桜のスポットとして有名な弘法山 を以前から一度歩いてみたいと考えており、やっと決行してみた。
[キャラバン] トレッキングシューズ C7_03 0010703 100(グレー) 25 cm 3E
ソールの厚さ:2.5cm
Caravan
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染井吉野を撮るには花色が淡紅白色なので曇りの日より、青空の日に限ると思っていたので、一寸訪問が遅れてしまった。 時期としては低い山なので、街中で咲き出すのと同じくらいの様である。
そんな事で、今回は新緑の森の中をノンビリ歩くことになった。
9時半に善波トンネル手前の登山口に着き、南側に見える弘法山から吾妻山に通ずる尾根に向かって歩き出した。 途中で振り返ると、のどかな風景の先に秦野市街が望めた。
10時に尾根道に出た。
登山道案内板には弘法山まで0.5Kmとなっていたが、先に鶴巻温泉駅寄りの吾妻山へ行き、戻って弘法山、権現山、浅間山へと縦走して秦野駅へ下ることにした。
緑豊かな 森の中を進む尾根道で緩いアップダウンがある程度なので、トレイルランでも楽しめそうなコースであった。
吾妻山到着、10時半。5分休憩。
山頂案内板による吾妻山の歴史
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は東国征伐に三浦半島の走水(はしりみず)から舟で房総へ向かう途中、静かだった海が急に荒れ出し、難渋していました。 そこで妻の弟橘比売(おとたちばなひめ)は「私が行って海神の御心をお慰め致しましょう。」と言われ、海に身を投じられました。 不思議に海は静まり、無事房総に渡ることができました。
征伐後、帰る途中で相模湾、三浦半島が望める所に立ち、今は無き弟橘比売を偲ばれ「あずま・はや」と詠まれた場所が、この吾妻山だと伝えられています。
ここ吾妻山から弘法山経由秦野まで新緑の森の中を進む。
途中ではホタルカズラ、タチツボスミレ、シャガ、ヤマブキ、タンポポなど可愛い花々が見られた。
スタート地点の尾根合流点に戻る。11時15分。
楽しみにしていた弘法山の桜に向かう。木々の新緑の中で深呼吸。
弘法山は予想と違い木々が鬱蒼とし、桜は終わり展望の良くない山頂だった。
ただ弘法山という名前は 弘法大師(774~835)がこの山頂で修業したことから名付けられたとの伝承があり、権現山(千畳敷)を含んで呼ぶこともあるようです。
鐘楼は当初より「時の鐘」として親しまれ、災害などの発生を知らせながら昭和31年まで撞(つ)き続けられたようです。
現在の鐘楼は慶応3年(1867)に再建されたものとのことです。
弘法山から権現山へは広い馬場道をすすむ。遅咲き桜が迎えてくれた。
両側が染井吉野の並木道になっており、満開時に来られなかったことが悔やまれた。
権現山近くには、低い階段と両脇に車椅子でも登れるように造られた坂を登れば、
展望台があり、見晴らし最高の広々した権現山到着である。11時45分。
大山 は見えたが、富士山 は雲が出てしまい見ることは出来なかった。
権現山から浅間山へは緩い下り基調で進み、東屋のある浅間山に着く。 12時。
浅間山からは広く明るい道を下り、
最後の金目川と車道に出るまでが階段状の急な下りとなり、頑張り所であった。
※ 訪問、ありがとうございます。