〇臨済宗・建長寺派大本山 建長寺(鎌倉市山ノ内)
宝物風入れ、続いては建長寺。ここも2014年と2011年に訪ねているので、リンクを貼っておく。建長寺は入山料500円+風入拝観料500円とちょっとお高め。しかもご朱印が3種用意されていて、「大覚禅師」と「最明寺殿」は風入れ限定、「達磨大師」は平成30年(2018)限定だという。これは3種(300円×3)いただいていくしかない…。ネットで調べたら、このシステムは2016年から始まったらしく、1年限りのご朱印として「杉谷弁財天」(2016)「伽藍神」(2017)が頒布されている。いずれも風入れの会場で拝観できる仏像・仏画だ。え~来年は何だろう。
大玄関を入ると、左手が方丈、右手方向に「第1会場」の案内がある。そうそう、建長寺は客殿(紫雲閣)の2階が第1会場だった、と思って階段を上がる。広い座敷を展示ケースなどで区切って、ジグザグ式の巡路が設定されている。すぐ目につくのは青磁の大花瓶。頬骨の張った四角い顔の伽藍神もいる。銅製の誕生仏(ただし江戸時代)があるかと思えば、蒔絵箱や茶釜があり、元代の『蓮華図』、明代の『牡丹図』、江戸時代の『関羽図』など、脈絡なく並んでいる感じが、宝物風入れというより道具市みたいで楽しい。文書は、足利尊氏の御教書(長寿寺宛て)や尊氏・持氏御教書(覚園寺宛て)なども建長寺に伝わっているのが興味深かった。
進んでいくと、座敷の突き当りの床の間が目に入った。大きな白い壁に「墨痕淋漓」という表現がふさわしい、力強い文字。もしやと思ったらやっぱり、金澤翔子さんの書だった。「四十九年一字不説」と読めた。あとで調べたら、悟りを開いた釈尊が、49年間説法を続けたのち、最後に「一字不説(私はひとことも喋っていない)」と述べたという説話に基づくそうだ。さらに金澤翔子さんは、毎年ゴールデンウィークに建長寺で個展を開いていることも初めて知った。うれしい。
この墨書の前には、フェルトっぽい緋毛氈の上に、銅製のファンキーな獅子形大香炉、宝冠釈迦如来坐像(南北朝時代、ときどき国宝館に出ている)、そして北条時頼坐像が並んでいた。私も畳に座って、小さな北条時頼坐像と向かい合うと、なんだか親しみが湧いてきて可笑しい。
第1会場を出ると、廊下伝いに並びの座敷に「第2会場」の案内がある。ここは得月楼の2階で、紫雲閣よりさらに新しい感じがした。冒頭の『建長寺伽藍指図』(延宝6/1678年)は、茶色と緑色で描かれた境内の樹々など、実景が想像できて楽しい。「〇〇跡」という表記が目立つなあと思ったら、荒廃した当時の建長寺を見た徳川光圀が、のちの再興の手本とするため記録させたのだという。大変よろしい。あと、外門や三門の額拓本が残されており、明の崇禎元年、竹西という書家によって揮毫されたことを知った。また、宝物風入れの守護神である『白澤図も』あった。隣りが『狸和尚図』だったので、不思議に思ったが、勧進にまわった狸和尚が、旅先で白澤の図を描いて残したという言い伝えがあるそうだ。
顎のとがった、個性的な面貌の『蘭渓道隆像』(国宝)もあり。一方、木造の坐像は、絵画よりだいぶ穏やかな風貌をしている。この木像は、ふだん仏殿に安置されているが、毎年7月23-24日の開山忌には赤い輿に乗せられ、多くの僧侶とともに巡堂するそうだ。添えられた写真を見て、ぜひ一度、参加してみたいと思った。そのとき、近くにいたお客さんがお坊さんをつかまえて「開山忌って以前は8月だったよね?」と聞いていた。忌日は旧暦の7月24日で、太陽暦の8月に行っていたが(旧盆みたい)2014年から7月に変更したらしい。「我々もまだ体が慣れません」とお坊さんが笑っていた。
面白いお話を聞かせてもらったなあと思いながら階下へ下りる。紫雲閣の1階は休憩室で、今年もけんちん汁の販売が行われていた。方丈が暗くて静かなので、あれ?と思ったが、近づいてみると何もやっていない(ぐるりと拝観はできる)。ええ~初めて来た2008年は、むしろ方丈がメイン会場で、客殿は付け足しみたいな感じだったのに。前回2014年も、方丈で大きな涅槃図を見せてもらい、お坊さんの説明を聞いたのに。たぶんお客さんが増えたので、広い客殿に場所を移すようになったのだろう。そのほうが快適で安全なのは間違いない。でもあの独特の風情を体験できなくなるのは少し残念である。
この日は残念ながら雨だったが、東北復興支援を目的としたお店が境内に出ていた。法堂の横で肉まんを買って、おそれ多くも法堂の裏に座って食べる。禅寺に肉まんは不似合い?と思ったが、開山の蘭渓道隆和尚は四川の人だったことを思い出し、まあいいかなと思い直した。
