見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

原作改変の二作品/文楽・平家女護島、伊達娘恋緋鹿子

2024-01-15 21:23:05 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 令和6年初春文楽公演 第3部(2024年1月6日、17:30~)

 2年ぶりに初春文楽公演を見た。大阪で見る文楽、特に初春公演は格別。いつものお供え餅とにらみ鯛。

 大凧の「辰」の揮毫は、京都・壬生寺の松浦俊昭貫主による。そういえば、12月に同劇場で壬生狂言の公演があったのだ。壬生狂言、見たことがないので一度見たいと思っている。

・『平家女護島(へいけにょごのしま)・鬼界が島の段』

 名作なので何度か見ている。前回は2018年の初春公演で、俊寛僧都は今回と同じ玉男さんだった。前回の記憶は曖昧だが、舞台に登場した俊寛のたたずまいにすぐに引き込まれた。11月の文楽公演のプログラムに玉男さんのインタビューが掲載されていて、聞き手が「近年ますます、初代玉男師匠に似てこられたように感じます」と話を向けていたのを思い出した。端正で静かな威厳を感じさせる雰囲気が、確かに初代の想わせて嬉しかった。床は織太夫と燕三で、私の推しコンビ。

 鬼界が島に流された三人の罪人、俊寛、康頼、成経。高校の古文で習った『平家物語』では、俊寛以外の二人の名前が記された赦免状が届き、残された俊寛は足摺りして悲憤慷慨するという物語だった。文楽では、清盛の赦免状には二人の名前しかないが、重盛の添え状によって、三人とも乗船を許される(さすが、情に厚い小松内大臣)。しかし成経が夫婦の契りを結んだ海女の千鳥は乗船を許されない。千鳥を娘のように慈しみ、自分を父親と思ってほしいと言ってきた俊寛は苦悩する。決定打となるのは、京で自分を待っていると思っていた妻のあづまやが清盛に背いて自害したと知らされたこと。妻のいない京へ帰る意味を失った俊寛は、自分の代わりに千鳥を連れていってほしいと懇願する。使者の瀬尾が拒絶すると、瀬尾を斬り殺し、罪を重ねた自分は京へは帰れないと主張する。そして人々を乗せた船が俊寛ひとりを残して去っていくと「思い切っても凡夫心」で岩に登り、松の木を掴んで立ち尽くす。

 俊寛の行動が、正義感や功名心でなく、若い成経・千鳥夫妻への情愛や、愛妻を亡くした絶望で決まっていくのがとてもおもしろい。江戸時代の人々にとっては、そのほうがリアルで共感を寄せやすかったのだろう。

・『伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)・八百屋内の段/火の見櫓の段』

 この作品は、たとえば甲斐荘楠音が絵に描いていたり、おおむかし(1980年代)薬師丸ひろ子が人形振りでお七を演じるCMがあったり、それなりに有名だと思うのだが、私は一度も上演を見たことがなかった。今回は、どうしてもこの演目が見たくて第3部を選んだ。

 しかしこれも西鶴の『好色五人女』とはずいぶん異なる味付けになっていた。お七は吉祥院の小姓・吉三郎と恋仲だったが、吉三郎の主人・左門之助は殿から預かった「天国(あまくに)之剣」を紛失してしまい、明日の明け方には主従とも切腹を決めていた。お七は借金のかたに親に定められた嫁ぎ先・武兵衛が天国之剣を持っていることを知り、これを盗み出す。心は急くが、すでに町々の木戸は鎖されていた。そこでお七は火の見櫓に登って偽りの鐘を打ち、木戸を開けさせて、吉三郎のもとへ急ぐ。

 偽りの鐘を打てば火炙りになることは承知の上、とお七の一途な心情が描写されているが、「恋人に会いたくて放火を犯してしまう」という、善悪を突き抜けた恋の強烈さはなくなって、恋人とその主君を救う貞女ものになってしまっている。え~舞台正面から這うように櫓に登るお七の振り付け(櫓の裏側から人形を遣う)はとても面白いのに、通俗道徳的な物語はちょっと残念だなあ、と思った。

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2024年1月関西旅行:京都・佐々木酒造あたり

2024-01-14 11:02:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

 先週の三連休は関西で遊んでいたので、今年の大河ドラマ『光る君へ』の第1回放送は京都・二条城近くのビジネスホテルのテレビで見た。翌日は早めに東京に帰ろうと思って、ふと考えたら、紫式部の夫・藤原宣孝役の佐々木蔵之介さんの実家「佐々木酒造」が近くにあることを思い出した。朝イチで、ぶらぶら歩いて寄ってみることにした。

