4月下旬から5月上旬に約2,000株のボタンが、境内いっぱいに大輪の花を咲かせます。
参拝時の天気は最高で、山門前には「ボタンは見頃です。」と表示板が出ており、ウキウキしました。
乙訓寺(おとくにでら)は長岡天満宮より北に位置します。 長岡京市は京都・大阪の二大都市を結ぶ軸の中心に位置し、北は向日市(むこうし)と京都市、東は京都市、南は大山崎町、西は大阪府と接しています。
中央部を阪急電鉄、東部をJR京都線や東海道新幹線が通過し、また名神高速道路や国道171号線が縦貫しており交通の便には恵まれた所です。 市域の6割は平坦な可住地、残りはタケノコ栽培で代表される西山となっています。
乙訓寺は真言宗豊山派(ふざんは)長谷寺の末寺。 寺伝によると、推古天皇の勅願で聖徳太子が創建したとされる乙訓地方最古の寺との事です。
長岡京遷都翌年の延暦4年(785)に、長岡京の造営長官だった藤原種継(たねつぐ)暗殺の罪に問われた桓武天皇弟の早良(さわら)親王が幽閉され、弘仁2年(811)には空海(弘法大師)が当寺の別当に任じられています。
寺宝である木造毘沙門天立像(平安時代)は、国指定の重要文化財で左手に宝塔、右手に宝棒を持ち独特の恐い表情をしています。
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