○徳川美術館 開館80周年記念秋季特別展『茶の湯の名品』(2015年9月19日~11月8日)+蓬左文庫 開館80周年記念秋季特別展・日韓国交正常化50周年記念展『豊かなる朝鮮王朝の文化-交流の遺産』(2015年9月19日~11月8日)
仕事で京都に行くことになったので、無理をして、名古屋で途中下車して行くことにした。久しぶりに徳川美術館&蓬左文庫に寄りたかったのである。現在、両館では開館80周年を記念する特別展が開催されている。順路に従って、まず徳川美術館の常設展ゾーン。第1展示室には、最近、若い女性にも人気の刀剣が並ぶ。刃文の美しさを引き出すには「研ぎ」が重要なのだが、徳川の刀は江戸時代から一度も研ぎをおこなっていない、という説明が興味深かった。
特別展のテーマは「茶の湯の名品」だが、常設展からして、並々ならぬ気合が感じられ、え!こんな名品をここに出していいのか、と驚く。明の『満畦生意図』は、畑に植わった大根、茄子、キャベツ(?)などを淡い彩色で丁寧に描く。ずいぶん鄙びた題材である。『猪頭和尚図』は、一山一寧が賛と絵の両方を描いたと伝える。猪頭(ブタの頭)を手に下げた和尚の図。岳翁蔵丘筆『山水二楽斎図』は、螺旋のように画面の奥に立ちあがっていく空間が面白い。道具では、古銅や青磁の花生がよい。やっぱり明治以降の茶人・実業家のどんなにすごいコレクションを見ても、徳川家の前には霞むなあ、と感じた。
途中で蓬左文庫に寄って、再び徳川美術館ゾーンに戻るのだが、企画展の見ものを先に書いておく。やっぱり絵画がすごい。無準師範筆・賛の『達磨図・政黄牛・郁山主図』。ダルマを中央に、右側にはマッチ棒みたいにたよりないロバ(に乗った郁山主)、左側に気取った足もとの牛(に乗った政黄牛)。かわいい。玉澗筆『遠浦帰帆図』に心が洗われる。以上は前期(~10/14)展示。
茶道具は、武野紹鷗、千利休、古田織部など、茶人あるいは戦国武将ごとに集めて展示している。家康の用いた道具は、全体に簡素で地味な印象なんだけど、リストをよく見ると、南宋~元、金、朝鮮王朝など舶来ものが多い。それから近年の寄贈・購入品がまとめて出ているのも面白かった。石山切や熊野懐紙も収蔵しているのだな。
さて、蓬左文庫について。文庫の展示だから、書籍が中心になるのは当然なのだが、予想を超えていた。徳川家康の遺産である「駿河御譲本(するがおゆずりぼん)」を中心に、15~16世紀の朝鮮本がずらり。解説によれば、世界有数の朝鮮本コレクションなのだそうだ。知らなかった。多くは活字本。見返しに「内賜記」(国王から臣下や役所に与えられたことを記す)の墨書や巻頭に「宣賜之記」の大きな印を持つものもある。中国古典(朱子、資治通鑑、李白詩、剪灯新話も!)が多いのは、朝鮮の出版状況がそうだったのか、徳川家康が中国古典を主に集めたのか、よく分からない。もちろん朝鮮固有の書物(三国遺事、高麗史節要など)もあった。
後陽成天皇が朝鮮活字を用いて出版した『古文孝経』(文禄2年/1593)は現存しないが、朝鮮の銅活字に倣って木活字を作成し、慶長年間に11種の書物を刊行した(慶長勅版)。本展には、勅版ではないが、慶長勅版の活字を用いた『職原抄』が展示されている(個人蔵)。駿河版(家康が作らせた)の銅活字の現物が出ていたので、徳川美術館も持っているのか?と驚いたら、印刷博物館の所蔵品だった。紀州徳川家から南葵文庫を経由して伝わったものである。なお、駿河版銅活字の大半は、雷雨で和歌山城の天守閣が焼けたときに失われたらしい(※参考:東京大学総合博物館「活字の世界」)。
南葵文庫といえば、展示の『群書治要』47冊(元和年間の印刷)は、明治45年、徳川義親が南葵文庫から譲り受けたもので、見返しに「侯爵徳川義親君ノ懇請ニ依リ之ヲ贈呈ス」という紙が貼り付けてある。これ、尾張徳川家に譲渡されなかったら、関東大震災後に東大に譲られていたんだろうか、と感慨にふける。
豊臣秀頼が印刷させた木活字本『帝鑑図説』(慶長11年/1606)もあった。ところどころ全面挿絵ページが入っているらしい(木版と違って、文字と挿絵は同居しない)。図録に「日本で初めて刊行された絵入り本とされる」という解説あり。この頃の武将たちって、戦争と文化事業を同時に精力的にやっていたのだな。
同じ会場には、徳川美術館所蔵の高麗仏画、朝鮮の陶磁器、文房具なども出品されていた。また、次の展示室では、朝鮮通信使と両国の交流を特集。蓬左文庫には、朝鮮通信使から尾張徳川家に贈られた贈答品の目録などが伝わっている。通信使や、その影響を受けた祭礼の「唐人」行列を描いた絵画資料も面白かった。
追記。徳川美術館の特別展とは別に、蓬左文庫展だけの図録あり。朝鮮古籍研究の第一人者、藤本幸夫先生が概論を寄稿されている。展覧会の開催には、名古屋大学文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センターと同附属「アジアの中の日本文化」研究センターの協力があったことが示されている。
