見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

時代も産地も忘れて/柳宗悦の「直観」(日本民藝館)

2019-02-10 23:16:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本民藝館 特別展『柳宗悦の「直観」:美を見いだす力』(2019年1月11日~3月24日)

 大変よい展覧会という評判を聞いて、慌てて見に行った。朝鮮陶磁、木喰仏、日本の民藝など、それまで顧みられることのなかった美を次々と見いだした柳宗悦の「直観」を追体験してもらおうという企画。柳宗悦が蒐めた名品が一堂に展観されている。

 玄関ホールの階段の左右、そして踊り場には木製の食器棚ふうの展示ケース。素材も用途もさまざまな容器や食器が並んでいる。赤-白-青、丸-四角-半円のような感じで、色とかたちのバランスに気をつかいながら並べていることが分かる。私は民藝館に何度も来ているので、これは唐津、これはたぶんスリップウェア、これは朝鮮の革工芸(名前が出ない)という感じで、カテゴリーが想像できるのだが、いつも作品の横に控えめに置かれている展示札が見えない。

 以前、展示札の字を書ける人がいなくなって困っていると聞いたことがあったので、変な心配をしてしまったが、これは意図的なもので、柳宗悦の眼差しを追体験してもらうため、敢えて「説明や解説を省き、時代や産地、分野を問わず」展示するという手法を用いたのだそうだ。面白い。1階玄関ホールには、木造の獅子や木喰仏も出ていた。金工品の展示ケースに出ていた、灯芯を切るための真鍮の鋏には見覚えがあった。

 大階段の壁に掲げられていたのは、大好きな『開通褒斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき)』の拓本。いま『顔真卿』展にも東博所蔵本が展示されているはずで、同時期に二本まとめて見られる機会はなかなかないと思う。私は展示札がなくても、どうしても記憶にたよって展示を見てしまったが、初見の人はどんな気持ちでこの展示を見たのか、聞いてみたい。

 2階の展示室は、少したじろぐほど魅力的だった。一番奥の壁の中央には黒々とした大きな文字。二文字ともつくりが「したごころ(心)」であるのは分かるのだが、いつも読めない…。あとで調べて、梁武事仏碑(梁の武帝が座右の銘として刻んだ石碑)の拓本「懲忿」であることを思い出した。その左右に確か火除けのの革羽織。まわりの展示ケースの取り合わせも実によい。キリスト教の木版画とうんすんカルタと大津絵の羽子板が並んでいたり。しかしこの部屋、壁際にも展示室の中央にも、あまり見たことのない大きめの立体物がごろごろ置かれていて、楽しかった。木造の馬とか鶴がいたと思う。底のすぼまった三角錐の編み籠は、中に重りを入れることできちんと立っていた。

 最も私の注意を引いたのは、入って右手の壁に掛けてあった六曲一隻の『曽我物語図屏風』。何度か見ているらしいのだが、あまり記憶になくて、今回初めてじっくり見た(実は「曽我物語」を読んでいないので、描かれている内容がよく分からないのだ)。よく見ると同じ柄の着物を着た人物が何人もいる。異時同図法で同じ人物を描いているらしい。富士山の山中にキツネがたくさんいるのが不思議。なお、気になった「幕紋」については、以下のブログ記事が詳しかったので参考に挙げておく。→《曽我物語屏風》@日本民芸館(Art & Bell by Tora

 このほか、大階段の裏側は仮面の特集になっていて、民博っぽい雰囲気だった。絵画を特集した部屋には『つきしま(築島物語絵巻)』も出ていた。『浦島絵巻』がないのは残念だなあ。あと根来の瓶子はいいなあ、やっぱり。展示品をどれかひとつ貰えるなら、この根来を持って帰りたい。ポスターになっている上半身だけの岩偶(土偶ではない)もさりげなく出ていた。座ってはいけない展示品のウィンザーチェアが、中国の真鍮製のストーブと取り合わせて展示室の中央に出ていたのも面白かった。

