

いよいよ、常願寺川の最上流部である「立山カルデラ(写真上:六九谷展望台から)」に足を踏み入れることになる。ここには砂防施設が満載で、工事用道路なども整備されているが一般には開放されておらず、立ち入るためには体験学習ツアーに応募するしかない。
「立山カルデラ砂防博物館」が主催する見学会だが、国土交通省北陸地方整備局「立山砂防事務所」お墨付きのもので、実は人気沸騰。私も4回の応募でようやく引き当てた(一度は当選したものの、悪天候のため中止。正確には、4度目でようやく参加できたとうことになる。)。
ツアーはバスやトロッコに乗車するものなどいくつかのコースがあり、普段入ることのできないカルデラ内の風景と、1世紀の間に繰り返し行われてきた砂防の工事現場や施設群を目の当たりにすることができる。(写真上:カルデラ内の砂防施設を紹介するマップ。立山カルデラ砂防博物館で)


以前触れたとおり、立山火山の噴火、火山灰や噴出した土砂体積、その後の浸食作用によりできた「浸食カルデラ」だ。上流部には不安定な土砂が堆積し崩れやすい上、森林の保水力がなく、かつ大雨・大雪地帯で急峻な地形と急こう配。流路の総延長が56キロで3,000メートル級の立山から一気に水を運ぶ常願寺川、これは大変な川ですわ。
デ・レーケがここを訪れたのは1891年。県営砂防事業開始は1906年だが工事期間中も水害に悩まされる。その後砂防法の改正により、単独県域を流れる川の砂防工事も国が直轄で行えるようになったのが1926年。砂防のエースで内務技師・赤木正雄の投入で、ようやく本格的な工事が始まる。
先に紹介した「本宮堰堤」完成の2年後の1939年(昭和14年)、ついにカルデラの出口付近に「白岩堰堤」が完成。本堰堤と7つの副堰堤で構成されており、総落差は108メートルで砂防施設としては日本最大。2009年、全国で初めて砂防施設の重要文化財にも指定された。(写真上・下の4枚が白岩堰堤)


上流部の多くの沢で堰堤が築かれているが、一番最初に着手されたのは「泥谷」。県営工事として1916年までに19基(のちに22基)の堰堤が築かれた。(泥谷の堰堤群も国の重要文化財、2017年指定。)
とにかく現場で小屋に泊まり込み、山崩れ・落石過酷で危険な現場であったとのこと。度重なる水害にもめげず、砂防施設は次々に築かれ、いったいこのカルデラ内にはいくつの堰堤が築かれていることか。また、称名川などの支流にも多くの砂防堰堤があり、常願寺川上流部は砂防施設のオンパレード。
とにかく多くの人たちの思いと英知がつぎ込まれ、厳しい現場に長い期間にわたり戦いを挑み続けてきた証のように砂防施設を持つ常願寺川上流部。ツアーに参加した土木マニアさえもうならせる存在感、ぜひ多くの人に伝えていきたい。(写真下:泥谷の堰堤の一つと、白岩堰堤すぐ上流の松尾砂防堰堤・有峰1号砂防堰堤)

