○福嶋聡『劇場としての書店』 新評論 2002.7
著者はジュンク堂池袋本店の副店長。『書店人のしごと』(三一書房 1991)『書店人のこころ』(同 1997)などの著作で知られる書店人だ。本書は、やや旧刊に属するが、たまたま書店で見つけて立ち読みしているうちに、欲しくなって買ってしまった。時々それとなく書いているが、私の仕事は図書館員である。だから、同じ書籍を扱う仕事の書店員が、日々何を考えているかは、とても気になるのだ。
私がいちばん感じ入ったのは、本書の接客論である。著者は言う、書店員に求められるのは表現力である。相手の希望をどの程度理解したか(してないか)、相手の要求に対して何ができるか(できないか)を、つねに的確に表現しなければならない。しかも、このとき、書店員は「状況の全て」を引き受けなければいけない。自分の店、会社、書店業界、出版業界全体に存在するシステムの不備を全て自分に引き受けた上で、できないことはできないと言い、謝罪すべきことは謝罪しなければならない。そこに書店員の「矜持」がある。
ああ、私も接客の第一線に立つ者として、こうありたいと真剣に思った。どんな場合でも「それは私の責任じゃない」って思うことは矜持の放棄であり、もう「負け」なのね。
著者はまた、表現力とは嘘をつく能力ではない、と補足する。一書店員が(または一図書館員が)出版業界全体を代表して謝罪するなんて、どう考えたって、演技でしかありえないのだけど、その役に「なり切る」のでなければ、相手の心には届かない。だから、表面上、謝罪の身振りだけ示して、顧客を「適当にあしらっておけ」という対応では駄目なのだ(そういう指示をされることが多いけど)。
そして、本を探す顧客の立場を理解し、共感するには、書店員自身が本を探し求めた経験があるかどうかが鍵になる。著者は、「読書という格闘を経験したことのある者ならば、ほかの人の格闘のあり方を理解することができる。そうでない者には、それが格闘であることすら想像しえない」と語る。
そうなのだ。書店員は知らず、私は図書館で働き始めて、いちばん驚いたのは、まわりの同僚があまりにも本を読まないことである。もっとも、彼らの多くは非常に優秀である。情報系にも強いし、事務処理能力も高いし、臆せずプレゼンもできるし。むしろ、いまどき、本なんか読んでる図書館員のほうが、現場では役に立たないかも知れない。しかし、これでほんとにいいのかね?と思うこともある。
もうひとつ、書店員にあって図書館員にない仕事は「棚づくり」である。棚づくりを介して顧客とコミュニケーションし、時には「静かなる決闘」が行われる、という話を聞くと、私はうらやましくて仕方ない。図書館の本は、一度、番号を振ったら、よほどのことがない限り固定されるから、棚づくりに創意を発揮する余地はほとんどない。「生きた棚」なんて、作りようがないのである。
しかし、著者はよく図書館に行くという。図書館の棚は書店に比べてどうにも古い。だが、「図書館の書棚は『古い』からダメだといいたいわけではない」「『古い』がゆえに豊穣な部分がたくさんある」という著者の言葉を希望とし、じっくり寝かせたワイン倉みたいな書棚を作っていけたらと思う。
著者はジュンク堂池袋本店の副店長。『書店人のしごと』(三一書房 1991)『書店人のこころ』(同 1997)などの著作で知られる書店人だ。本書は、やや旧刊に属するが、たまたま書店で見つけて立ち読みしているうちに、欲しくなって買ってしまった。時々それとなく書いているが、私の仕事は図書館員である。だから、同じ書籍を扱う仕事の書店員が、日々何を考えているかは、とても気になるのだ。
私がいちばん感じ入ったのは、本書の接客論である。著者は言う、書店員に求められるのは表現力である。相手の希望をどの程度理解したか(してないか)、相手の要求に対して何ができるか(できないか)を、つねに的確に表現しなければならない。しかも、このとき、書店員は「状況の全て」を引き受けなければいけない。自分の店、会社、書店業界、出版業界全体に存在するシステムの不備を全て自分に引き受けた上で、できないことはできないと言い、謝罪すべきことは謝罪しなければならない。そこに書店員の「矜持」がある。
ああ、私も接客の第一線に立つ者として、こうありたいと真剣に思った。どんな場合でも「それは私の責任じゃない」って思うことは矜持の放棄であり、もう「負け」なのね。
著者はまた、表現力とは嘘をつく能力ではない、と補足する。一書店員が(または一図書館員が)出版業界全体を代表して謝罪するなんて、どう考えたって、演技でしかありえないのだけど、その役に「なり切る」のでなければ、相手の心には届かない。だから、表面上、謝罪の身振りだけ示して、顧客を「適当にあしらっておけ」という対応では駄目なのだ(そういう指示をされることが多いけど)。
そして、本を探す顧客の立場を理解し、共感するには、書店員自身が本を探し求めた経験があるかどうかが鍵になる。著者は、「読書という格闘を経験したことのある者ならば、ほかの人の格闘のあり方を理解することができる。そうでない者には、それが格闘であることすら想像しえない」と語る。
そうなのだ。書店員は知らず、私は図書館で働き始めて、いちばん驚いたのは、まわりの同僚があまりにも本を読まないことである。もっとも、彼らの多くは非常に優秀である。情報系にも強いし、事務処理能力も高いし、臆せずプレゼンもできるし。むしろ、いまどき、本なんか読んでる図書館員のほうが、現場では役に立たないかも知れない。しかし、これでほんとにいいのかね?と思うこともある。
もうひとつ、書店員にあって図書館員にない仕事は「棚づくり」である。棚づくりを介して顧客とコミュニケーションし、時には「静かなる決闘」が行われる、という話を聞くと、私はうらやましくて仕方ない。図書館の本は、一度、番号を振ったら、よほどのことがない限り固定されるから、棚づくりに創意を発揮する余地はほとんどない。「生きた棚」なんて、作りようがないのである。
しかし、著者はよく図書館に行くという。図書館の棚は書店に比べてどうにも古い。だが、「図書館の書棚は『古い』からダメだといいたいわけではない」「『古い』がゆえに豊穣な部分がたくさんある」という著者の言葉を希望とし、じっくり寝かせたワイン倉みたいな書棚を作っていけたらと思う。