井伊直虎が眠る寺「龍潭寺」の歴史は古く、奈良時代行基菩薩開創と寺伝にあるとのことです。
龍潭寺のある井伊谷(いいのや)は古く「井の国」と言われ「井の国の大王」が治めた土地である。 平安時代井伊氏の元祖 井伊 共保(ともやす)が生まれ、井伊氏は遠江(とおとうみ)の有力武士として、既に保元物語にその名を連ねている。
鎌倉時代 源 頼朝に仕え、南北朝時代には後醍醐天皇皇子「宗良(むねなが)親王」を井伊城に迎え北朝軍と戦った名門である。 室町時代 20代井伊 直平(直虎の曽祖父)に帰依された黙宗瑞淵(もくじゅうずいえん)禅師が新たに龍潭寺の開山となり、遠州地方に京都 妙心寺の流れをくむ臨済宗を広め、臨済宗 妙心寺派の法灯を伝えている。 24代井伊 直政(幼少時は虎松)は徳川 家康に仕え、井伊の赤鬼と恐れられる活躍をした。
この直政の後見人として養育 をしたのが、22代井伊 直盛の 1人娘『井伊 直虎』(幼少名 おとわ:出家後 次郎法師)である。
龍潭寺二世住職 南渓和尚の計らいで女城主として井伊家を支え、お家断絶の危機から救った。 後に直政は徳川四天王の筆頭に出世、関ヶ原合戦の後、彦根城に移る。 幕末「井伊大老直弼」が開国の偉業を成し遂げる。
龍潭寺はその千年余り、40代の祖霊を祀る井伊氏の菩提寺として、彦根 龍潭寺と共に、その歴史を今日に伝えている。
緑深い一万余坪の境内には、本堂を始め庫裏、開山堂、総門、井伊家霊屋等の建物が江戸時代そのままのたたずまいと歴史を残し、点在している。
龍潭寺庭園は江戸時代初期に造られた小堀 遠州作の池泉鑑賞式庭園とのことであります。
昭和 11年に国の名勝記念物に指定された東海の名園である。
また、井伊家の菩提寺であり、墓所には右手の大きな自然石墓石は22代「直盛」(おとわの父)公の墓、そして左手に並んだ小さな五輪塔の番奥が直盛室(千賀:おとわの母)、奥から番目は直虎(おとわ)、番目は23代直親(幼少名 亀之丞:おとわの許婚)、番目は直親室(しの:直親の妻)、番目は24代直政(幼少名 虎松:井伊の赤鬼)と今年の大河ドラマで大活躍する井伊家の苦悩の末、菩提寺で一家団らんの様子が伺えるようでした。
許婚から引き離された悲しみにくれる直虎は、菩提寺である龍潭寺で出家を決意。第二世住職「南渓和尚」より井伊家跡継ぎの証である「次郎」を冠した『次郎法師』の名を与えられた。
永禄 5年(1562)には、井伊家は一族の主立った男性をすべて失い、男子はわずか 4歳の虎松のみとなった。 逆らえぬ運命の虎松を次郎法師が立派に養育したのである。
自分の幸せを考えず井伊家の存続に一生を掛けた女城主「井伊 直虎」。 井伊家 歴代当主の中にこの名はないが、戦国時代を語る上で欠かすことのできない注目の人物であります。
今、井伊家墓所を参拝すると許婚である「亀之丞」と「おとわ」のお墓が並んでいるのは涙をそそります。
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