見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

週末は北海道:ガロ展(小樽文学館)+ゴジラ展(道近美)

2016-09-13 22:59:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
 週末1泊2日で北海道に行ってきた。見たい展覧会が2つあったので。土曜の昼過ぎ、小樽に着いて、駅舎の中にある立ち食い寿司「伊勢寿司」で軽い食事。ここ、札幌に住んでいたときも何度か通りがかっていたけど、気後れして入れなかった。今日は旅行者なので、ちょっと勇気を出してみる。やっぱり海鮮美味い~。

小樽文学館 企画展『編集者・長井勝一没後20年『ガロ』と北海道のマンガ家たち展』(2016年9月3日~10月23日)

 最初の目的はこれ。伝説のマンガ雑誌『ガロ』を創刊時から編集長を務めた長井勝一(ながい・かついち)と作家たち、特に北海道出身の作家たちに焦点をあてて紹介する。『ガロ』といえば、私は、白土三平、水木しげる、つげ義春など貸本マンガ出身の作家たち(※この展覧会ではマンガ家と呼ばずに作家と呼んでいる)のイメージが強いが、実は1964(昭和39)年に創刊され、内部分裂や休刊・復刊を挟みながら、2002(平成14)年まで刊行されていたことを初めて知った。展示は、とにかく物量に圧倒される。

 各時代の『ガロ』の表紙。初期の表紙デザインは『朝日ジャーナル』を意識しているそうだ。



 初期の『ガロ』と時代を共有する児童向け読み物作品も。



 ガラスケースの中の展示品以外に、自由に手に取って読める雑誌やマンガ本も大量に置かれている。



 『ガロ』とはあまり関係ないと思うのだが、たまたま目についた、雑誌サイズの鉄腕アトム「地上最大のロボット」(※浦沢直樹「PLUTO」の原案)を読み始めたら、むかし読んだ時の記憶がどんどんよみがえってきた。しかし、その場に上巻しか置いてなかったので、尻切れトンボの読書になってしまい、まだフラストレーションが残っている。白土三平の「忍者武芸帳」は、世間の評価など全く知らなかった中学生の頃、近所の区立図書館で見つけて、全巻読破した思い出がある。あ、そういえば、つげ義春作品集もその図書館で読んだのだった。

 『ガロ』関連作家の原画も多数展示されており、森雅之さんの原画があって、うれしかった。北海道浦河町出身で札幌市在住なんだな。Wikiを見たら、この展覧会に大きくかかわっている鈴木翁二さんの義弟と初めて知って、びっくり。

北海道近代美術館 特別展『ゴジラ展 特撮映画のヴィジョンとデザイン』(2016年9月9日~10月23日)

 札幌駅前に一泊し、翌日はこの展覧会へ。近年、ゴジラと特撮をテーマとした展覧会が各地で行われているが、この展覧会は、福岡と札幌にしか巡回しないようだ。福岡市美術館では副題がちょっと違っていて『ゴジラ展 大怪獣、創造の軌跡(あしあと)』(2016年7月15日~8月31日)だった。

 写真撮影可能な展示品がいくつかあって、これは平成版ゴジラスーツ(着ぐるみとか言わないのだな)。ゴジラ以外の怪獣のスーツや模型もいろいろあったが、もふもふしたモスラ(天井に釣ってあった)が可愛くて見とれた。



 映画『シン・ゴジラ』で使われた(?)東京駅の模型は会場の外に置かれていた。展示を見ると、宇宙船や兵器の模型は残されているが、怪獣に壊される街や建物は1回限りの「消えもの」なので、基本的に残っていないようだった。しかし、模型の制作を指示する設定書が微に入り細に入り、職人の情熱にあふれていて、非常に面白かった。



 グッズ売り場に隣接しておかれているシン・ゴジラのフィギュア。尻尾が大きくて特徴的だ。後方に上半身だけのシン・ゴジラがもう1体いて、こちらは撮影禁止なのだが、映ってしまったということで。