 場所は丸太町通の北側。このへんは観光寺院がないのでほとんど来たことがない。ふつうの住宅街の路地に入ると、瓦屋根の木造家屋の前に黄色いケースを積み上げた搬入スペースがあって、その先に店舗の入口が見えた。

杉玉の隣りには、京都風の簡素な正月飾り。とてもよい。

角を曲がると、絵に描いたような造り酒屋の蔵が続く。

煙突。調べたら、昔は酒米を蒸したり火入れをしたりするための燃料として石炭や木炭を使っていたため、燃焼時に大量に発生する煙を排出するのに必要だったという。今では使用していなくてもシンボル的に残している場合もあるそうだ。

そして、酒蔵の壁に寄り添うように建っていたのが「聚楽第武家地 徳川家康邸跡」の石碑。2023年6月に除幕式があったものだという。

 この一帯は、豊臣秀吉が建てた聚楽第の南方に当たり、佐々木酒造の銘柄「聚楽第」の由来にもなっている。ということは平安宮内裏ともほぼ重なるはずで、それじゃ私は、このあたりに来たことがあるかも?と思ったら、もう少し北西の綾綺殿跡(浄福寺通下立売上る)のあたりには来たことがあった。2012年の大河ドラマ『平清盛』に触発された史跡めぐりである。今年は久しぶりに平安京散歩に時間を割いてみようかな。

 この日は、もう1箇所、驚くほど人の少ない東福寺に参拝して、帰京した。

※文春オンライン「佐々木酒造とネコ」(2021/7/29)…猫のポスターが貼ってあったのはそういうわけか!

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2024年1月関西旅行:辰づくし(京都国立博物館)他

2024-01-13 23:41:21 | 行ったもの(美術館・見仏)

今週は軽井沢出張が入ってブログが書けていなかった。関西旅行の記録続き。2日目は京都周遊。

京都国立博物館 新春特集展示『辰づくし-干支を愛でる-』(2024年1月2日~2月12日);特別企画・特集展示『弥生時代 青銅の祀り』(2024年1月2日~2月4日);修理完成記念・特集展示『泉穴師神社の神像(2024年1月2日~ 2月25日)

 私は常設展モードの京博が大好きなので、お正月はとてもいい。3階の「陶磁」は京焼の色絵の名品がお正月らしく華やか。中国磁器の磁州窯や青花蓮華文盤も彩りを添える。三彩馬俑、男子立俑、鎮墓獣なども(明器だけど)晴れやかな雰囲気。2階「絵巻」は京都の寺院に伝わる江戸時代の縁起絵巻が3件。続く『辰づくし』には、濃いオレンジ色の『龍袍(金黄地綴織)』が出ていた。金黄(金杏)色は貴妃や皇子が着る色とのこと。中国ドラマを思い返してみると、そうだったかもしれない。『日高川草紙』も久しぶりに見た。恋する女性が変身した怪物を「龍」と呼んでいいのか、ちょっとためらう。後世の安珍清姫伝説は、男(僧侶)が隠れた鐘に巻き付いて焼き殺すのだが、この絵巻は、鐘を砕いて生身の男を掴み上げ、一緒に水の中に沈んでいく。絶望した表情の男が哀れ。あと、龍の仲間の雨龍、斗牛、飛魚などの紹介も面白かった。

 「中国絵画」は「蘇軾を憶う」がテーマで、石涛の『東坡時序詩意図冊』(大阪市立美術館)が来ていた。1階「彫刻」ギャラリーの一部では、泉穴師神社(いずみあなしじんじゃ、大阪府泉大津市)に伝わる83躯の神像から26躯を展示。女神像の髪型が肩までのボブヘアみたいで興味深かった。

細見美術館 開館25周年記念展II『挑み、求めて、美の極致-みほとけ・根来・茶の湯釜-』(2023年11月14日~2024年1月28日)

 細見美術館の展示は、個人的にピタリ当たるときと外れるときがあるのだが、これは大当たり。さすが開館25周年記念展である。平安後期~鎌倉の仏画、刺繍の大日如来像、『金銅透彫尾長鳥唐草文華鬘』など、文句なしの美の極致。それに加えて、大好きな根来。さらに茶釜を愛でることを教えてもらったのも同館の展示だった。初代・古香庵(細見良)を紹介するコーナーで知ったのだが、細見良氏は毛織物業で財を築いた人物だという。泉大津の細見邸に旧膳所城の高麗門を移築して表門として使用していたが、2018年9月の台風で倒壊してしまい、現在復元中だという(Googleマップに倒壊前と倒壊後の写真あり)。実はこの門を、美術館の表門にしたかったそうだ。

