〇雑誌『芸術新潮』2019年8月号「特集・ゆるかわアート万博」 新潮社 2019.8
「ゆるかわアート誌上万博」と称して、日本・東洋・西洋の3つのパビリオンにふさわしい作品をそれぞれの分野の識者が選ぶ企画。その前に、近年、出雲・日御崎神社の宮司家邸内社から発見された木造神像7体(出雲文化伝承館)の写真を添えた「世界ゆるかわアート宣言」7ヵ条。「われわれは具象表現である」「われわれは本物そっくりではない」「われわれは偉そうではない」「われわれはゴージャスでもない」「テクニックのうまいへたは問わない」「『ゆるかわ』を狙っている、いないも問わない」「なにより、見る者をほっこりさせるものである」は、いちいち頷かせるなと思った。
日本パビリオンの選考委員は、『日本の素朴絵』展の矢島新さんと『へそまがり日本美術』展の金子信久さん。そうだよね!今、このお二人の対談が読めることに心から感謝したい。2つの展覧会に出品された作品の図版がたくさん掲載されている。『かるかや』に『つきしま』、日本民藝館の『十王図屏風』、徳川家光の『鳳凰図』(ピヨピヨ鳳凰)や遠藤曰人『杉苗や』(ツル3兄弟)、風外本高『涅槃図』などが大きな図版で嬉しい。矢島先生がゼミ生に、どれが一番面白かったかと聞くと、『杉苗や』が圧勝だったそうだ。風外本高『涅槃図』も人気だった由。分かるな~。
おふたりの「ゆるかわ」好みには少し異なるところがあって、金子先生は芦雪の子犬を推すけど、矢島先生は応挙の子犬のほうが好きだという。この例に限らず、私は金子先生に共感することが多いように思う。日本美術史の中で「素朴/ゆるかわ」をどのように着地させるかについては、示唆的な発言がいろいろされている。矢島先生の、日本絵画の歴史はいかにリアリズムから離れるかにあり、そのベクトルが素朴に向かう場合もあれば、琳派みたいなデザイン性に向かうこともある、という発言。江戸時代に花開いた「ゆるかわ」の価値に気づかず、明治はファイン・アートに突っ走ってしまったが、またゆるんでくるのが大正時代、とか。金子先生の、江戸時代は仏教がいろいろな創作を生み出す一つの母体だった、という指摘も聞き逃せない。
あと立体作品について、『日本の素朴絵』展に出ていた埴輪『猪を抱える漁師』が「古墳時代のビートたけし」だという指摘には笑ってしまった。気づかなかった自分が信じられない。
東洋パビリオンは板倉聖哲先生が選考。『安晩帖』には異議なし。明・沈周の『写生冊』(故宮博物院)はよいなあ。丸まったネコがかわいい。ちゃんと「太上皇帝」(乾隆帝?)の朱印があるのが微笑ましい。日本民藝館所蔵の『瀟湘八景図』「洞庭秋月」は以前から好きな作品なのだが、画面右端に足から上がすぐ首のような、ヘンな人物がいるのが全然気づいていなかった。今度、よく見てこよう。全体として中国・朝鮮の民画には、素朴な表現はあっても、「ゆるかわ」あらため、日本的な「ふにゃかわ」は少ない気がする。
西洋パビリオンは加藤磨珠枝さんと沼田英子さんが選考。まあ古代の造型や中世写本の挿絵は置いておいて、近代以降はアンリ・ルソーやパウル・クレーやマティス。やっぱり西洋美術と「ふにゃかわ」は、あまり相性がよくないようだ。
第二特集は「李公麟《五馬図巻》が日中の絵画史を書き換える」で、橋本麻里さんが板倉聖哲先生に聞く。ページをめくったら、私の大好きな『随身庭騎絵巻』(大倉集古館)の写真があって、《五馬図巻》のエッセンスを受け継ぐ作品が日本にもたらされていたのではないか、との指摘にちょっとわくわくした。そして、昨年の『顔真卿展』に展示された《五馬図巻》であるが、なんと東京国立博物館に寄贈されていたという消息を初めて知った。え!マジか! 宣統帝溥儀の教育係だった陳宝琛が持ち出し、日本に渡り、1928年の昭和天皇御大典祝賀記念の展覧会に展示され、その後、行方が分からなくなっていたという来歴も小説のようだ。図巻はこれから修復作業に入り、数年後にあらためて我々の前に姿を現すだろうという。その日を静かに待っていよう。