 私はこの夏の『シン・ゴジラ』が初めて見たゴジラ映画なので、初めて知ることばかりで面白かった。ゴジラ映画って、こんなに繰り返し制作されていたのか。『シン・ゴジラ』が過去作品からいろいろなヒントを得ていることもようやく分かった。それから、ゴジラが日本各地に出没していることに感心した。札幌にも福岡にも現れているんだ~。※参考:ゴジラに破壊された有名スポット(Wikitravel)

 会場には、ずっと伊福部昭氏(釧路出身)の『ゴジラ』のテーマが低く流れていて、気持ちよい昂揚感をもたらしていた。
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地図と写真で歩く/真田一族(平山優)

2016-09-08 22:25:40 | 読んだもの(書籍)
○平山優執筆・監修;サンニチ印刷真田丸プロジェクト企画・編集『戦国サバイバルを生き抜いた真田三代の軌跡:真田一族』 サンニチ印刷 2016.3

 NHK大河ドラマ『真田丸』が、まもなく関ヶ原合戦を迎え、佳境に入っている。私は、久しぶりに初回から一度の見逃しもなく、完走中である。正直なところ、どハマりの回はないのだが、毎回、何かの見どころがあって、ハズレ回が無いのはすごい。本書は、4月に山梨県立博物館の『武田二十四将』展を見に行ったとき、今年の大河視聴の参考になりそうだと思って、ミュージアムショップで購入した。執筆・監修の平山優氏は『真田丸』時代考証担当のおひとりである。

 私は戦国時代の歴史には詳しくない(あまり関心がない)が、池波正太郎の『真田太平記』は、以前、夢中になって読んだことがある。だから、真田昌幸と息子の信之(信幸)・信繁(幸村)が、このあとどうなっていくかはだいたい分かっている。真田家初代・幸隆(幸綱)のことは、やはり大河ドラマ『風林火山』で覚えた。その程度なので、本書から学ぶことは多かった。

 カラーイラストや写真を多用したムック本の形態だが、内容はオーソドックスで(面白半分に俗説や風説を取り上げたりしない)、文章もしっかりしていて安心して読めた。『真田丸』関連本ではないので、幸隆の事蹟が詳しいのはありがたかく、必然的に武田氏についての解説が多いのも嬉しかった。発行元の「サンニチ印刷」は甲府にあって、山梨日日新聞社(山日)の関連会社らしいから、武田びいきなのは当然だけど。

 地図と写真では、長野県上田市の真田の郷、岩櫃城のある群馬県吾妻郡などを興味深く眺めた。いつか行けることがあるかしら。かなりマイナーな史跡まで、ちゃんと写真が載っていてうれしい。そして小さな写真でも、対象の史跡や寺社・屋敷・城などの印象がいちばんよく分かるものを選んで使っている。編集者の心遣いと心意気が伝わってくるようでうれしい。

 甲府・上田・九度山は何度か行っているので、だいたい分かる。意外と知らなかったのは、大阪の地図。「真田丸顕彰碑」があるのは、たぶん私が一度も行ったことのない一帯だ。信繁が討たれた安居神社は、漠然と天王寺公園の近くだと思っていたが、よく行く大阪市美術館からは少し離れていることを認識した。歩くのに都合のよい気候のときに、まとめて史跡散歩してみたい。
 
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博物学者として官僚として/田中芳男(国立科学博物館)

2016-09-07 20:13:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立科学博物館 企画展『没後100年記念 田中芳男-日本の博物館を築いた男-』(2016年8月30日~9月25日)

 企画展といっても常設展エリアの展示である。確か始まっているはずだと思って行ったのだが、館内に入ってしまったら何も案内がなくて、どこでやっているのかよく分からない。慌ててスマホを取り出して「日本館地下1階、多目的室」であることを確認し、ようやく会場を見つける。