 併設展は「朝鮮半島の陶磁器」「朝鮮時代の文房具」と「工芸作家の仕事」シリーズ。これらには、いつもの黒地に朱書の展示札が添えてあった。
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後鳥羽院の大勝負/承久の乱(坂井孝一)

2019-02-09 22:18:29 | 読んだもの(書籍)
〇坂井孝一『承久の乱:真の「武者の世」を告げる大乱』(中公新書) 中央公論新社 2018.12

 『応仁の乱』に始まる中公新書の「乱」シリーズ(?)、時代を遡って、ついに承久の乱(1221)に到達した。世間的な認知度はよく知らないが、私にとっては、南北朝・室町時代の「乱」よりは、ずいぶん親しみを感じるタイトルである。

 「承久の乱」といえば、朝廷の最高権力者たる後鳥羽院(1180-1239)が鎌倉幕府を倒す目的で起こした反乱というのが一般的なイメージであるが、本書はこの通念を払拭し、研究の進展に即した「承久の乱」像を描きたいという抱負がはじめに述べられている。それで、鎌倉幕府成立くらいから話が始まるのかと思ったら、なんと平安時代中期、後三条による院政の成立から始まる。後三条は譲位から半年ほどで死去し、白河院によって本格的な院政が確立される。これが中世の幕開きなのだ。院の近臣、武士の台頭、寺社の強訴。治天の君による知と財の独占、豪奢にして多彩な文化。いや私、この時代の記述を期待していたわけじゃないんだけどな…と思いながら、嫌いじゃないので楽しく読んだ。

 寿永2年7月、平家一門が安徳天皇を連れて都落ちしたため、後白河院は亡き高倉の四宮・尊成(たかひら)親王を践祚させた。後鳥羽天皇の誕生である。建久9年1月、19歳のとき、為仁親王(土御門)に譲位して院政を開始すると、後鳥羽は「人並み外れたマルチな才能」を開花させた。和歌・音楽・武芸・太刀作り・蹴鞠・宮廷儀礼など、多芸多才ぶりを詳しく紹介していて楽しい。歴史学でなく文学研究の成果もきちんと参照してくれている。しかし著者が「こうした面(諸芸能や学問に秀でた有能な帝王)に考慮が払われることはほとんどない」と書いているのはどうだろう。私にとって後鳥羽院は、何をおいても「歌人」帝王なのだが、一般的な認識ではないのかしら。

 続いて本書は、鎌倉幕府の三代将軍・源実朝について詳述する。ここでも著者は、悲劇の天才歌人とか、朝廷と幕府、源氏と北条氏の間で苦悩したという実朝のイメージを覆したいという趣旨のことを述べている。後鳥羽と実朝の関係が悪くなかったという見方に反論はないが、しかし、やっぱり実朝はよく分からない人だと思った。

 健保7年(1219)1月、実朝暗殺。このことが後鳥羽と鎌倉幕府の協調関係に亀裂を与え、後鳥羽を挙兵に向かわせた。ただしその目的は「北条義時追討」だった。後鳥羽が目指したのは、義時を排除して幕府をコントロール下に置くことであって、倒幕でも武士の否定でもなかった、と本書は説く。なるほど。それはいいとして、乱の勝因・敗因分析で、鎌倉方は適材適所で総合力を発揮したのに対し、京方は後鳥羽院のワンマンチームで実戦経験に乏しいイエスマンしかいなかったから、というのは、ちょっと結論ありきの感じがする。しかし名演説で御家人たちをまとめた尼将軍・北条政子はカッコいい。このとき64歳? こんな晩年に一世一代の大勝負が待っているとは思っていなかっただろうなあ。