相国寺承天閣美術館 企画展『若冲と応挙』(II期:2023年11月19日〜2024年1月28日)

 第1展示室は『釈迦三尊像』と『動植綵絵』(コロタイプ複製)でI期と変わらず。第2展示室は、若冲の『鹿苑寺大書院障壁画』がメインになった。私は「竹図」とその裏側の「秋海棠図」が好き。応挙も『山水図屏風』や『大瀑布図』が出ている。『大瀑布図』は、もうちょっと床ぎりぎりくらいの低い位置に展示してほしかった。円山応瑞の『朝顔狗子図』は、最近の円山派わんこブームに乗っかった感じ。

京都文化博物館 『異界へのまなざし あやかしと魔よけの世界』(2023年11月25日~2024年1月8日);『シュルレアリスムと日本』(2023年12月16日〜2024年2月4日);『シュルレアリスムと京都』(2023年12月23日~2024年2月18日);『日本考古学の鼻祖 藤貞幹展』(2023年12月9日~2024年2月4日)

 『異界』展は、土蜘蛛草紙や百鬼夜行絵巻(いずれも模写)などの絵画資料、陰陽道の占いや魔除けに関する文書、さらにお守り(蘇民将来)、お札(角大師)、仮面(壬生面、嵯峨面)などもあって、バラエティに富んでいた。陰陽道に関する各種資料を含む「大國家文書」というのは、蔵人方の陰陽の事を掌る地下官人だった大國家に伝わった資料らしい(総合資料館だより 2004.4.1, PDFファイル)。

 その他の展示も面白かった。シュルレアリスム絵画は、好んで見るほど好きなジャンルではないが、ぼんやり見ると興味深かった。実は現実の時代状況と強くリンクしていて、写実絵画よりずっと政治的・社会批評的だと思った。

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2024年1月関西旅行:女流画家たちの大阪(大阪中之島美術館)他

2024-01-09 22:47:48 | 行ったもの(美術館・見仏)

 新年の三連休は関西方面で遊んできた。このところ、春夏秋は京都のホテルがほとんど取れなかったので、とりあえず宿泊を確保したところで安心して、ギリギリまで計画を立てるのをサボっていた。年明けに、慌てて新春文楽公演のチケットを取って、初日は大阪観光からスタートすることにした。

大阪中之島美術館 『決定版!女性画家たちの大阪』(2023年12月23日~2024年2月25日)

 約百年前の大阪では、島成園、木谷千種、生田花朝など多くの女性日本画家が活躍していた。当時の美術界は、東京と京都がその中枢を担い、制作者は男性が大多数を占めていたが、女性日本画家の活躍において大阪は他都市と肩を並べており、その存在は近代大阪の文化における大きな特色のひとつとなった。本展は、50名を超える近代大阪の女性日本画家の活動を約150点の作品(展示替えあり)と関連資料で紹介する。

 え、昨年も『大阪の日本画』展で多数の女性画家を紹介したばかりじゃん、変わり映えのしない…と文句を言いながら、見に来てしまった。そして、やっぱり見に来てよかった。島成園だけで30点(前期)も一気に見ることのできる展覧会なんて、関東ではまず考えられない。昨年の『大阪の日本画』は東京にも巡回があったのだが、残念ながら本展はないらしい。『祭りのよそおい』『おんな(原題・黒髪の誇り)』『無題』(痣のある自画像)など見覚えのある作品もあったが、実験的な『伽羅の薫』は初めて見た。島成園は、なんでもない女性像にドキリとする色気があって好き。島成園とともに「女四人の会」を名乗った岡本更園、木谷千種、松本華羊もみんな好きだ。彼女たちが『好色五人女』を題材に競作を発表した展覧会の写真があって、作品の前に並んだ、地味な着物姿の四人(若いのに堂々としている!)がとても魅力的だった。

 華やかな美人画に続いて、跡見花蹊など、南画、花鳥画などの伝統的なジャンルで活躍した女流画家を紹介する。このへんは女性が描いたと言われなければ、作者の性別は全く分からない。そして明るい色彩で大阪の風俗を描いた生田花朝。昨年『大阪の日本画』で覚えた画家のひとりである。山内直枝の『百鬼夜行絵巻』も面白かったので書き留めておく。真珠庵本などで知られる百鬼夜行絵巻をアレンジしたもの。軽妙でスピーディな筆の運びが気持ちいい。作者は尼僧であったともいうが、詳しいことは分からないそうだ。