 田中芳男(1838-1916)は、幕末から明治期に活躍した博物学者・植物学者。蘭方医伊藤圭介に学び、新政府の官僚として、パリやウィーンで開催された万国博覧会に参加し、内国勧業博覧会の開催を推進し、数々の著作を残し、農林水産業のさまざまな団体、東京上野の博物館や動物園の設立にも貢献した。国立科学博物館の「設立者ともいえる人物」であるところから、没後百年を記念して、田中の幅広い事蹟を紹介すると「あいさつ」にうたわれている。展示資料は44件。私はこれまで、大学図書館を中心に、田中の著書あるいはノート、スクラップブックなどはよく見てきたが、科博の資料には、田中が採集した植物や貝の標本、あるいは田中が関わった博物館天産部旧蔵の化石やキウィ(鳥)の剥製もあって、物持ちのよさにびっくりした。あと胸像と油彩の肖像画も伝わっているのだな。

 個人的には、やっぱり文書資料に関心が向く。明治15年(1882)3月15日の日付のある「博物館開館式始末書」は、上野博物館(現在の東京国立博物館)の開館式に関する資料で、町田久成博物局長(初代館長)が招待状を送った二人目に農商大書記官・田中芳男の名前がある。開館式は3月20日に執り行われた。町田と田中の名前を並べて見ると、関秀夫『博物館の誕生』(岩波新書、2005)が思い出されて、感慨深い。

 東京大学総合図書館所蔵の『捃拾帖(くんじゅうちょう)』と『外国捃拾帖』も出ていた。どちらも田中のスクラップブックで、引札・ラベル・包み紙など、屑のような資料を大量に集めて保存してある(※詳細は、モリナガ・ヨウ『東京大学の学術遺産:捃拾帖』参照)。しかし、全96冊の『捃拾帖』が2冊しか出ていないのは物足りない。『農業館陳列掛図写真帖』(明治24年/1891)も東大総合図書館の蔵書。ふつうの刊行図書のようだが、写真が貼り付けてあり、かなり劣化が進行している。これ、目録を確認したら貴重書にも指定されていないようだけど、早く処置をしたほうがいいように思う。老婆心ながら。

※おまけ:ついでに日本館の常設展示をひとまわり見て来た。日本列島の地質・気候・動植物・人間の歴史などを紹介する同館は、徹頭徹尾「博物ワールド」で、子供の頃から私が科博の中でいちばん好きだったエリアである。田中芳男の精神とすごくシンクロしていて、楽しかった。

手前の白犬は忠犬ハチ公。意外と大きい。飛びつかれたら重そう。後列右のもふもふした黒犬は南極に行った樺太犬のジロ。そうか、ここにいたのだったか。タロには札幌の北大植物園で何度か会っている。後列左の黒犬は日本原産の甲斐犬。



ニワトリが並ぶと、どうしても若冲。



日本近海の生きもの。こういう多様性と物量の「博物学ワールド」大好き。


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江戸っ子の愛した水滸伝/国芳ヒーローズ(太田記念美術館)

2016-09-06 04:49:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
太田記念美術館 『国芳ヒーローズ~水滸伝豪傑勢揃』(2016年9月3日~10月30日)

 『通俗水滸伝』シリーズのほぼ全点に加え、歌川国芳(1797-1861)が手がけた「水滸伝」に関連する多彩な作品を展示する。うわーたまりませんね! 「奇想」「ユーモア」「役者絵」「美女」など、国芳の魅力は数々あれど、やっぱり武者絵のカッコよさにとどめを刺すと思う。

 文政10年(1827)に刊行を開始した『通俗水滸伝豪傑百八人之一個(ひとり)』は、国芳を人気絵師の一人に押し上げた出世作。図録解説によると「108人を残らず出版した」と言われているが、74点しか確認されていない。しかも同じ人物を何回も描いたり、1枚に複数の人物を描いたものもあるので、108人のうち絵画化されたのは75人である。本展(前後期展示替あり)では、その「ほぼ全て」を見ることができるが、『神行太保戴宗』だけ出品が叶わなかったそうだ(図録に図版は掲載)。う~残念。