 なお『吾妻鏡』によれば、勝負の大勢が決したあと、後鳥羽院は今回の乱が「謀臣」の企みで起きたと主張したそうだ。著者は、後鳥羽の祖父の後白河も、頼朝追討の院宣を発給した後で同様の言い訳をしていることを挙げ、この二人には共通点が多いと指摘している。まあしかし、後白河が乱世を泳ぎ切ったのに後鳥羽がしくじったのは、当人の資質の差というより、時代が変わったということだろう。戦後処理として、後鳥羽・順徳・土御門の三上皇は配流、仲恭天皇は廃位(追諡は明治になってから)。そして、日本の歴史上はじめて、幕府が新たな天皇と上皇を決定する事態となった。天皇と同時に上皇(後高倉院)を決めることが必須だったというのが興味深い。後高倉院は天皇位についていないのに…。Wikiを読むと実に苛酷で不遇な運命。彼は上西門院統子さまに養育されたのだな。

 もうひとつ興味深いのは、承久の乱の合戦の記憶が『平家物語』等の軍記物語に紛れ込んでいるという指摘。承久の乱でも激戦となった宇治川合戦はその一例である。乱直後の1220年代に『六代勝事記』、1230年代に『承久記』が書かれ、ほぼ同時期の1230-40年代に『保元物語』『平治物語』『平家物語』の原型がつくられたのである。文学史の範疇に入る作品は知ってたけど、そうでない資料の存在は初めて知った。

 私は後白河が大好きだが、後鳥羽も嫌いじゃない。私が後鳥羽院を知った最初のきっかけ、丸谷才一さんの『後鳥羽院』を久しぶりに読み返したくなった。そして、また隠岐に行ってみたくなった。
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美点も欠点も/雑誌・BRUTUS「死ぬまでにこの目で見たい日本の絵100」

2019-02-05 22:17:48 | 読んだもの(書籍)
〇雑誌『BRUTUS』2019年2/15号「現代美術家・会田誠の死ぬまでにこの目で見たい日本の絵100」 マガジンハウス 2019.2

 雑誌『芸術新潮』と『BRUTUS』がどちらも日本美術の特集だったので、一緒に購入した。こちらの方が感想が書きやすそうなので先に書く。現代アートの奇才・会田誠氏が選んだ100点。同誌2017年6/15号「人気画家・山口晃の死ぬまでにこの目で見たい西洋絵画100」の日本バージョンである。

 「はじめに」によれば、100点を選んだ結果は「ほとんど教科書通りになりました」「すでに詳しい人には物足りないだろうけど、本当の入門書にはなんだかんだ言ってそっちの方が実用性が高いだろうと思ったので」とのこと。知らない作品はほとんどなかった。近世以前では『平家物語絵巻』(林原美術館所蔵)くらいか。そのかわり、選ばれた作品(というより画家、絵師)に対するコメントは自由で、必ずしも「好き」ではなく「好きと嫌いの中間」だったり、はっきり「嫌い」だったりする。

 黒田清輝の『智・感・情』に対して「僕は黒田は認めません」とか。梅原龍三郎に「(世界の中では)ワン・オブ・ゼム感は拭えないかなあ」、萬鉄五郎に「卒業制作が重文で代表作か」(いや、それ言っちゃおしまい)など、近代作家に厳しい傾向がある。この特集は、基本的に近代を先に、次第に時代を遡る構成になっているのだが、最初の数ページのコメントの辛辣さに冷や冷やする。「近代日本絵画」の抱えるややこしさを、会田さん自身が常に感じているからかもしれない。冒頭の藤田嗣治の戦争画『アッツ島玉砕』に対する、どこか歯切れの悪いコメント。会田さんの著書『戦争画とニッポン』には「日本人の戦争画に対する絶対的な不得手感」は「やっぱり肉をあまり食ってない感じ」という記述があるらしい。高橋由一の『豆腐』(大好き!)が見開きの大図版で掲載されているのには驚いたが、「日本史上最高の油絵はこれではないか」「つまり最初が最高」というアイロニカルなコメントがついている。

 「好き」なんだなあとよく分かるのは、菱田春草『落葉』。「僕の近代日本画全体へのリスペクトは、芸大の図書館で春草の画集を最初からゆっくり見て、晩年の『落葉』に行き当たった時の感動」にあるという。こういう体験的な感動に言及しているのは、もうひとつ狩野永徳の『四季花鳥図襖』(大徳寺聚光院)。「しばらく畳にへたり込んだまま動けないほど」だったという。

