見もの・読みもの日記

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見た目から読む/日本の中世文書(国立歴史民俗博物館)

2018-11-03 22:20:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立歴史民俗博物館 企画展示『日本の中世文書-機能と形と国際比較-』(2018年10月16日~12月9日)

 日本の中世文書の全体像が学べる総合的な中世文書展。古代から現代までを視野に入れた日本の「文書史」になっており、東アジアの文書との比較によって、国際的な視点から日本の文書の特徴も理解できる。展示件数約260点は「初の総合的中世文書展」となった2013年の『中世の古文書』展の約220点を上回るという。前回展示は残念ながら見逃している。ちょうど札幌に住んでいた時期で、東京近県の展覧会を気楽に回れなかったのだ。

 「プロローグ」では、口頭伝達から文書への変化を考える。文書による意思伝達が一般化するのは、701年の大宝律令以降であるが、それ以前から天皇の命令を伝える「宣命」など口頭伝達に基づく文書資料が存在した。次に古代律令国家の文書について、天皇の願文、太政官符、写経司から校生への告文など、各種文書を見ていく。正倉院文書の複製がいろいろ出ていて、そういえば歴博は、正倉院文書の複製費用をクラウドファンディングで募っていたことを思い出した。あと文化庁保管の太政官符に大伴家持の署名があるものが出ていてびっくり。

 中世になると律令の文書形式は形骸化して、公印のない「下文」が多用されるようになり、綸旨や院宣など権力者の「奉書」が公的な文書として機能するようになった。院政期・鎌倉以降の文書が多々並ぶ中で、面白かったのは『高山寺旧蔵聖教紙背文書屏風』。35通の紙背文書を貼り付けた六曲一双屏風で、八条院暲子の女院庁に集積されたものと見られている。源義経の自筆文書に加え、沙弥重蓮(平頼盛!)、平宗盛の書状もあった。宗盛の書状は癖のある仮名書きで、宛先の右兵衛督は平時忠だという。平家贔屓の私にはまぶしいくらい眼福だった。

 いよいよ本格的な武家文書の登場。解説を読んで、どういう形式が尊大で、どういう形式が丁寧かを初めて理解する。袖判(文書の右端に花押)が最も尊大な態度を示すことは直感的に分かるが、日下花押、日下署判などの形式があり、北条泰時と時房が藤原(九条)道家に宛てた書状では、花押を本紙の裏側に据えている(非常に丁寧)。充所(あてどころ、宛名)を事書(ことがき、冒頭の件名)の中に織り込んでいるか、最後に充所を置くか、充所の位置が日付より高いか否か、書き止めに「謹言」「恐々謹言」などの文字があるかなど、チェックポイントが少し分かるだけで、本文が完全には読めなくても、文書から得られる情報がずいぶん変わる。私的な書状は月日だけを記すのが一般的だが、公的な書状には付年号を使用し、書下年号(年月日を一行にしたもの)は厚礼の表れである。また、15世紀半ばにあると室町幕府奉行人が百姓宛てに発給した奉書が現れる。料紙は折紙、奉行人の署名は実名書、年号は付年号という薄礼の形式であるが興味深い。

 さらに、土地売券や譲状、起請文などを文書の機能別に見て行く。京都の「六角室町屋地」の売買・譲与に関する古文書コレクションが面白かった。多数の女性が登場し、女性も花押を用いていたことが分かる。公家の家伝文書の例として、広橋家の改元関係の資料が出ていたのはタイムリーだと思った。

 次に戦国大名などが用いた印判に注目する。武田信玄、織田信長、豊臣秀吉など有名どころの印判状が並ぶ中で、初めて見たのは千葉家黒印で、JALのマークみたいな、かわいい鶴丸印だった。戦国武将の印判状は日付の下に印判を置くことが多いが、北条氏だけは日付全体または日付の上半分にかかるように北条家の家印「緑樹応穏」の朱角印を押した。この方式は、当時の東アジアでは一般的だったが、日本では北条氏とその影響下にあった関東の一部の大名だけが用いたという。へええ、北条家えらい! あと世田谷のボロ市の起源が、北条氏政が世田谷新宿に発給した掟書(楽市掟書)にあるというのも初めて知った。

 実は前半で、もっと東アジア各国の文書との比較があればいいのに、と思っていたのだが、この点は最後のセクションにまとめてある。中国(明皇帝)の外交文書は、当たり前だが実に美麗。表装も豪華だが、文字が美しくて気持ちよい。朝鮮の文書はとにかくデカくて笑った。そして豊臣秀吉は、この朝鮮の文書の影響を受けて、大判で厚い料紙(大高檀紙)を使うようになったという推測は、いかにもありそうだと思った。琉球、安南の文書もあり。さらに写真のみの展示であったが、イルハン王朝(イラン、13世紀)は、モンゴルを通じて中国の影響を受けた文書を作成しており、まるで東アジア文書のように、朱方印が本文のあちこちに押されていた。

 最後に近現代に受け継がれた文書の形として、旧侯爵木戸家資料のいくつかと、同館で使われている「出張願」(だったと思う)の書類が展示されていたのも面白かった。
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