○東京都美術館 『冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展』(前期:2009年10月24日~11月23日)
この秋、なぜか東京では、文書・典籍(アーカイブズ)にまつわる展覧会が目立つ。その筆頭に挙げられるのが、冷泉家(れいぜいけ)に伝わる貴重な古典籍(冷泉家時雨亭文庫)を紹介するこの展覧会。「国宝5点、重要文化財約400点」という、嘘のような数字に驚く。
しかし、会場内は、比較的すいていた。うーん、やっぱり感性だけで楽しめる絵画や彫刻(仏像)と違って、ちょっと敷居が高いのかな。私は、学生時代に国文学を専攻していたので、本展に登場人する人々には、多少の馴染みがある。冒頭には、俊成・定家・為相の3人の肖像と自筆本が並べられている。俊成自筆の『古来風体抄』と定家自筆の『拾遺愚草』には、震えるほど感激した。こんなものが残っていていいのか、という感じ。続いて、定家の『名月記』。父俊成の死去を記した箇所は、以前、五島美術館の全巻展示会のときにも見た覚えがある。お正月の伊達巻みたいな大きな芯に巻かれ、新しい木箱に収めてあるようだが、箱書の「名月記」という文字があまり上手くなくて、ほほえましかった。
歌集は、勅撰集よりも、バラエティ豊かな私家集に惹かれる。定家の異母姉にあたる坊門局という女性は、古筆の世界では名品で有名なのだそうだ。なるほど『重之集』とか『兼輔中納言集』とか、くるくるとからまる糸のようで、華やかでリズミカルな筆跡(図録には表紙しか写ってないって、ちょっと意地悪)。私は、藤原資経という人物の筆跡が気に入ったのだが、このひと、二条家の「事務方の人間」(※)ということしか分からないらしい。西行と伝える筆跡(出羽弁集)は、全体が右に流れているのもお構いなしで、枯れた味わいがある。
「百首歌」の、堂々たる巻子にもびっくりした。学生時代、○○百首とはよく聞いても、実際の形態など想像したこともなかった。展示されていたのは鎌倉後期の応製百首だが、それでも「原型」が残っているなんて驚きである。今から国文学を学ぼうとする若い世代はいいなあ、いろいろなことが分かって。また、今回の時雨亭文庫調査によって、新たな私家集や新出歌も発見されたというのもすごい!
うちに帰ってから、近所の本屋で『芸術新潮』11月号を見つけた。特集は「京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ」。これを読んでいくと、本展の見どころがよく分かる。私は「冷泉家の本はこうなっている」が重宝した。会場の展示解説は、造本についての説明が少ないので。大半は綴葉装(てっちょうそう)なのね。
時間がなければ、山口晃さんの挿絵による「早わかり」を立ち読みしておくだけでもいい。ライバル二条家の没落(その結果、二条家旧蔵本も冷泉家に統合されたこと)、いくつもの戦乱や天災を奇跡的にかいくぐってきたことなど、冷泉家と御文庫の歴史は、本当の意味の大河ドラマだと思う。
特筆すべきは、1981年に財団法人を創立し、御文庫を開放して調査を開始された第24代の為任氏(1914~1981)の決意。また、第25代(ご当代)の為人氏は、84年に婿養子に入られ、はじめは「えらいところにきてしまった」と悩まれたが、「冷泉家の蔵番」ひいては「日本文化の蔵番」になろう、と決意を固めていくところは感動的である(図録に寄稿あり)。世襲はよくないことだというけれど、「家」の機能によって、守り伝えられてきた文化遺産はたくさんあるのだ。新しい社会は、これに代わる文化の継承システムを作れるのだろうか。
※(財)京都古文化保存協会「非公開文化財特別拝観」
ここだけの話。毎年秋の4日間、冷泉家住宅の一般公開が行われている。行ってみようと思っているのだが…今年は混みそうだなあ。
この秋、なぜか東京では、文書・典籍(アーカイブズ)にまつわる展覧会が目立つ。その筆頭に挙げられるのが、冷泉家(れいぜいけ)に伝わる貴重な古典籍(冷泉家時雨亭文庫)を紹介するこの展覧会。「国宝5点、重要文化財約400点」という、嘘のような数字に驚く。
しかし、会場内は、比較的すいていた。うーん、やっぱり感性だけで楽しめる絵画や彫刻(仏像)と違って、ちょっと敷居が高いのかな。私は、学生時代に国文学を専攻していたので、本展に登場人する人々には、多少の馴染みがある。冒頭には、俊成・定家・為相の3人の肖像と自筆本が並べられている。俊成自筆の『古来風体抄』と定家自筆の『拾遺愚草』には、震えるほど感激した。こんなものが残っていていいのか、という感じ。続いて、定家の『名月記』。父俊成の死去を記した箇所は、以前、五島美術館の全巻展示会のときにも見た覚えがある。お正月の伊達巻みたいな大きな芯に巻かれ、新しい木箱に収めてあるようだが、箱書の「名月記」という文字があまり上手くなくて、ほほえましかった。