 画家の個性をひとことで表してしまうコメントも読みどころ。光琳は「世界史上屈指の才能ある部分と、大したことない部分が同居していた」のに対し、宗達は「天性のセンスを持って生まれた人」というのには同意。雪村を評して「必ずしも一般の人気はないけど、同業者からすごくリスペクトされているミュージシャン」とか、川端龍子は「ゴン中山が呼ばれていたスーパーサブ」(カズは横山大観)という比喩も面白かった。

 芦雪が「奇想の前に、フツーに絵が上手い人のようですね」というのにも同意。若冲については「なんですかあのスーパー御隠居っぷり」と、本人のキャラクターが苦手らしい。岩佐又兵衛については「拾った人生、精一杯生きよう」という感じだったのではないかと想像する。図版は小さいが、新出の『妖怪退治図屏風』が掲載されていることにも注目。

 国芳のことは「江戸バロキズムの覇者!」と呼びたいそうだ。そして、会田誠氏の最新作『MONUMENT FOR NOTHING V~にほんのまつり~』は国芳の『相馬の古内裏』にインスパイアされたのだという。会田氏の作品は、骨と皮だけになった巨大な日本兵(の亡霊?)が天空から国会議事堂に手をのばす様を表現したもの。おどろおどろしくグロテスクだなあと思っていたが、あ、相馬の古内裏か、と思ったら、髑髏のような日本兵が少し可愛く見えてきた。

 会田さんはこの特集の冒頭で「『ネトウヨ的』になることは避けたい」とも述べている。僕らは神に選ばれたかのごとく、絵の才能に特別恵まれた民族というわけではない。美点もあれば欠点もある。注目すべきは長所と短所がセットになった「特徴」であって「特長」ではない。このへんは完全に同意。

 なお、表紙を含め、著者が実際に作品に対面している写真が数枚ある。芦雪の『虎図』『龍図』(和歌山・無量寺)を畳に座って見ていらっしゃるけど、この絵、いまは本堂にあるのだろうか? あと蕭白の『雪山童子図』(三重・継松寺)で特別に出してもらったそうだ。うらやましいけど、会田さんのたたずまいがいいので、これらの写真も芸術作品みたい。

 途中に山下裕二氏に聞く「『奇想の系譜』とは何か?」のコラムもあり。各章の見出しのセンスも好き。
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2019恵方巻とバレンタインチョコ

2019-02-04 23:34:13 | 食べたもの(銘菓・名産)
今日2月3日は節分、と書きかけて、昨日は寝落ちしてしまった。今日2月4日は旧暦の元旦である。新年快楽!

昨日の節分は恵方巻を食べた。柿の葉寿司「ゐざさ」のハーフサイズ恵方巻である。関西のお寿司らしく、甘めの味付け。実はキュウリが入っていないところが私好み。



そして昨日はチョコレートを買いに行った。



ベルギーの「ノイハウス」のチョコレート。かつては銀座に常設店舗があったのだが、2015年に閉店し、日本から完全撤退してしまった。しかし、バレンタインフェアのこの時期だけ、デパートの催事場などに登場することがある。今年も探してみたら、高島屋のオンラインストアに発見。しかし、もう全て「在庫なし」になっている。

さらに探したら、FASHION PRESSの記事「ボンボンショコラの生みの親、チョコレートブランド「ノイハウス」4年ぶり日本へ-有名百貨店で販売」を見つけた。取扱いの一覧に、けっこう多くのデパートが並んでいる。

というわけで、日曜の朝一番に東京駅の大丸に赴き、GET! お世話になった方に贈る分も購入したが、写真は自分用の「エタニティ・ファイブ」5粒入。もったいなくて、まだ食べられない。そして、やっぱりもっと高い(たくさん入っている)ボックスをもう一度買いに行こうかと少し悩んでいる。
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