平安初期の建築を今に伝える山里の寺を訪ねてみました。
秋には楓の紅葉や銀杏の黄葉が深山の緑に錦を織り、秋雨に煙る尾根から落ち葉が流れて谷川を彩る。こんな触れ込みにひかれてしまいました。
前日が雨であったので、触れ込みの文句に似た雰囲気で心躍りました。 朝一で太鼓橋を渡り参拝。仁王門を抜け、鎧坂の階段と金堂を撮ろうと足早に向かったが、すでにお寺の方達が階段の落葉を清掃されていました。 「エッ!」と思いましたが仕方ない。ジーパン等の私服で作業されていましたが、ちょっとサービスで一休さんの様な衣装で清掃作業をして頂けると絵になるのにと感じました。残念
このお寺は奈良時代の末期、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒を五人の高僧が祈願。親王の病気が癒えたため勅命により創建されたと伝えられているようです。
三重県に近い山深い場所にあり、山岳修行の場としても重要な拠点であり、また、女人禁制の高野山に対し、女性の参拝も受け入れていたため、『女人高野』としても親しまれているとの事です。
このお寺には、お宝が山ほど有るようです。 まずは、五重塔。現存する中では法隆寺の次に古く、戸外の塔としてはもっとも小振りで平面の広さに対して塔高が高いためほっそりスッキリして女性的な印象が特徴のようです。
さらに、本堂、金堂がともに国宝で、金堂内に安置されている本尊の釈迦如来立像や十一面観音立像、弥勒堂の釈迦如来坐像など国宝だらけで奈良市内に在れば当然に世界遺産になっていたお寺のようです。