山梨県甲府市にある山で、山梨百名山に数えられている『要害山』を歩いて来ました。
要害温泉から見ると、こんもりとお椀を伏せたような山容が確認できます。
山中には要害城跡があり、本丸跡は標高 770mで、最高点は東側にある 780mの場所となっている。
県道「甲府山梨線」の仲川沿いにある要害山登山口駐車場に 8時 40分到着。 10分で準備を済ませ出発。 仲川の橋を渡り、5分で登山口に着いた。
西側斜面を登り出し、春先の木々の芽吹きと小さい花々に迎えられカメラを向けるが、日陰であり元気さに今一欠けるように見えた。
マルバアオダモ(モクセイ科) 低山で見られる落葉高木。
オオツクバネウツギ(スイカズラ科) 山地の明るい落葉樹林で見られ、高さ2~3mの落葉低木。
チゴユリ(イヌサフラン科) 日本の山野にも自生する可愛らしい花。
コバノガマズミ(レンプクソウ科) 丘陵地や山地で見られる高さ1~4mの落葉低木。
春の花を探しながら の登りであったが、武田不動尊までは結構きつく感じた。 武田不動尊前の不動曲輪に9時25分、到着。
不動曲輪の中に堂々とした武田不動尊の石像。
ここから要害山山頂一帯に設けられていた要害城跡が判るように、主郭に至る通路に沿って曲輪や竪堀、堀切、門跡等の標示板が設置されていた。
要害城は永正 17年(1520)に武田信虎(信玄の父)が築いた山城であります。 居館と政庁を兼ねた武田氏館に対し、緊急時に立てこもる詰(つめ)の城としての役割を担っていました。
今川氏との戦闘中に要害城に立てこもった際に、後の武田信玄が生まれたとされる本丸跡には『武田信玄公誕生の地』と刻まれた石碑が建っています。
信虎・信玄・勝頼と三代にわたって使用され、武田氏滅亡後も修築・再整備されたとのことであります。 城は山腹から主郭に至る通路に沿って、枡形虎口や郭が複雑かつ連続的に付設されているほか、竪堀や堀切を要所に設けて防御を固めています。
山頂の主郭には、規模の大きな建物が存在したものと推定されています。
主郭部から望む富士。
要害城は遺構の保存状態が極めて良く、記録が豊富に残されているなど戦国期の山城の様相を今日に伝える貴重な山城であります。