仕事で京都に行くことになったので、無理をして、名古屋で途中下車して行くことにした。久しぶりに徳川美術館&蓬左文庫に寄りたかったのである。現在、両館では開館80周年を記念する特別展が開催されている。順路に従って、まず徳川美術館の常設展ゾーン。第1展示室には、最近、若い女性にも人気の刀剣が並ぶ。刃文の美しさを引き出すには「研ぎ」が重要なのだが、徳川の刀は江戸時代から一度も研ぎをおこなっていない、という説明が興味深かった。
特別展のテーマは「茶の湯の名品」だが、常設展からして、並々ならぬ気合が感じられ、え!こんな名品をここに出していいのか、と驚く。明の『満畦生意図』は、畑に植わった大根、茄子、キャベツ(?)などを淡い彩色で丁寧に描く。ずいぶん鄙びた題材である。『猪頭和尚図』は、一山一寧が賛と絵の両方を描いたと伝える。猪頭(ブタの頭)を手に下げた和尚の図。岳翁蔵丘筆『山水二楽斎図』は、螺旋のように画面の奥に立ちあがっていく空間が面白い。道具では、古銅や青磁の花生がよい。やっぱり明治以降の茶人・実業家のどんなにすごいコレクションを見ても、徳川家の前には霞むなあ、と感じた。
途中で蓬左文庫に寄って、再び徳川美術館ゾーンに戻るのだが、企画展の見ものを先に書いておく。やっぱり絵画がすごい。無準師範筆・賛の『達磨図・政黄牛・郁山主図』。ダルマを中央に、右側にはマッチ棒みたいにたよりないロバ(に乗った郁山主)、左側に気取った足もとの牛(に乗った政黄牛)。かわいい。玉澗筆『遠浦帰帆図』に心が洗われる。以上は前期(~10/14)展示。
茶道具は、武野紹鷗、千利休、古田織部など、茶人あるいは戦国武将ごとに集めて展示している。家康の用いた道具は、全体に簡素で地味な印象なんだけど、リストをよく見ると、南宋~元、金、朝鮮王朝など舶来ものが多い。それから近年の寄贈・購入品がまとめて出ているのも面白かった。石山切や熊野懐紙も収蔵しているのだな。
さて、蓬左文庫について。文庫の展示だから、書籍が中心になるのは当然なのだが、予想を超えていた。徳川家康の遺産である「駿河御譲本(するがおゆずりぼん)」を中心に、15~16世紀の朝鮮本がずらり。解説によれば、世界有数の朝鮮本コレクションなのだそうだ。知らなかった。多くは活字本。見返しに「内賜記」(国王から臣下や役所に与えられたことを記す)の墨書や巻頭に「宣賜之記」の大きな印を持つものもある。中国古典(朱子、資治通鑑、李白詩、剪灯新話も!)が多いのは、朝鮮の出版状況がそうだったのか、徳川家康が中国古典を主に集めたのか、よく分からない。もちろん朝鮮固有の書物(三国遺事、高麗史節要など)もあった。
後陽成天皇が朝鮮活字を用いて出版した『古文孝経』(文禄2年/1593)は現存しないが、朝鮮の銅活字に倣って木活字を作成し、慶長年間に11種の書物を刊行した(慶長勅版)。本展には、勅版ではないが、慶長勅版の活字を用いた『職原抄』が展示されている(個人蔵)。駿河版(家康が作らせた)の銅活字の現物が出ていたので、徳川美術館も持っているのか?と驚いたら、印刷博物館の所蔵品だった。紀州徳川家から南葵文庫を経由して伝わったものである。なお、駿河版銅活字の大半は、雷雨で和歌山城の天守閣が焼けたときに失われたらしい(※参考:東京大学総合博物館「活字の世界」)。
南葵文庫といえば、展示の『群書治要』47冊(元和年間の印刷)は、明治45年、徳川義親が南葵文庫から譲り受けたもので、見返しに「侯爵徳川義親君ノ懇請ニ依リ之ヲ贈呈ス」という紙が貼り付けてある。これ、尾張徳川家に譲渡されなかったら、関東大震災後に東大に譲られていたんだろうか、と感慨にふける。
豊臣秀頼が印刷させた木活字本『帝鑑図説』(慶長11年/1606)もあった。ところどころ全面挿絵ページが入っているらしい(木版と違って、文字と挿絵は同居しない)。図録に「日本で初めて刊行された絵入り本とされる」という解説あり。この頃の武将たちって、戦争と文化事業を同時に精力的にやっていたのだな。
同じ会場には、徳川美術館所蔵の高麗仏画、朝鮮の陶磁器、文房具なども出品されていた。また、次の展示室では、朝鮮通信使と両国の交流を特集。蓬左文庫には、朝鮮通信使から尾張徳川家に贈られた贈答品の目録などが伝わっている。通信使や、その影響を受けた祭礼の「唐人」行列を描いた絵画資料も面白かった。
追記。徳川美術館の特別展とは別に、蓬左文庫展だけの図録あり。朝鮮古籍研究の第一人者、藤本幸夫先生が概論を寄稿されている。展覧会の開催には、名古屋大学文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センターと同附属「アジアの中の日本文化」研究センターの協力があったことが示されている。