大和文華館 特別企画展『やまと絵のこころ』(2024年1月5日~2月18日)

 平安時代に日本の風物を描いたことから始まった「やまと絵」。常にその核心には、日本の自然や風俗を主題にした親しみやすさと、色彩や描線の優美さがあったといえる。本展では、やまと絵の根底に流れつづけた美の本質すなわち“やまと絵のこころ”に迫る。昨年の東博『やまと絵』展の記憶を振り返りながら見に来た。何と言っても見どころは『寝覚物語絵巻』。東博では第3期に出陳されていたが、私は行っていないので久しぶりである。4つの場面が一気に開いていて嬉しかった(たぶん2020年の同館開館60周年記念展以来)。第1~3段は、吹抜屋台の建物と庭先の草木を描く。第4段は室内のみで僧形の人物が向き合っている。植物も人間も、ゴムでできたような、やわらかな形態が特徴で、これが後代のやまと絵にも受け継がれていく。

 佐竹本三十六歌仙絵断簡『小大君』も出ていたが、これは髪の毛先の跳ね上がり方が魚の(ゴジラの?)背びれみたいで面白いと思った。宗達の伊勢物語図色紙『芥川』を見ることができたのも眼福。あわせて同色紙『衰えたる家』も見ることができて、昨秋、久保惣美術館で見た『宗達』展を思い出していた。伊年印『草花図屏風』はあまり記憶になかったもの。六曲一隻屏風の左側に唐黍、右側に鶏頭を大きく描き、その間に背の低い茄子やヤツガシラを描く。また2023年に生誕200年、2024年に没後160年を迎える岡田為恭(冷泉為恭)の作品もまとまって出ており、『善教房絵詞模本』や『粉河寺縁起模本』の丁寧な仕事に感心した。

 このあと、再び大阪に戻り、文楽の舞台としても有名な「難波大社 生國魂神社」を初訪問。御朱印をいただき、国立文楽劇場で第3部の公演を見た(続きは別稿)。

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和紙舗と生活の美/HAIBARA Art & Design(三鷹市美術ギャラリー)他

2024-01-04 23:00:24 | 行ったもの(美術館・見仏)

年末年始休み(今日まで)に見てきたもの。あとで書こうと思うと溜まってしまうので、今年はまとめて書いていくようにする。

三鷹市美術ギャラリー 『HAIBARA Art & Design 和紙がおりなす日本の美』(2023年12月16日~2024年2月25日)

 日本橋に店舗を構える和紙舗「榛原(はいばら)」の仕事を紹介する。榛原は1806(文化3)年、初代須原屋佐助(中村佐助)が小間紙屋を開業したのが始まりと言われている。須原屋?と思ったら、書物問屋の須原屋茂兵衛の店で支配人をしていた人らしい。18世紀の終わり頃から生産が開始された熱海製の雁皮紙の販売で評判を得る。本展の展示品は、おもに明治から昭和初期にかけて製作された和紙や紙製品。河鍋暁斎、梶田半古、川端玉章、竹久夢二などの有名どころが千代紙のデザインをしていることに驚く。千代紙は、大奥の女中が衣装箱や道具箱の裏張りに使っていたのが町人に広まったのだという。私の子どもの頃(1960年代)は、まだ東京の駄菓子屋で安い千代紙が売られていたことを思い出し、懐かしかった。

※参考:はいばらオンラインミュージアム

三井記念美術館 『国宝 雪松図と能面×能の意匠』(2023年12月8日~2024年1月27日)

 年末年始の恒例展示、円山応挙筆『雪松図屏風』に加え、旧金剛宗家伝来の能面と能装束、さらに能面作家・橋岡一路氏より寄贈を受けた、古面写しの能面を展示する。第1室の能面は、透明アクリル板に留めつけてあって、ほの暗い展示室で宙に浮いているように見えた。裏側(内側)を見ることができるのも新鮮だった。私は能面に詳しくないので、目だけでなく鼻や口も基本的に孔を開けるものであることを初めて知った。能衣装は、直前に根津美術館の『繍と織』で見た桃山~江戸時代のものに比べると、明治~大正時代のものは(三井だからか)派手派手しくて、あまり好きになれなかった。ただ『刺繍七賢人模様厚板唐織』は、ヘンな動物がたくさんいて楽しかった。

