見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

燃え立つ四神・高句麗古墳/国際交流基金フォーラム 

2005-09-03 22:26:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
○国際交流基金フォーラム『世界遺産 高句麗壁画古墳展』

http://kk.kyodo.co.jp/is/products/event.html#kita

 ふう、間に合った。8月後半は中国旅行で日本を留守にしていたので、帰国したら、忘れずにこの展覧会に行かなくては、と思っていた。最終日直前のすべり込みで、なんとか見に行くことができた。

 展示は、2004年に共同通信社が北朝鮮で調査と撮影を行った高句麗壁画古墳の写真パネルと復元模型が中心である。な~んだ、写真だけか、と思われるかもしれないが、何せ対象は古墳である。動かせるものではないから、現地に行って見るしかない。現地に行っても、どうせ暗い照明、防護ガラス越しに見ることしかできない。だから、こういう展覧会はありがたいのだ。

 撮影された壁画古墳のうち、安岳3号墳、徳興里古墳、双楹塚(そうえいづか)は、4世紀後半~5世紀末の建造である。これらには、墓主とその夫人の肖像、その周囲には、たくさんの侍者が描かれている。井戸で水を汲む者、厨房で肉を焼き、大鍋で湯を沸かす者、厩には馬が繋がれ、車庫には車が並んでいる。仙人や神獣の図もあるが、大きな比重を占めるのは、当時の日常生活を、素朴ながらも写実的に描いた図様である。

 私は今回の中国旅行で、河南省の打虎亭漢墓を見てきた。これは東漢(後漢 A.D.25-220)時代の墳墓なので、上記の高句麗古墳より、200~300年早いが、やはり、登場人物の多い宴飲図や車馬出行図が、にぎやかに描かれていた。美味そうな料理が丹念に描かれた厨房図もよく似ていた。被葬者が食い道楽だったのかなあ。私も墳墓に入るときは、金銀財宝を副葬してもらうより、厨房図を描いてもらうほうがうれしいな。

 さて、高句麗壁画古墳のモチーフは、6世紀以降、大きな変化を遂げる。典型的な例は、江西大墓と中墓である。前期古墳に見られた人物風俗図が消え、空想上の動物である四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)が壁一面に大書されるようになる。

 この四神が素晴らしい。名前は「青龍」「白虎」だけれど、まだ原初的な呪術性が溢れかえっていて、龍とも虎とも付かない、あやしい顔をしている。多くの色彩は剥落してしまったなかで、ただ朱色だけが、ひときわ鮮やかさを保っていて、闊達な筆は、縦横に燃え広がる炎の動きのようだ。

 ちなみに、江西中墓(だったかな?)の青龍図には見覚えがあった。1910年代に描かれた模写図が、この夏、東京大学総合研究博物館で開かれた『関野貞アジア踏査』展に出品されていたのだ。

 関野の調査団による高句麗古墳模写図は、おおよそ東大に所蔵されているらしいが、なぜか、東大総合研究博物館の関野展より、こっちの展覧会の出品のほうが多い(東大、どうした!)。当時の模写では確認できる、四神の角や髭が、2004年には剥落・欠損しているなど、最新の写真との対比も興味深かった。会場風景の写真は下記のリンクから。

■「世界遺産 高句麗壁画古墳展」開幕(朝鮮新報 2005.8.20)
http://210.145.168.243/sinboj/j-2005/06/0506j0820-00001.htm

■共同通信社刊「世界遺産 高句麗壁画古墳」(朝鮮新報 2005.8.23)
http://210.145.168.243/sinboj/j-2005/06/0506j0823-00001.htm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする