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長岡市山古志地区に行って来た。若い時、何十年も前に仕事で行ったことがあったが、久々の訪問。山の中にあるということは承知していたし、震災の被害も大きかった場所。様々見てこようと思っているが、再訪しようと思ったきっかけは「隧道」。まずこちらを紹介したい。
場所は山古志地区でも一番東側、つまり山の中のそのまた山の中、豪雪地帯の中の最も豪雪地帯にある。山古志地区の東竹沢・小松倉集落と魚沼市(旧広神村)水沢地区を結んでいる。たどり着くのにも、ここでいいのかと不安にになるほどの山道を進んでいく。
現在は、国道291号の「中山トンネル」が1998年(平成10年)に完成したが、それまで使用されていた隧道(トンネル)が今回の主役。新トンネルの前後、特に魚沼市方向は道路が整備されており、実はここへのアクセスは魚沼市側の方からのアプローチが容易だ。
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この隧道は土木学会選奨土木遺産としては、新潟県内でかの「萬代橋」に次いで二番目に選定されている(2006年・平成18年)。竣工年は昭和24年というからとびぬけて古いというものではない。その価値は、手掘りで国内最長のトンネル(完成当初922メートル)というところにある。
加えて、1933年から始まった工事は、小松倉集落の住民による勤労奉仕により掘られたもの。冬の積雪が4メートルにも及ぶこの地では、買い物や病院に行くのには旧広神村経由で小出に出る必要があった。正に生活のため、命を守るために必要な隧道だったのだ。
戦前戦後の厳しい時代、住民が自らがツルハシを持っての血と汗を流しながら無報酬で実施した工事は、土木の原点を見るというような評価もあって、早い時期の土木遺産に選定されたのである。「掘るまいか、手掘り中山隧道記録」ドキュメンタリー映画も製作された(2003年)。
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完成後、崩落などがあって877メートルと少し延長は落としたものの、手掘りでは日本最長。2015年に崩落の危険があるとのことで通行止めとなり史跡として整備されたが、新・中山トンネルが完成するまではれっきとした国道だった。
小松倉集落方向の入り口近くはポケットパークとして整備され、案内板やトイレ・東屋、駐車スペースなどが設けられているほか、トンネル内にもパネルの展示、崩落や水滴が落ちるのを防いで快適に見学できるよう整備されている。
入り口を進む神秘的で、ひんやり。夏は快適だろう。水滴がポチャンと落ちる音も涼し気。一方、魚沼市側は新トンネルの上の目立たない場所にあり、入り口はパイプで塞がれている。中は荒れ放題で、ちょっと不気味。まあ、これもある意味涼し気といっていい。(写真上:魚沼市側の隧道口)