 よく知られている作品は、大木をたたき割る『花和尚魯知深』、倶利伽羅紋々の裸身で刀を咥えた『浪裡白跳張順』、黒馬で白雪を蹴散らす『急先鋒索超』などか。一方、天球儀みたいな器具を横に置いて夜空を眺める『智多星呉用』、剣を捧げて天に祈る『神機軍師朱武』などは、あまり記憶になかった。たぶん「武者絵」としてはインパクトが弱いから、あまり取り上げられないのだろう。しかし、文と武、静と動のさまざまなバリエーションを楽しめるのが、このシリーズの魅力である。だいたい赤と青の強いコントラストが目を引くが、『入雲龍公孫勝』みたいに黄色と緑とオレンジを基調にしたものもあって面白い。

 着物や彫り物の図柄をよーく見ていくと本当に面白い。『旱地忽律朱貴』の彫り物は九尾の狐。『菜園子張青』の彫り物は孫悟空。そして腰に巻いた着物の柄もサルに見える。『豹子頭林冲』の衣の前には手長足長?みたいのがいるし、『玉麒麟蘆俊義』の腹にいる変な動物は白澤? 衣の柄は河童だろうか?

 『通俗水滸伝』には、彫り物をしたヒーローが多数描かれる。原文『水滸伝』でも花和尚魯知深や九紋龍史進は、彫り物をしていたことになっているが、国芳はその数をうんと増やしている。しかし中国に彫り物文化があったというのは忘れがちだ。「身体髪膚…あえて毀傷せざるは孝の始めなり」という儒教のお国柄だから、彫り物を入れるって、ものすごくアウトローだったんじゃないかと思う。また、国芳は水中で活躍するヒーローを好んで描いているような気がする。これ、『水滸伝』以前の中国の小説にはなかったタイプのヒーローで、必然的に単独行動になる点でも、近世的で、魅力的だ。

 国芳の門人・河鍋暁斎は、国芳が「宋人李龍眠の描きし水滸伝百八人の像」を見て参考にしたと述べているそうだ。李龍眠の水滸伝! そんなものがあったの? 李龍眠筆と思われていた中国絵画という意味だろうか。しかし、国芳の描く豪傑たちは、いかにも中国テイストのものもあれば、そうでないものもある。まあ細かいことはどうでもいいのだ、カッコよければ。この感じは、中国の武侠物といわれるテレビドラマに少し似ている。国芳の絵を見ているうち、まだ見ていない中国ドラマの『水滸伝』が見たくなってきた。

 さて国芳は『水滸伝』の「見立て」や「パロディ」も手掛けている。『狂画水滸伝豪傑一百八人』は19枚の続きもので、豪傑たちがざまざまに滑稽な姿で登場。九天玄女にデレる宋江とか、虎を手なずけて振り分け荷物をかつがせる武松とか、思わず吹き出してしまう。描き添えられた犬猫もかわいい。

 そして、武者絵の傑作『本朝水滸伝豪傑百八人之一個』も、一種のパロディなのだな。『犬塚毛野』の着物が(応挙風の)仔犬柄でかわいい。このシリーズは、巨大な動物と戦っている図が多いなあ。版本『風俗女水滸伝』は「当世の美女たちを水滸伝の豪傑たちに見立てた」と解説にいうけれど、私はむしろ「水滸伝の豪傑たちを美女に見立てた」んじゃないかと思う。現代人が三国志の英雄を美少女キャラ化する感覚と同じなんじゃないかと。『当盛水滸伝』は「108人の淫乱な男女が放たれる」という艶本だそうで、この発想には笑った。さすが日本人、クールだわ。残念ながら、危ない場面は展示されていなかったけど。

