見もの・読みもの日記

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美と志の財宝/新唐詩選(吉川幸次郎、三好達治)

2020-10-24 23:54:55 | 読んだもの(書籍)

〇吉川幸次郎、三好達治『新唐詩選』(岩波新書) 岩波書店 1952.8

 2019年は中国ドラマ『長安十二時辰』に夢中になって、唐代に関する書籍を読み漁った。この夏、WOWOWでそのドラマ(日本語字幕つき)が『長安二十四時』というタイトルで放映されたので、WOWOWを見ることのできない私は、ネットで中国語版を再視聴していた。ドラマでは、いくつかの唐詩が印象的に使われている。特に劇中でもエンディングテーマでも、旋律にのせて歌われる李白の詩が素晴らしく魅力的で、ああ、もう一度、唐詩を読みたいと思ったのだ。

 漢詩(唐詩)を初めて習ったのは、中三の国語の教科書で、杜甫の「絶句」(江碧鳥愈白)だったと思う。いや「奥の細道」の関連で出てきた「春望」(国破山河在)だったかもしれない。高校に入ると、教科書で習う以上に唐詩を読みたくて、目についた文庫や新書を片っ端から読んでいた。本書もその頃に読んだ記憶のある1冊である。

 前編では、中国文学者の吉川幸次郎氏が、唐詩を代表する三人の作品、杜甫15首、李白29首、王維12首と、孟浩然、常健、王昌齢、崔国輔を1~2首ずつ紹介する。後編は詩人の三好達治氏が、興のおもむくまま30首あまりを紹介する。

 学者が論ずる前編は固いだろうと思われるかもしれないが、全然そんなことはない。私は吉川先生の講釈によって唐詩にハマり込んだようなものだ。教科書や参考書の現代語訳に登場する杜甫の自称は「私」か、老人くさい「わし」になるだろう。吉川訳の杜甫は「おれ」を自称する。「内乱の悲しみと、生活の苦しみとで、くたくたになったおれではあるけれども、しかしおれの『飛動の意』はもえつくしてはいないのだ」(高式顔に贈る)のごとく。「一生憂う」と言われる杜甫だが、吉川訳で読んでいると、その「情熱」「線の太さ」「ますらおの心」を感じることができる。だいたい、杜甫が安禄山の反乱によって流浪生活を始めるのが46歳ということは、今の私より若いと分かって愕然とした。

 もちろん訓詁(語義の解釈)も丁寧で、たとえば「春望」の「国破山河在」の「破」は敗戦の意でなく、「国家の機構が解体して、狂人が出たらめにはさみを入れた紙ぎれのように、ぼろぼろになってしまったこと」のように、一文字(中国語では一語である)ごとに的確な比喩を用いてイメージを解き明かしていくことにより、作品の視覚的な印象が強まり、意味も明らかになる。

 杜甫15首の最後に取り上げられているのは「茅屋の秋風に破られし歎き」で、いつか天下の寒士(社会の不公平に悩む貧乏人)を全て迎え入れるような、大きなどっしりした家が現れないものか、と杜甫は夢想する。吉川氏がこの注釈に、千年後のわれわれは、そうした大きな家を作るべき機運に向かいつつある、と書いたのは、新中国の成立を見ての感慨だろうか。残念だが、共産主義中国も天下の寒士を容れるには不十分であり、杜甫の願いはまだ実現していない。

 李白の詩はどれもよいが、それ以上に吉川氏の李白評がよい。「たち切りにくい人生の憂い。しかしそれあるが故にこそ、李白は、快楽にむかって、おおしく立ち上がる。地ひびきをたてて、立ちあがる」。まさにそれだ。李白は白いものが好きで、動物、特に野鳥が好きだったのだな。思い出した。

 杜甫、李白、王維。唐詩は多くの作品が、自分の心情を持ち出すことは最小限にして(例外もある)、眼前の風景を的確な措辞で表現することに力を尽くしている。杜甫の「白帝城の西は過雨の痕/返照は江に入りて石壁に翻り」(返照)とか、王維の「泉声は危石に咽び/日色は青松に冷かなり」(過香積寺)を読みながら、ああ、これは正岡子規の写生と同じだと感じた。

 後編の三好達治氏は、かつて少年の頃、そらんじていた華麗な長詩を冒頭に引き、年少者が詩を愛するのは一種こういう艶美なものから入るのが階程として自然なことだと述べる。そうかもしれない。別に誰もが杜甫、李白から始めなくてもよいと思う。後編には、高適、賀知章、岑参なども取り上げられていてうれしい。「嚢中自(おのずか)ら銭有り」は賀知章の詩句だったか。「郷に回りて偶書」(少小離郷老大回)が載っていて嬉しかった。岑参の「古鄴城に登る」「胡笳歌:顔真卿が使して隴西に赴くを送る」も味わい深い。


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