昨日今日と天気予報が良い方向にはずれ、朝晩はともかく日中は真夏の暑さであった。 そんな事で、この土日にお祭りを予定していた主催者さんは、ホッとされたと思います。 南足柄市でも山向こうの静岡県小山町と共催で9月9日(日)「第41回足柄峠笛まつり」が足柄峠で開催されました。
家にいても暑いし「よし行こう」と考えた。 ただ足柄峠まで道は狭いし、駐車場も少ないだろうと思い、車は夕日の滝駐車場に置き、練習不足解消のためトレイルランで金時山(1,213m)に向かい、帰りに足柄峠へ回るコース取りをした。駐車場を8時35分出発。
到底、全コース走り通すことなど不可能だが、極力歩くことは避けるようにして、どんなに遅くとも腕振りを心がけスロージョギングで行こうと考えた。
夕日の滝上部から最初の分岐点まではどうにか走り、沢を越え尾根に出るまでが木の根が露出し、一歩が高い階段状になっていたりで、汗は出るが走る気力は出なかった。 この辺は、私の大好きな言葉の『臨機応変』を活用して金時山を目指した。
金時山直下まで1時間、山頂までは急登で梯子が10ヵ所位あっただろうか? 30分と地図通りの時間がかかった。 何十年振りの山頂、富士箱根の景色が素晴らしかった。 仙石原から遠く芦ノ湖方面です。
こちらは金時茶屋と富士山です。
帰りは山頂から金時下まで20分、そこから足柄峠まで20分かかった。 到着11時06分。 祭りは10時30分からであり、最初のセレモニーは終了し、皆さん峠広場の会場に移動中でありました。会場から見た金時山です。
『足柄山笙(しょう)の調べ』の故事について 八幡太郎義家の弟、三郎義光は琵琶湖のほとり三井寺の近くの新羅の森で元服したから新羅三郎義光と云っていた。 戦乱の世にあっても風雅の心を失わず、笙は時の名人「豊原時元」に学んだ。
堀河天皇の御代に奥州の清原武衡などが叛(そむ)いて兵を挙げたので、これを鎮定するために八幡太郎義家が行った。 世に云う「後三年の役」で、この時敵の抵抗強く義家苦戦と聞いて三郎義光は数十騎の兵を連れて逢坂山を越え、日を重ね足柄峠に露営したのは仲秋名月の夜であった。
新羅三郎義光は豊原時秋を傍(かたわ)ら近く呼んで『よく聞かれよ。我は御尊父より笙の秘曲を授かり、これを後世に伝うべく託された。 然るに、この度戦場に赴く上は生死の程も計り難い。我死なば、この道はすたれ先師の志をも空しうする。 只今、これより相伝の秘曲を伝授すれば、貴殿はこれより京へ引き返し、この道を守られよ。』と論し、伶人(れいじん)豊原時秋に笙の奥義を伝えた。との事であります。