見もの・読みもの日記

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週末秘仏の旅(2):東大寺修二会(3/7小観音出御)

2009-03-09 23:38:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
東大寺二月堂 修二会

 修二会には何度も来ているつもりだったが、このブログを検索してみたら、2005年にお松明を見たのが最後だった。そうか、4年も来ていなかったか。修二会を初めて聴聞したのは、20年以上も前になる。奈良のガイドブックを読んで(当時は「読む」ガイドブックが主流だった)小林秀雄が韃靼(だったん)の行法を「バッハだ」と賞したというのに惹かれて、3月14日に参籠した。人の流れに押されるまま、正面の局に入り込んで、深夜までそこにいた。その後も、さまざまな友人と来たり、ひとりで来たりしている。

 2000年頃だと思うが、久しぶりにひとりで14日に参籠した。北側の局(つぼね)に座っていたが、クライマックスの韃靼のとき、内側の下陣(げじん)に電灯が灯っているのに気づいた。観光客への配慮?安全確保のため? 燈明のかたちを模した小さな電灯ではあったけど、興を削がれること甚だしかった。さらに、まわりの客が一斉にフラッシュを焚いて、写真を撮ろうとすることに腹が立った。下陣の客(むろん男性)が無遠慮に立ち上がるので、いちばん外側の局からは、内陣の様子がよく見えないことにもフラストレーションがたまった。むかしはもっと荘重で宗教性の高い儀式だったのになあ、と思って、ひどくガッカリした。

 今年は、人気の高い12-14日を避けて、前半(上七日)を狙うことにした。上七日の最終日にあたる3月7日は、本尊が入れ替わる「小観音出御」の日として知られる。具体的に何が行われるのかは、サッパリ分からなかったが、ネットで入手した日程表には、18:00「小観音出御」とあったので、これに間に合うよう、東大寺に向かった。境内はお松明を待つ人たちでかなり埋まっていたが、二月堂に上がってみると、思ったほど混んではいない。警備のおじさんに「局に入ってもいいですか?」と聞いてみると「いいけど。18:00ちょっと前から19:30過ぎまでは外に出られませんよ」とのこと。了解して、お堂の背面(東)の局に上がり込む。二十畳ほどの細長い座敷だ。二重の格子戸を通して、内陣の荘厳を整える僧侶たちの姿が見える。まもなく背後の扉が閉じられ、先客だったおじさんが出て行くと、私は暗闇の中でひとりきりになった。外では「境内は大変混雑しています。参観のお客様は第二会場にお進みください」という放送が、繰り返し流れている。
 
 18:00になると、左手(南)から、沸き上がるように雅楽の演奏が響いてきた。「小観音出御」らしいが、オモテで何が起きているのかは皆目不明。ひたすら耳を澄ます。19:00になると遠くでくぐもるような鐘が鳴り、堂内で「案内つかまつれ」「かしこまって候」(?)というような問答が2回、聞こえた。それから、外で大きなどよめきが起こり、パチパチと松明がはぜる音、高らかな沓音によって、練行衆が入堂したことが分かる。内陣の燈明が増え、外陣の中央に吊るされたカンテラにも大きな燈火が点されて、少し視界が明るくなり、室内に松脂の(?)甘い香りが立ち込める。お松明を見終えた人たちが局に入ってくるが、懐中電灯や高声の会話をたしなめる声が飛ぶ。下陣のお客も、マナーよく床に座ってくれるのでありがたかった。

 局はすぐに静かになった。正面(西)だと、なかなか扉を閉めてくれないので、外の雑音がうるさくて声明が聞き取りにくいのだが、後ろ(東)は、暗闇の中で「聴聞」に集中できてよい。修二会の音楽は、ほら貝も鈴の音も、高音と低音のかけ合いであることにあらためて気づく。20:30頃に最初のクライマックスの「宝号」(南無観)を聴く。あっという間だった。ゆったり流れる神名帳を聴き、22:30頃に2度目の「南無観」を聴く。私の好きな、咒師(しゅし)の活躍するパートもこのあたり。聴き慣れた歌劇を聴くように、ちょっと美声すぎるなあ、などと思う。

 23:00を過ぎて、ちょっと時間が気になり出した。私は、自分の精神力が0:00までは持たないだろう、と予測していたのだ。ところが、全く疲れないし、飽きない。こんなことなら、宿の門限をよく確認してくるんだった。どうしよう…。と気を揉んでいると「ごめんね。邪魔しないから」と大きなカメラを抱えたおじさんが、私の隣りに入り込んできた。夕方にもパチパチ写真を撮りまくっていて、無粋なおじさんだな、と思っていたが、見ると首から四角い札を下げている。「報道の方ですか?」とお聞きすると「いや、記録を撮ってるのよ」とおっしゃる。「このあと、何が起きるんですか?」と聞いてみると、「小観音後入(ごにゅう)よ。夕方、ここからお厨子が出ていきはったでしょ」と言うが、暗くてよく分からなかった。局の正面中央をキープしていた私は、「今日はずっとこの場所? いちばんいい場所やわ」と褒められた。下役の僧侶たちによって、下陣に吊るされていたカンテラが下ろされ、長い柵が左右に取り除けられた。これから「何か」が起こることは間違いない。

 また声明が始まった。3度目の「南無観」の声に、私がうっとりと目を閉じかけていたとき、両隣のカメラマンのおじさんが立ち上がった。はっと前を見ると、内陣の格子戸に背を押しつけるようにして立つ2人の僧侶の影。格子戸のサン(横枠)を両手でつかみ、体を大きく前後に揺らす。まるで、堂内から飛び出そうとする、大きな力に抗うようなパフォーマンスだ。2度、3度、大きく床を踏みならす沓の音は、いつまで続いたのだったか。「ありがとう」と小声を残して、カメラマンのおじさんはいなくなってしまった。目の前の僧侶の黒い影も、夢のように消え失せた。茫然。何だったんだ、今のは…。

 時刻は0:30を過ぎた。どうしよう、まだ声明は続いているが、このあとに見るべきものがあるのかどうか、よく分からない…。結局、私はここで席を立ち、深夜の東大寺境内をトボトボと通り抜けて、1:00過ぎに市内の宿に戻った。この日の謎解きは、翌日、奈良国立博物館にて。



※内陣の祭壇の裏に積まれた壇供(だんぐ)の餅。修法の休止時間に撮りました。

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