見もの・読みもの日記

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週末秘仏の旅(1):華厳寺(岐阜県)ご開帳

2009-03-08 23:54:23 | 行ったもの(美術館・見仏)
○第三十三番 谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡)

 昨年秋に始まった「西国三十三所結縁ご開帳」。冬の間はあまり動きがなかったが、3月に入って、また新たな札所の特別公開が始まった。谷汲山華厳寺は、本当は三十三所の「満願」に参拝するお寺だが、この3月1~14日がご開帳だというので行ってみた。

 先週、参拝に行った友人から「ご本尊の姿はよく見えない」「ご朱印所はすごい混雑」という情報を得ていたので、だいたい覚悟は決めていた。幸い、一番早いバスで着いたので、ご朱印所はそれほど並ばなかった。「10時半を過ぎるとすごいですよ」との話。ご本尊の十一面観音は厨子に入っていらっしゃるので、正面に立たないと見えないのだが、正面には参拝客が列を成していて、とてもゆっくりできない。しかも垂れ幕が邪魔。腰をかがめて、なんとかお顔の輪郭の下半分が見えるくらい。調べたら木造らしいが、黒光りして、堂々としたお姿だった。「約7尺(2メートル15センチ)の男性的な姿」(asahi.com:2008年11月28日)の片鱗はうかがえたように思う。

 本堂裏の笈摺(おいづる)堂を覗き、その奥の満願堂に進むつもりが、登り始めた道が、違う方向に折れていく。実はこれが奥の院への入口だった。あれれ…と思ったが、こういうときは神仏に招かれたと思って、引き返さずに進む。公称1.5キロ(片道30分)。岩だらけの狭い山道、足が上がらないくらいの段差もあって、かなりキツい。「西国三十三ヶ所でも最大の難所の一つ」と書いているサイトもあった。それでも、道筋の三十三観音の石像に励まされて(行くつもりのなかった)奥の院に参拝。ふだんはあまり人が行かないところらしいが、老若男女、何組かの参拝客の姿があった。息を整えて、また下山する。

 下山途中、すれ違ったおばあちゃんに「奥の院の不動さんまで行きはったの?」と聞かれ、ああ、あれは不動明王だったのかと知る(堂内はよく見えなかった)。もっとも、調べてみたら、奥の院からさらに上に不動堂があるらしいので、混同しているかもしれない。

 さて、三十三観音の石像を逆にたどって下ること30分余り。いつの間にか観音の姿がなくなってしまった。木立の切れ目に華厳寺の本堂らしき屋根が見えるのだが、ずいぶん遠い。私の歩いている道は、なんだか違う方向に向かっている。ええ~道を間違えた?! 慌てて、1つ前の三叉路に引き返してみるが、そこも違うような気がする。誰かに聞こうにも、さっきまで時々すれ違っていた参拝客の姿もなく、あたりは森閑としている。本気でおろおろしかけたとき、さっき奥の院で見た記憶のある、地元のオジサンらしい男性が静かに崖下を見下ろすように佇んでいた。

 「すみません、華厳寺に下りるには…」と聞いてみると、私が登ってきた道ではなく、このまま進んで山門の横に出る別の道を教えてくれた。男性は「上に忘れものしちゃって、また戻らなくちゃならないんだよ」と言い残して、すぐに消えてしまった。もしや私は、不動明王の化身に助けられたんじゃないかしら…と思った(私の生家は真言宗なので不動様とは縁が深い)。

 美しい竹林を抜け、無事、山門に到着。時計を見ると、帰りのバスの時間が迫っていたので(乗り遅れると次は2時間くらい無い)お戒壇めぐりも満願堂も振り捨てて、バス乗り場へ急ぐ。まあいいや、本当に「満願」になったら、また来よう。

 さて、この後は、バス~揖斐駅~養老鉄道~大垣駅~JR東海道線~京都駅~近鉄~近鉄奈良駅着。今夜(3月7日)の宿は奈良に取ってある。もちろん(この時期に関西に来るなら外せない!)大好きな修ニ会を聴聞するためだ。宿にチェックインを済ませたあと、夕暮れ迫る東大寺に向かう。南大門の扁額に「大華厳寺」と書かれているのを発見し、そうか、東大寺には「大華厳寺」という別称もあったんだな、と気づく。今回の私の旅は「華厳寺→大華厳寺」コースというわけだ。以下、奈良編に続く。

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