見もの・読みもの日記

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絵描きは絵描き/月岡芳年(太田記念美術館)

2012-11-21 23:49:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
浮世絵太田記念美術館 特別展『没後120年記念 月岡芳年』(2012年10月2日~11月25日)

 月岡芳年(1839-1892)は、ずいぶん昔から好きな画家のひとりだ。たぶん大学生の頃、歌川国芳を覚えたのと同じ頃に、名前を覚えたと思う。いま、太田記念美術館のサイトのトップページを飾っている『芳流閣両雄動』は、最も早い時期に好きになった作品のひとつだ。縦長の画面を効果的に使って、犬塚信乃と犬飼見八の出会い(決闘)の一瞬を描いている。ぐいと体をひねった見八のカッコよさにほれぼれした。

 『奥州安達がはらひとつ家の図』を代表作とする無惨絵の描き手であることも、なんとなく知識としては知っていたが、「血まみれ芳年」と言われた血みどろ絵を、これだけまとめて見たのは、初めてではないかと思う。新聞錦絵のイメージが強かったが、歌舞伎狂言や歴史上の人物を題材にした作品が多いことを初めて認識した。同時に、近世の歌舞伎(および浄瑠璃)って、血みどろ芝居が多いんだなあ、と思った。泰平の世の中だとこうなるのだろうか。

 山口晃さんは著書『ヘンな日本美術史』の中で、芳年は途中から、劇的に上手くなる、と述べていたので、今回、作品の描かれた年代に注意しながら眺めてみた。素人目には、慶応年間の血みどろ絵など、じゅうぶん上手いように見える。だが、明治初期の新聞錦絵は、確かに私から見ても、残念な作品が多い。その理由は、やっぱり、慣れ親しんだ浮世絵の作画法を離れて、新しい人体の描き方を模索していたためではないかと思う。

 それが、明治10年代の後半くらいから(山口さんは明治7、8年頃から、という)俄然、ポーズが決まり始める。冒頭に挙げた『芳流閣両雄動』も明治18年(1885)の作で、54歳で没した芳年にとっては、晩年の作だ。この画を含め、明治18~22年(1885~89)に、芳年は竪(たて)二枚続の作品をシリーズで刊行している。無残絵あり、武者絵ありで、テーマにもテイストにも全く統一感がないのに、傑作揃いなのがすごい。

 その中の一枚『袴垂保輔鬼童丸術競図』(明治20年)は、完成形の錦絵もいいのだが、肉筆の下絵がまた、ヨダレが出るほどいい…。この写真版を、図録の裏表紙に用いた気持ちはよく分かる。横長三枚続の『曽我時致乗裸馬駆大磯』の下絵も魅力的だった。描く快楽に身をまかせている芳年の幸福感と高揚感が伝わってくる感じだ。この頃まで、芳年の描く人物は、縦長とか横長とか、わざと窮屈な空間に閉じ込められて、身をよじることで、生命力や躍動感を噴出させている感がある。

 それが、さらに最晩年の作品になると、むしろピタリと静謐な「止め」のポーズなのに、いわくいいがたい色気があふれている。『岩倉の宗玄 尾上梅幸』とか『市川三升 毛剃九右衛門』(明治23年/1890)とか、好きだなー。

 芳年の美人画(女性画)というのも、あまり意識したことがなかったが、利発そうで愛らしい。神話などに題材を取った歴史画、同時代の西南戦争に取材したシリーズなど、芳年のさまざまな面を知ることができて、面白かった。山口さんの本に出ていた『当世西優妓 桐野利秋』は見ることができるかと思ったが、なかった。まだまだ私の見てない名品がたくさんあるんだろうな…という思いを新たにした。

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