 江戸時代の日本人が、ほんとに水滸伝を愛していたことはよく分かる。でも今の日本人は、たぶん水滸伝より三国志だろう。反体制の豪傑より忠義の英雄。この変化は、いつ頃、どうして起きたのかは、とても気になっている。中国人の好みは三国志より水滸伝だと言われてきたけど、今でもそうなのかな。そして、この国芳描く水滸伝のヒーローたちを、ぜひ中国人に見せて感想を聞きたい。
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千家の楽茶碗を拝見/千家十職の軌跡展(日本橋三越)

2016-09-04 23:19:40 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本橋三越本店ギャラリー 『茶の湯の継承 千家十職の軌跡展』(2016年8月31日~9月12日)

 茶道の家元・三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)それぞれの好みの茶道具を制作する十の職家を「千家十職」という。ずいぶん前に、どこかの展覧会で覚えた言葉だ。茶道具には多少の興味があるので、軽い気持ちで行ってみた。会場に入ると、すごい賑わいで、ちょっとうんざりしかけたが、冒頭から利休ゆかりの楽茶碗が出ているというので、お!と俄然、集中する。いずれも長次郎作の黒楽茶碗。

 人波の後ろから覗き込んだので、展示順とは逆になるが、『万代屋黒(もずやくろ)』(楽美術館蔵)は、利休の娘婿の万代屋宗安に伝わったもの。土のせいか、使い込んだせいなのか、かなり黄色味を帯びている。そのまま土に返ってしまいそう。『しころ引』(裏千家)はやや大きく、厚みを感じ、肌はつややか。『禿(かむろ)』は、幅に比べて少し丈が高く、細めの印象。凝縮された黒色で、つやがない。

 さらに長次郎作の黒楽茶碗『玄翁』(個人蔵)とか赤楽茶碗『住之江』(個人蔵、あまり赤くない)などが、続々と登場する。いや、棗や水指など、ほかの茶道具も展示されているのだが、私の注意力は、完全に楽茶碗にロックオンされてしまった。赤楽茶碗『聖(ひじり)』(個人蔵)は歪み、亀裂などを平然と取り込んだ大胆な造形で、舌を巻いた。長次郎焼とされているが、二代目・常慶の典型作と解説されている。三代目・道入(ノンコウ)は、長次郎の茶碗に比べると、別物のように華やかだな~。黒釉を二か所だけ四角く抜いた(黄抜け)『寿老人』(個人蔵)オシャレでいいわ! 光悦の赤楽茶碗『青顧(せいこ)』(個人蔵)は、青海苔みたいな緑釉を散らしている。

 楽家は千家十職の一であるから、取り上げられていて当然なのだが、こんなにたくさん、しかも「個人蔵」の茶碗を見ることができて、本当に貴重な機会だったと思う。以後も四代・一入の『遠山』(個人蔵)、五代・宗入の『三井晩鐘』(表千家蔵)など、当代=十五代吉左衛門に至るまで、個性豊かな歴代の茶碗が出品されていた。

 あらためて千家十職を挙げておくと、永楽家(土風炉・焼物師)、楽家(楽焼・茶碗師)、大西家(釜師)、飛来家(一閑張細工師)、土田家(袋師)、中村家(塗師)、黒田家(竹細工・柄杓師)、奥村家(表具師)、駒澤家(指物師)、中川家(金物師)となる。見ていて魅了されたのは、茶の湯釜の造形。大西家歴代の茶の湯釜を展示する「大西清右衛門美術館」という施設があるのか。今度、行ってみなければ。独創的で目を離せなかった『鶴ノ釜』は、同館ホームページのトップにも掲載されている。大西家の釜と永楽家の風炉の組み合わせも絶妙。それから、袋師の土田家の組み紐工芸みたいなものも面白かった。

 なお、展覧会会場の外では『茶美×和美の世界』と題して、交趾焼など新作の茶道具の即売会が行われており、本館1階の中央ホール(巨大な天女「まごころ」像の下)では、近代巨匠(魯山人、濱田庄司など)の茶道具展示会が行われていて、本展とあわせて楽しめた。
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2016幽霊画展(全生庵)

