素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

第38回 信玄公祭り

2008年04月13日 | 日本の歴史

戦国の名将「武田信玄公」いま蘇る。

桜の花が咲き誇る春、甲府盆地は一気に戦国時代にタイムスリップします。      戦国時代の名将・武田信玄公を偲び、命日である4月12日を中心に、信玄公祭りが山梨県内各地で催されます。

                                        中でも信玄公とその重臣24将の武者軍団が出陣する様子を再現した『甲州軍団出陣』は山梨県の最大のイベントです。

       

この催しを山梨県観光物産連盟より配信して頂いている「富士の国やまなし観光ネット」で知り、出陣式典の観覧席希望の申込みをしたら運良く2席分当たり、先日行ってきました。                                      今年の武田信玄公役は京都市左京区生まれで「噂の刑事トミーとマツ」等で活躍された俳優『国広 富之』氏。                                         そして他国の情報と軍法の知識で功績、武田軍を支えた山本勘助晴幸役を兵庫県出身で「一度だけなら」で歌手デビューした野村真樹さん。現名『野村 将希』氏 

                                                 武田家の出陣式は、三献の儀であった。                                                                              先ず信玄公が武装して、南向きに床机に座る。左右に武田一族と軍団の重臣が胡座をかいて居並び、信玄公は打鮑を口に入れ、盃には三度に分けて酒が注がれる。        次に、勝栗と三度の酒、さらに干し昆布と三度の酒で締めくくる。        酒は三三九度であり、肴は「この戦に勝栗、敵を打飽とし、よろ昆布なり」(この度の合戦に勝って、敵を打ち、喜ぶ)の語呂合わせで縁起を担いだものである。 

                                              かがり火が灯され、ホラ貝が響き渡れば、いよいよ出陣 各地から集まった1,600余名の軍勢が、甲府駅前を起点に大通りを進軍。                         信玄公を取り巻く女性たちを中心とした華麗な「武田時代行列」に続き、騎馬隊や槍・弓を身につけた武者たちが一大戦国絵巻を展開しました。

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会津武家屋敷

2007年02月12日 | 日本の歴史

会津藩の武家屋敷は、戊辰戦争によって殆んどが武具・家財と共に焼失したようです。                                         この屋敷は会津藩松平家譜代の家臣で、代々家老職を務めた西郷頼母(さいごうたのも)邸を2年余りの歳月をかけて復元したとの事です。                  けやき・ひのき・杉材を使用した和様建築の豪華壮大な造りとなっており、敷地面積2,400坪、建築面積は280坪に及び、38の部屋があり、畳の数はなんと328枚にも及ぶ広大な御屋敷です。                                       内部には人形で当時の武家の暮らしが再現されていました。

この絵は御成りの間より家老屋敷を撮ったものです。

           

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雪の遠山家

2007年01月28日 | 日本の歴史

高山から白川街道を走り、御母衣ダムを下ると、最初に見えるのが、この旧遠山家民俗館

この遠山家が見えると、「白川に来た」と言う実感が湧いて来ます。 

大家族制度をしのばせる大合掌家屋で内部は5階建てとなっています。        文政10年(1827)頃の建築で、明治中頃まで50人ほどの大家族が居住されていたようです。

絵の中のエスティマ・ルシーダ、12年間で176,000キロ走破しました。  南は兵庫の出石町迄ですが、それから北は関東・中部・北陸・東北・北海道を走り抜いた元気な車でした。車重は2トンありましたが、通常走行でリッター当り11キロ、遠乗りすると14~15キロは走った私の愛車です。

             

 

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❖ 奈良井宿 ❖

2006年10月28日 | 日本の歴史

木曽路はすべて山の中である。                           あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。 一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。・・・・・ 

                                         木曽路の厳しい街道の様子から始まる、島崎藤村の《夜明け前第一部上の序文であります。

 借景と建物を見ていると、日光江戸村にでも来たかのような感覚で、いきなり侍でも飛び出してきそうな雰囲気でした。

生活をされている宿場の方々は、何かと不便でしょうが、是非この町並を末永く残して頂きたいと願っています。 

 

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双体道祖神と水車

2006年10月12日 | 日本の歴史

幸せを呼ぶ、路傍の神様。

集落の入口で疫病や悪霊を追い払い、人の往来を見守っては縁結びの役を果たし、広場では子供の守り神にもなっている道祖神。                         安曇野の祖先たちは五穀豊穣無病息災子孫繁栄を祈願するもっとも身近な神様として、独特の知性とユーモアで、その姿を造ってきました。

男神と女神が肩を抱く像、さりげなく手をつなぐ像、婚礼を祝って酒器を手にする像、遠慮がちに寄り添う像など、その表情と姿態はさまざまで、愛らしい双体像との出会いは安曇野散策の楽しみの1つです。

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◎ 秋の木曽路 ◎

2006年10月09日 | 日本の歴史

国道19号線を名古屋に向うと、右手に是より南、木曽路の石碑が見える。

                                                                                                                                        そこから8キロほど行くと奈良井宿である。                     この街道は林業が盛んで工房が多く、また宿場の多い街道で、楽しいドライブの出来るコースである。                                              ただ、スピード狂の定期便が多いので注意しましょう。

奈良井宿は駅よりの地区が両側、側溝の工事が行われていました。        一寸残念でしたが、この宿場は大きい。距離にして2キロ近く有るのではと感じました。撮影には全然支障ありません。

木曽材をふんだんに使って造られた木曽の大橋立派な橋です。              木曽の山あいに溶け込み、良い雰囲気を出していました。

   

              

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遠野の千葉家

2006年03月08日 | 日本の歴史

柳田 国男著の「遠野(とおの)物語」で有名な岩手県遠野市の千葉家です。

現在も住人の方がおられ、茅葺の曲り家を守られています。

街では民話を聞かせて下さる、「語りべ」さんが居られ沢山の民話を聞く事が出来ます。 皆、童心に返って聞き入ります。                          デジタルの世界から見ると、懐かしい世界です。

                 

遠野物語の書き出しをご紹介

この話はすべて遠野の佐々木鏡石君より聞きたり。                            昨 明治42年の2月ごろより始めて夜分おりおり訪ね来たり この話をせられしを筆記せしなり。  鏡石君は話上手にはあらざれども誠実なる人なり。                          自分もまた一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。                       思うに遠野郷にはこの類の物語なお数百件あるならん。

                                           我々はより多くを聞かんことを切望す。                              国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。           願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。                              この書のごときは陳勝呉広のみ。・・・・・・・・

 

 

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