見もの・読みもの日記

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我が名は武則天/鋼鉄紅女(シーラン・ジェイ・ジャオ)

2023-10-05 22:14:54 | 読んだもの(書籍)

〇シーラン・ジェイ・ジャオ;中原尚哉訳『鋼鉄紅女』(ハヤカワ文庫) 早川書房 2023.5

 人類の遠い未来の物語。華夏の人々は長城の中で暮らしていた。長城の外に広がる荒野からは、しばしば渾沌の群れが攻め寄せてきた。迎え撃つ人類解放軍の主力は霊蛹機。7、8階建てのビルほどもある巨大な戦闘機械である。パイロットは座席にしこまれた鍼を通じて気を送り込み、機体を操縦する。ただしひとりで操縦することはできない。陽座に座る男性パイロットとともに、陰座に座る妾女パイロットが必要である。しかし妾女パイロットは、男性パイロットに気を吸い上げられて、一度の出撃で命を落とすことが常だった。

 辺境の村娘・武則天の姉も、九尾狐のパイロット・楊広の妾女パイロットとなって死んでしまった。主人公の「あたし」=武則天は、姉の仇をとるため、妾女パイロットに志願し、逆に霊圧で楊広を圧倒して彼を死に至らしめる。諸葛亮軍師、司馬懿謀士は、尋常でなく高い霊圧を発揮した武則天を、朱雀のパイロット・李世民と組ませることにする。霊蛹機では妾女パイロットは使い捨てだったが、例外的に「匹偶」と認められた、霊圧の高い男女のパイロットがいた。白虎に乗る楊堅と独孤伽羅、玄武に乗る朱元璋と馬秀英などである。

 武則天には高易之という思い人もあり、アルコール依存症で父親殺しの李世民には、なかなか心を許さなかった。しかし李世民の不幸な前歴を知り、その傷つきやすい優しさに次第に惹かれていく。李世民は文徳という女性パイロットを失ったことをずっと悔いていた。やがて武則天は奇妙な事実に気づく。女子の霊圧は男子より強く感知されることがあるのだ。男子より霊圧の高い女子は実際に存在するのではないか。霊蛹機の操縦システムが女子に不利になるように設定されているのではないか。そして安禄山謀士の告白によって、彼女の推測が正しいことが判明する。

 多くの人々を不幸にしてきたシステムを破壊し、世界を変えるために、武則天と李世民、そして易之は立ち上がる。李世民は易之にも惹かれていた。男女が1対1のペアでなければならないという思い込みを笑うように、3人は最強の関係を作り上げた。

 けれども武則天の敵は人類解放軍の中にいた。渾沌たちとの戦闘の中、朱雀を飛び出した武則天は、荒野に眠る伝説の皇帝将軍・秦政を目覚めさせ、彼の霊蛹機・黄龍に乗って戦場に舞い戻る。黄龍の前に世界中がひれ伏そうとしたとき、易之が、信じられてきたこの星の歴史をくつがえす発見を告げる。さらに「天庭」からの指令によって、物語は幕引きとなる。いや、なんで!? ここから真の大冒険が始まると思ったのに。秦政(始皇帝)と武則天がペアになって黄龍に乗るという構図だけで、ぞくぞくするほど期待が高まったのに、残念。

 本作には、中国の歴史上の著名人の名前がキラ星のごとく敷きつめられている。むろん名前を借りただけではあるけれど、著者が「この本の則天はまったく異なる世界のまったく異なる環境で生きる人間として描きなおされている。でもその精神や考えが史実の人に反しないことを願っている」と述べているとおり、どこかに歴史や伝承のイメージが漂っているのが楽しい。個人的には司馬懿謀士のキャラが、怒りっぽくて情に厚く、人間味のあるところ、いかにも司馬懿らしくてツボだった。李世民は、こういう繊細な青年として思い浮かべたことはなかった。文徳は李世民(唐太宗)の皇后の名前だったかな?と調べたら、文徳皇后は賢后として名高く、彼女の死後、太宗は皇后を立てず、その陵墓を眺め暮らしたという逸話が出て来た。本作は、こういう史実/伝承の使い方が絶妙に巧い。あと、司馬懿の指導で、武則天と李世民がパートナーとして気持ちを合わせるための修行のメニューの中に、当然のようにアイスダンスが入っているのが面白かった。確かに中国文化の文脈的にはフィギュアスケートのカップル競技って、二人の「気」を合わせているように見えることがある。

 しかし『三体』を生んだ中国SF(著者は中国出身、幼少期にカナダへ移住)、あんな作品もあれば、こんな作品もあるという豊かさが、とてもよい。2021年発表の本作が速やかに日本語で読めるのも幸せなことだと思う。

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