2016-09-02 21:12:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
全生庵(台東区谷中) 『幽霊画展』(2016年8月1日~8月31日)

 三遊亭円朝(1939-1900)ゆかりの全生庵は、毎年8月に幽霊画コレクションを公開している。…という話を初めて聞いたのは、もう30年くらい昔のことではないかと思う。なかなか実際に行ってみる機会がなかったのだが、昨年の東京芸大『うらめしや~、冥途のみやげ展』、今年の『大妖怪展』で、コレクションの一部を見ることができた。そうすると、やっぱり現地に行ってみたくなって、ついに念願をかなえた次第である。



 8月最後の日曜日、周辺にはお囃子が流れ、賑やかだった。日暮里・谷中の総鎮守、日暮里諏方神社の祭礼だったらしい。全生庵は、本堂の隣りの建物が「幽霊画展」の会場になっていた。むかしの教室のような、磨き込まれた木製の床。約30点が展示されていた。幽霊画にも怖いのと美しいのとがある。鰭崎英朋(ひれざき えいほう)の、行灯に照らされ、蚊帳に浮かび上がる幽霊は美しいほうの代表格。そして鰭崎英朋って、調べてみたら幽霊画以外にも魅力的な絵を描いているのだな。渡辺省亭の、火鉢からのぼる煙の奥で、泣き崩れるような女の図は、顔は見えないけど美人の雰囲気。

 月岡芳年の宿場女郎図は、階段を上りかけて振り向く、痩せさらばえた女の図。醜怪とまではいかないけど、鬼気迫るものがある。伊藤晴雨の『怪談乳房榎図』は、子どもを抱いた幽霊が、すさまじい形相で滝の中から現れたところ。こめかみの血のどす黒さがリアル。はじめ女性かと思ったが、解説を読むと、男性(絵師重信)の幽霊らしい。

 作品は虫干し状態で壁に掛けてあるので、展示ケースのガラス越しに見る展覧会と違って生々しかった。幽霊が、紙の中から抜け出てきたらどうしよう、と思った。
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「作品」としての知/学術書の編集者(橘宗吾)

2016-09-01 22:10:54 | 読んだもの(書籍)
○橘宗吾『学術書の編集者』 慶応義塾大学出版会 2016.7

 「名古屋大学出版会の編集長として、数々の記念碑的な企画を世に送り出し、日本の学術書出版を牽引する著者が、編集・本造りの実際について縦横に語る、現役編集者必携、志望者必読のしなやかな鋼のごとき編集論」というのが、本のオビに小さな活字で印刷されたキャッチコピーである。地味な(目立つことを嫌ったような)装丁なのに、言っていることは妙に熱い。名古屋大学出版会は、私がかなり偏愛する出版社(者)だ。著者の名前は知らなかったが、あの名古屋大学出版会の編集長と聞いては、読んでみないわけにはいかない。

 本書に収録されているのは、2005年から2015年まで、けっこう長い間に発表してきた原稿等を集めて、加筆・整理したものである。しかし、日本出版学会大会での講演とか、雑誌「大学出版」の記事とか、業界外の人間には、ほぼ目に触れる機会のないもので、どれも新鮮で面白かった。

 本書の大きなテーマは、出版不況を背景に、学術書の役割とは何かを考えることである。まず、日本における書籍の新刊点数と実売部数の統計をもとに、1990年以降、国民全体の読書量が大きくは減らない中で、(A)新刊点数は増えたが(B)1点あたりの平均実売部数は減少していることが示される。AとBは、どちらが原因でどちらが結果とも言い切れない。しかし、増えた新刊点数の分だけ優れた原稿が増えたとは考えにくいので、平均的な質の低下(粗製乱造)が生じているはずである。この傾向を逆転し、製作過程のコンピュータ化によって効率が上がった分を、点数ではなく質の向上へ振り向けることが、編集者には求められている。大いに同感。