静嘉堂文庫美術館 『ハッピー龍(リュウ)イヤー!~絵画・工芸の龍を楽しむ~』(2024年1月2日~2月3日)

 龍をモチーフとする作品を幅広いジャンルから集めて展示。はじめに南宋刊本の『説文解字』が展示されており、パネルにも詳しい解説があった。その一節「春分ニシテ天ニ登リ、秋分ニシテ淵ニ潜ム」を読んで、そんな性質だったか~と感慨深く思った。毎年、天と地を往還しているのだな。静嘉堂文庫と縁の深い大漢和辞典についてのパネルもあって、龍を4つ重ねた漢字(読みはテツ、テチ)があると紹介されていたのも面白かった。絵画・工芸は、中国、朝鮮、日本から集められていたが、やはり見どころは明清の陶磁器だろう。官窯の大作が多い。丸の内に移ったことで海外のお客さんの目に触れる機会も増えたように思われるのは嬉しい。布製品の『紺地龍"寿山福海"模様刺繍帳』も注目で、清朝皇帝の袍をほどき、帳(垂れ布)につくり替えた可能性があるという説明がされていた。

文化学園服飾博物館 『魔除け-見えない敵を服でブロック!-』(2023年12月9日~2024年2月14日)

 日本と世界各地の民族衣装や装身具に見る魔除けや招福の役割を探る。同館では、2015年にも『魔除け~身にまとう祈るこころ~』という展覧会が開催されていて、とても興味深い展示だったことを記憶している。中国の五毒をデザインした子供服や、タイの赤いボンボンのついた帽子(ニワトリのトサカをイメージ)などは、ああ見た見た、と記憶がよみがえった。色彩的には、招福も魔除けも赤が多いように思った。

印刷博物館 企画展『明治のメディア王 小川一眞と写真製版』(2023年11月18日~2024年2月12日)

 明治期に活躍した写真師、小川一眞(小川一真、1860-1929)は、写真製版によってたくさんの印刷物を製作、出版した。写真製版が印刷をどのように変えたのか、近代日本における視覚メディアの発展と視覚文化の形成に与えた影響を探る。私は昔から写真の歴史に興味があって、小川一真の名前もむろん知っている。全く忘れていたが、ブログを検索したら、2009年に東博で『東京国立博物館収蔵の古写真と写真師小川一真』という講演会を聞いていた。しかし本展は、小川一真を「写真師」としてだけでなく、写真から印刷の版をつくり、写真の「出版」を可能にした人物と捉えるところが新しい。会場では小川の作品(写真、多くは出版物から起こしたもの)が多数、引き延ばされて壁を埋めている。人物写真あり、絵画や仏像、美術工芸品の写真あり、地震や津波の記録写真あり。そして展示ケースの中には、数々の立派な写真帖が鎮座している。写真帖というかたちで歴史を潜り抜けてきたことは尊いが、正直、もっと気軽に中の写真を全て見ることができるようになってほしい。デジタル化してパブリックドメインに置いてほしいと切実に思った。

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新しい古典の誕生/映画・ゴジラ-1.0

2024-01-02 20:03:41 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇山崎貴監督・脚本『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』(TOHOシネマズ日本橋)

 年末年始休暇のうちに映画館で映画が見たくなって、大晦日の朝に見てきた。事前に私が仕入れていた情報は「敗戦後すぐが舞台」「朝ドラ『らんまん』の主役コンビ、神木隆之介くんと浜辺美波さんが主演」「神木隆之介くんは元特攻隊員」「ゴジラが怖い」くらいだったが、とてもおもしろかった。

 大戦末期、特攻隊として出撃した敷島浩一(神木隆之介)は、搭乗機の故障のため、大戸島の守備隊基地に不時着する。しかし整備兵の橘(青木崇高)は故障個所を見つけられず、敷島が特攻逃れのために故障を偽ったのではないかと疑う。その晩、基地は巨大な怪獣「呉爾羅(ゴジラ)」に襲われる。橘は敷島に、零戦に装着されている20ミリ砲でゴジラを撃つよう懇願するが、敷島は恐怖で撃つことができず、敷島と橘以外の整備兵は全滅してしまう。

 終戦。東京に戻った敷島だが、両親は空襲で亡くなっていた。ぼんやり暮らしていた敷島のところに、戦災孤児である赤子の明子を連れた典子(浜辺美波)という女性がころがり込み、奇妙な同居生活が始まる。典子と明子のために仕事を探していた敷島は、機雷の撤去作業の職を得て、掃海艇に乗り込む。

