素晴らしい風景!!

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📚 樋口一葉ゆかりの慈雲寺へ 📚

2023年04月01日 | 古寺巡礼

樋口一葉は東京で生まれ育っていますが、何故?慈雲寺に一葉女史の石碑があるのでしょう❓

慈雲寺のある、ここ大藤の里は、明治の女流文学者として近代文学史上に今以て燦然と輝く樋口一葉女史の「父母のふるさと」なのであります。

先ずそのお話をする前に慈雲寺の開創について、お話しさせて頂きます。

天龍山 慈雲寺は聖観観世音菩薩が御本尊様の臨済宗 妙心寺派のお寺で、甲斐百八霊場の第十番札所になっています。

慈雲寺は南北朝時代の暦応年間(1338~1342)に京都と鎌倉を往き来して、京都の天龍寺などを開山した僧として有名な夢窓疎石によって開かれたと伝えられています。

また、こちらの境内には『慈雲寺のイトザクラ』という見事な桜が咲き、山梨県の天然記念物に指定されています。

ウバヒガン桜の変種ということで樹齢は三百三十年ほど、枝を四方に垂らして糸が垂れる様な形、花色は淡紅色で春には美しい花を咲かせ沢山の参拝者を魅了しています。

それでは樋口一葉と慈雲寺の関連について                        一葉の両親は慈雲寺の寺子屋に通っていたとのことです。                             そして、ここで知り合い安政4年に二人で江戸に出ました。                        何故、江戸に行ったのかという理由は諸説あるようです。一葉はその 15年後に誕生しました。 後に、一葉の母(たき)は他の土地の見聞に乏しい一葉に若き日の自分を懐かしみながら話を聞かせました。

一葉は明治5年3月 25日に樋口則義、たきの次女として東京で生まれました。                明治 22年に父を失った一葉は一家の生計を立てようと小説を書き始め、貧困に苦しむ中で「大つごもり」・「ゆく雲」・「にごりえ」・「たけくらべ」・「十三夜」などを書き続けましたが、明治 29年 11月 23日に 24歳の短い生涯を閉じました。

樋口一葉女史文学碑                                             この碑は大正 11年(1922)一葉女史の文才を偲びて建てられたものであります。        題額は東宮御学問所 御用掛 杉浦重剛、撰文は芸術院会員 幸田成行(露伴)、書は宮中御歌所出仕 岡山高蔭にて当時最も新しい形の碑文で、日本最高の文学碑と云われています。

                          

いま、ここに一葉女史の見ることのなかった父母のふるさとへの愛着と思慕の念を秘めた作品 『ゆく雲』 の一節を碑文に刻み、一葉女史と郷党の人々との心の結びつきを一層深めるために記念碑を建立した。

『ゆく雲』 の碑文の一節は全体の中間あたりに書かれたものですが、書き始めより甲府・塩山・勝沼など地名が出て、母から聞いたことが住んでいたかのように克明に書かれています。

我が養家は大藤村の中萩原とて、見わたす限りは天目山、大菩薩峠の山々峰々垣をつくりて、西南にそびゆる白妙の富士の嶺は、をしみて面かげを示さねども、冬の雪おろしは遠慮なく身をきる寒さ・・・ 

 

 

 

コメント (4)
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