 いま学術出版の世界ではデジタル化による「情報爆発」が起きている。電子ジャーナルを主とした自然科学系の学術コミュニケーションのモデルが規範化し、書籍の軽視が起きている。しかし「知識」は全て「情報」に還元できるのか。それは違うのではないか、と著者は述べる。知識には、体系性・全体性・身体性と結びついた面がある。読者は書籍を通じて「知の全体性」に触れ、「『作品』としての知」を体験する。このとき、書籍は必ずしも紙である必要はない。しかし、書籍(学術書)は経験財・信頼財であって、単なる情報とは明らかに違う価値を有するのである。ここも大いに同感。「情報」至上主義的な風潮に対し、いつもモヤモヤと感じていたことを、すっきり整理してもらえて嬉しかった。長谷川一さんの『出版と知のメディア論』(2003)が参照されていたのも嬉しかった。むかし読んだ本だけど、名著だと思っている。

 では、学術書の出版において、編集者が担う役割は何か。編集者は個々の学術分野の専門家ではない。しかし、だからこそ分野Aと分野Bを媒介したり、専門知の協同化を図ったり、専門家を挑発したりできるのである。ああ、こういう編集者の存在によって、私はたくさんの知的に面白い本に出会えているんだな、と思うと、感謝しか言いようがない。ひとことで言えば、編集者は知の「産婆役」である。 

 以下は世に広めたいので、しっかり書き抜いておく。「この産婆的行為は、今日の大学において、学問分野の違いをかえりみずに半ば強制されている短期的なプロジェクト型の研究や、若手研究者に不遇を強いてインスタントな、すぐに結果の出そうな研究へと誘導してしまっているあり方とは、正反対のものです。」(中略)「こんなやり方を続けていては、やがて研究の源泉は枯渇してしまうでしょうし、それは、将来に手渡すべき遺産を悔いつぶすということでもあるはずです。」

 次に、けっこうな頁数を割いて、著者が実際に担当した「一冊の本」に即して、企画・編集の実態が語られる。それがなんと、斎藤希史氏の『漢文脈の近代』(2005)だったので、私のテンションはむちゃくちゃ上がってしまった。私の大好きな本で、「名古屋大学出版会すごい」を実感した本でもあるのだ。初刷1200部、2016年2月現在で第二刷1900部だそうで、私はその1冊を買っている。

 2000年に籠谷直人氏の『アジア国際通商秩序と近代日本』(これ面白そうだ、読んでみよう!)を出した頃から、話は始まるが、次のテーマが確定するまでが長い。そして執筆者である斎藤希史さんに巡り合うまでがさらに長い。学術書の編集者って、本や論文を読み(ついでに目次を「捨て目」しておく)、著者に会って研究の話を聞いたり、研究者の評判を聞いたりしながら企画を考えるのが大事な仕事なんだな。さて執筆を引き受けてもらい、目次案が決まると、斎藤さんは収録予定の論文を少しずつ書いていく。ところが、なかなか刊行の目途が立たない。目次案を見直し、当初は外すつもりだった、梁啓超についての論文を入れることにすると、すんなり仕事が進み始めた。おお、そうだったのか! 私にとって『漢文学の近代』は、梁啓超と森田思軒についての本、という印象なので、意外すぎる裏話だった。

 なお、著者は、別の箇所で「自分らしさが表れた担当作品を紹介してください」とうインタビューを受けて、『漢文学の近代』に加えて、伊勢田哲治著『動物からの倫理学』と岡本隆司著『属国と自主のあいだ』を挙げている。岡本さんの本も、難しかったけど印象深い本だった。情報は速やかに消費されていくけれど、「作品としての知」の耐用年数は長い。著者がこれまで生み出した学術書、これから生み出す学術書の恩恵を、私はずっと受け続けていくと思う。心から感謝。
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