宝物風入れ、続いては建長寺。ここも2014年と2011年に訪ねているので、リンクを貼っておく。建長寺は入山料500円+風入拝観料500円とちょっとお高め。しかもご朱印が3種用意されていて、「大覚禅師」と「最明寺殿」は風入れ限定、「達磨大師」は平成30年(2018)限定だという。これは3種(300円×3)いただいていくしかない…。ネットで調べたら、このシステムは2016年から始まったらしく、1年限りのご朱印として「杉谷弁財天」(2016)「伽藍神」(2017)が頒布されている。いずれも風入れの会場で拝観できる仏像・仏画だ。え~来年は何だろう。
大玄関を入ると、左手が方丈、右手方向に「第1会場」の案内がある。そうそう、建長寺は客殿(紫雲閣)の2階が第1会場だった、と思って階段を上がる。広い座敷を展示ケースなどで区切って、ジグザグ式の巡路が設定されている。すぐ目につくのは青磁の大花瓶。頬骨の張った四角い顔の伽藍神もいる。銅製の誕生仏(ただし江戸時代)があるかと思えば、蒔絵箱や茶釜があり、元代の『蓮華図』、明代の『牡丹図』、江戸時代の『関羽図』など、脈絡なく並んでいる感じが、宝物風入れというより道具市みたいで楽しい。文書は、足利尊氏の御教書(長寿寺宛て)や尊氏・持氏御教書(覚園寺宛て)なども建長寺に伝わっているのが興味深かった。
進んでいくと、座敷の突き当りの床の間が目に入った。大きな白い壁に「墨痕淋漓」という表現がふさわしい、力強い文字。もしやと思ったらやっぱり、金澤翔子さんの書だった。「四十九年一字不説」と読めた。あとで調べたら、悟りを開いた釈尊が、49年間説法を続けたのち、最後に「一字不説(私はひとことも喋っていない)」と述べたという説話に基づくそうだ。さらに金澤翔子さんは、毎年ゴールデンウィークに建長寺で個展を開いていることも初めて知った。うれしい。
この墨書の前には、フェルトっぽい緋毛氈の上に、銅製のファンキーな獅子形大香炉、宝冠釈迦如来坐像(南北朝時代、ときどき国宝館に出ている)、そして北条時頼坐像が並んでいた。私も畳に座って、小さな北条時頼坐像と向かい合うと、なんだか親しみが湧いてきて可笑しい。
第1会場を出ると、廊下伝いに並びの座敷に「第2会場」の案内がある。ここは得月楼の2階で、紫雲閣よりさらに新しい感じがした。冒頭の『建長寺伽藍指図』(延宝6/1678年)は、茶色と緑色で描かれた境内の樹々など、実景が想像できて楽しい。「〇〇跡」という表記が目立つなあと思ったら、荒廃した当時の建長寺を見た徳川光圀が、のちの再興の手本とするため記録させたのだという。大変よろしい。あと、外門や三門の額拓本が残されており、明の崇禎元年、竹西という書家によって揮毫されたことを知った。また、宝物風入れの守護神である『白澤図も』あった。隣りが『狸和尚図』だったので、不思議に思ったが、勧進にまわった狸和尚が、旅先で白澤の図を描いて残したという言い伝えがあるそうだ。
顎のとがった、個性的な面貌の『蘭渓道隆像』(国宝)もあり。一方、木造の坐像は、絵画よりだいぶ穏やかな風貌をしている。この木像は、ふだん仏殿に安置されているが、毎年7月23-24日の開山忌には赤い輿に乗せられ、多くの僧侶とともに巡堂するそうだ。添えられた写真を見て、ぜひ一度、参加してみたいと思った。そのとき、近くにいたお客さんがお坊さんをつかまえて「開山忌って以前は8月だったよね?」と聞いていた。忌日は旧暦の7月24日で、太陽暦の8月に行っていたが(旧盆みたい)2014年から7月に変更したらしい。「我々もまだ体が慣れません」とお坊さんが笑っていた。
面白いお話を聞かせてもらったなあと思いながら階下へ下りる。紫雲閣の1階は休憩室で、今年もけんちん汁の販売が行われていた。方丈が暗くて静かなので、あれ?と思ったが、近づいてみると何もやっていない(ぐるりと拝観はできる)。ええ~初めて来た2008年は、むしろ方丈がメイン会場で、客殿は付け足しみたいな感じだったのに。前回2014年も、方丈で大きな涅槃図を見せてもらい、お坊さんの説明を聞いたのに。たぶんお客さんが増えたので、広い客殿に場所を移すようになったのだろう。そのほうが快適で安全なのは間違いない。でもあの独特の風情を体験できなくなるのは少し残念である。
この日は残念ながら雨だったが、東北復興支援を目的としたお店が境内に出ていた。法堂の横で肉まんを買って、おそれ多くも法堂の裏に座って食べる。禅寺に肉まんは不似合い?と思ったが、開山の蘭渓道隆和尚は四川の人だったことを思い出し、まあいいかなと思い直した。