行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

「常盤橋」と「新常盤橋」の間にある「常磐橋」

2020年02月15日 | 土木構造物・土木遺産


先日、東京出張。月に二・三度は東京には足を運んでいる。この日も寒かったけど、東京は快晴でした。

少し時間ができたので(いや、何とか時間を作って)、行ってみたいと思ったところが「常磐橋」。東京駅にに最も近い近代遺産?いや東京駅の駅舎自体が遺産登録されているので、その次に近いというのが常磐橋。
地図アプリで確認しながら、東京駅日本橋口を出て数分。新幹線の時間調整でも行ける場所にある。(写真上:東京駅日本橋口と、常盤橋に通じる東京ビルディング横の路地。)



再開発が進むこの常盤橋一体。東京駅周辺地での最後の開発の地とも言われている。
工事の現場事務所の前を通り過ぎ、工事用の車両の出入りや誘導員の姿が多い中を「常盤橋」に到着。石(コンクリートの石張りのうようですが?)のアーチ二連の重厚な造り。親柱に「常盤橋」の文字。
大手町からJR線を交わし日本橋方向に行く通りは交通量も多い。その昔も、江戸城大手門から日本橋・浅草へと人の行き来が多かったといわれている。江戸時代には「大橋」と言われていたそうだ。

ところが、この常盤橋を行き来していると、日本橋川の上流にあたるのだろうか?「常盤橋」と「新常盤橋」の間の、一段低くになっているところに同じ石の二連アーチ橋で工事中の橋が見える。これまた立派な石組みだ。
実は、これがお目当ての「常磐橋」だった。首都高の二本の橋脚に挟まれて、ひっそりとたたずむ感じ。(「常磐橋」と「常盤橋」の漢字の違いは気づいていましたか?読みは同じく「ときわ」という。)
つまり、常盤橋と新常盤橋の間に常磐橋があったのだ。これが近代土木遺産であり、江戸東京土木遺産の「常磐橋」だったのだ。上辺の知識だけで、大きな間違いを犯すところだった。(写真下は、常盤橋から撮った常磐橋と、新常盤橋から撮った常磐橋。何だかややっこしい。)



現在、東日本大震災で傷んでしまったため大規模な修復工事中。常盤橋周辺の再開発とともに、橋の修復工事も行われていた。うろうろしながら、周辺を散策してみると、工事看板などで丁寧に説明があちこちに表示されていた。
こちらの常磐橋は、常盤橋公園なに設置された石のアーチ橋で人道。といってもこちらの橋が江戸時代からのもので、明治期に掛け替えられた。つまり、こちらが本家。関東大震災後に「常盤橋」が掛けられたことにより、本家が「常磐橋」と名前を変えたそうだ。

「常磐橋」と「常磐橋」。ちゃんと事前に勉強しておかないとねー。
それにしても東京は明治維新から一気に開発が進んだことから、当時の近代土木遺産・構造物が実に多い。時間があるときそれらを巡って、また紹介をしていきたい。




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