 1946年、ビキニ環礁で米軍による核実験が行われる(ゴジラが巨大化・凶悪化するには、やはりこれが必須なのね)。1947年5月、巨大生物が日本に向かって移動していることが観測される。日本政府は混乱を恐れて、国民に事実を秘匿したまま、ひそかに迎え撃とうとするが全く歯が立たない。上陸したゴジラは、熱線で東京中心部を壊滅的に破壊し、典子も行方不明になってしまう。

 占領下で独自の軍隊を持たない日本は、民間人のみでゴジラに立ち向かうこととなり、駆逐艦「雪風」の元艦長・堀田は、元海軍関係者を集め、作戦への参加者を募る。科学者の野田は、ゴジラを相模湾の海溝に沈めて急激な水圧の上昇を与え、さらに海底から海上へ引き揚げて減圧を与える作戦を提案した。敷島は、自分が戦闘機でゴジラを誘導することを申し出、日本に1機だけ残っていた戦闘機「震電」の整備のために橘を呼び寄せる。

 【ネタバレ】ついに日本再上陸を目指すゴジラが出現。堀田らは作戦を遂行するが、急激な加圧も減圧も効かない。敷島は、爆薬を搭載した震電でゴジラの口の中に突っ込む。爆破成功。そして敷島は、特攻直前、パラシュートで脱出していた。帰還した敷島は、典子が病院で待っていることを知る。

 本作で敷島個人および日本という国が体験する、失敗→自責→困難の克服、というのは、ある種、古典的な作劇パターンだと思うが、分かっていても劇中人物と一緒に怯え、手に汗握り、最後は涙してしまう。困難の克服が「特攻」のやり直しではなく、敵を撃破して、かつ生き延びるという描写なのがとてもよい。最後、生きていた典子に再会した敷島は、典子にすがっておんおん泣くのだが、神木くん、女性にすがって泣く姿がこんなにさまになる俳優もいないのではないか。

 敷島が新しい人生に踏み出すには、典子の存在が不可欠だったが、より大きな意味を持っているのは、整備兵の橘である。大戸島の一件以来、敷島の臆病さを罵り、軽蔑していた橘が、震電に脱出装置を取り付けて、敷島に引き渡すのである。神木くんと青木崇高さんといえば、大河ドラマ『平清盛』では義経と弁慶の主従役だった、などと古い記憶まで呼び覚まされて、感慨にふけってしまった。今後、本作がテレビ放映等で親しまれ、ゴジラ映画の古典の位置を占めてくれることを願ってやまない。

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2024初詣・深川七福神巡り

2024-01-01 20:46:36 | 日常生活

明けましておめでとうございます。去年の正月は喪中だったので、2年ぶりに新年の賀詞を唱えてみる。

今年は、毎日なるべく歩こうと決めたので、元旦から深川七福神巡りに出かけた。門前仲町の住人になって2回目のお正月、2019年にも一度巡っている。当時は生活圏が極端に狭かったので、清澄白河も森下もよく分からなかったが、今はすっかり地元感覚である。

2019年と同じ、深川不動堂~恵比須神(富岡八幡宮)~弁財天(冬木弁天堂)~福禄寿(心行寺)~大黒天(円珠院)~毘沙門天(龍光院)~布袋尊(深川稲荷神社)~寿老人(深川神明宮)というコースで回った。2019年の記事を読んでみたら、冬木弁天堂では「小さなお厨子の中に、木目込み人形のようにきれいな錦の着物を着た、かわいい弁天様」と書いているが、今年はそのほかに、大きくて美麗な弁財天坐像(琵琶を抱えていたような気がする)が安置されていたのが印象に残っている。龍光院では「本尊は阿弥陀三尊で、その右隣に立派な木造の毘沙門天立像」と書いているが、今年は毘沙門天立像が、本尊の前に押し出されていた。

あと、最近流行りの「花手水」で目を楽しませてくれたのは、まず福禄寿の心行寺。

こちらは寿老人の深川神明宮。深川神明宮には「今年は6年ぶりの本祭」というバナーが出ていた。2024年8月16日~18日に例大祭(本祭り)が行われるとのこと。私の母の実家は森下にあって、子供の頃、夏休みに泊まりにいくと盛大なお祭りに遭遇することがあったのは、このお祭りかもしれない。

七福神巡りの道案内はこのオレンジの旗。

新年の願いは健康と平和でした。

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