歌集は、勅撰集よりも、バラエティ豊かな私家集に惹かれる。定家の異母姉にあたる坊門局という女性は、古筆の世界では名品で有名なのだそうだ。なるほど『重之集』とか『兼輔中納言集』とか、くるくるとからまる糸のようで、華やかでリズミカルな筆跡(図録には表紙しか写ってないって、ちょっと意地悪)。私は、藤原資経という人物の筆跡が気に入ったのだが、このひと、二条家の「事務方の人間」(※)ということしか分からないらしい。西行と伝える筆跡(出羽弁集)は、全体が右に流れているのもお構いなしで、枯れた味わいがある。
「百首歌」の、堂々たる巻子にもびっくりした。学生時代、○○百首とはよく聞いても、実際の形態など想像したこともなかった。展示されていたのは鎌倉後期の応製百首だが、それでも「原型」が残っているなんて驚きである。今から国文学を学ぼうとする若い世代はいいなあ、いろいろなことが分かって。また、今回の時雨亭文庫調査によって、新たな私家集や新出歌も発見されたというのもすごい!
うちに帰ってから、近所の本屋で『芸術新潮』11月号を見つけた。特集は「京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ」。これを読んでいくと、本展の見どころがよく分かる。私は「冷泉家の本はこうなっている」が重宝した。会場の展示解説は、造本についての説明が少ないので。大半は綴葉装(てっちょうそう)なのね。
時間がなければ、山口晃さんの挿絵による「早わかり」を立ち読みしておくだけでもいい。ライバル二条家の没落(その結果、二条家旧蔵本も冷泉家に統合されたこと)、いくつもの戦乱や天災を奇跡的にかいくぐってきたことなど、冷泉家と御文庫の歴史は、本当の意味の大河ドラマだと思う。
特筆すべきは、1981年に財団法人を創立し、御文庫を開放して調査を開始された第24代の為任氏(1914~1981)の決意。また、第25代(ご当代)の為人氏は、84年に婿養子に入られ、はじめは「えらいところにきてしまった」と悩まれたが、「冷泉家の蔵番」ひいては「日本文化の蔵番」になろう、と決意を固めていくところは感動的である(図録に寄稿あり)。世襲はよくないことだというけれど、「家」の機能によって、守り伝えられてきた文化遺産はたくさんあるのだ。新しい社会は、これに代わる文化の継承システムを作れるのだろうか。
※(財)京都古文化保存協会「非公開文化財特別拝観」
ここだけの話。毎年秋の4日間、冷泉家住宅の一般公開が行われている。行ってみようと思っているのだが…今年は混みそうだなあ。
その伝承された品々には本当に身震いしてしまいます。
「和歌守」ということばがいいですね。
開いてほしいような、開けなくてもいいような…。
前回は、同じ会場で平成9年の8月から10月までで開催しました。
私は、2回見に行きましたが、それはそれは物凄い混雑で疲れ果てた記憶しかありません。
今回、このブログを拝見して半信半疑(失礼!)で見に行きましたが、本当に気が抜けてしまうくらい空いていましたね。
丁度皇室名宝展も中休みなのに、どうしたことでしょうか?
前回と違って、典籍オンパレードだからかな?
今日は、2時間じっくり拝見しましたが、やはりなんと言っても「古来風体抄」は、本当に感動しました。
「明月記」は、確かに読み難いですね。自分でも読めた、偉大な父親俊成の臨終場面は、臨場感があって身震いしましたね。
あと全くの門外漢ですが、「宴曲」の展示が面白かった。こういうジャンルのものまで手を広げて残していた冷泉家の歴代に敬意を表します。
そうそう、途中2箇所ほど巻子本を観覧者の進行方向とは明らかに逆に広げて展示していましたが、会場の制約とは言えあまり感心できませんね。冊子本も左から右へ見ていくのも、和本の場合は物凄く抵抗があります。
長文、失礼しました。
このあと、京都の冷泉家住宅公開に行ってきましたが、関係者(?)の方が「本ばっかりでしたでしょ?」と気にしていらしたのが印象的でした。典籍を見る(読む)楽しさが理解されにくいのは残念です。
私も巻子本を逆から見るのは気持ちが悪いので、場内が空いているときは逆行してしまいます。西洋美術と東洋美術の兼用で使われている建物では、仕方ないことかもしれませんが。