ドラマ『少林問道』の登場人物)に似ていると思ってニヤつく。
展示室2は関東の禅僧の絵画を中心に。すぐに思い浮かぶのは賢江祥啓(啓書記)である。彼は初め、仲安真康という画家に学んだが、上京して芸阿弥に師事し、足利将軍家が所蔵する唐絵に学んだ技術を関東に持ち帰った。最初の師である仲安真康の作品、画法伝授の証として与えられた芸阿弥筆『観爆図』、さらに祥啓の弟子たちの作品などが展示されている。祥啓自身の作品では、中国風の『人馬図』2幅が面白かった。あと雪村周継の『龍虎図屏風』1双を久しぶりに見ることができた。たれぱんだ並みに溶けかかっている虎がかわいい。
今回の見どころはこれで終わらない。展示室3(1階の奥)の仏像が久々に展示替えになって、地蔵菩薩3躯が出ている。いずれも個性的でよい。手前、平安時代の立像はぼんやりした表情。垂らした腕がアンバランスに長い。真ん中は鎌倉時代の立像。口角が上がっていて、明らかに微笑んでいる。溌剌とした童子のようでかわいい。一番奥は、鎌倉時代の坐像。瓔珞と透かし光背が美しく、大きな蓮華座い華奢な体を載せている。
展示室5の「切り取られた小袖-辻が花から広がる世界-」も面白かった。桃山時代・16世紀の「辻が花」と江戸初期・17世紀の「慶長小袖」の端切れ25点を展示。いずれも30センチ四方くらいに切り取ってコレクションされている。「辻が花」の絞りだけでなく、刺繍や摺箔などの技法を組み合わせて使っている。『糸のみほとけ』を思い出すような、丁寧な根気仕事。展示室6「名残の茶」は、夏から秋・冬へ季節の変化を感じさせ、『鰐口やつれ風炉』と『燈籠釡』の組み合わせが面白かった。