只見川の「主」を紹介していないが、まだ写真が撮れていないため、話を「常願寺川」に戻すことにする。私にとっては、木曽川、只見川を押しのけて魅力満載ナンバー1と言っていい川である。(常願寺川の話が尻切れトンボになっていたので、「どうした?」という声が聞こえる?聞こえないかー!)
これまで、日本一の暴れ川と紹介してきた常願寺川。魅力的な橋や滝、堰堤などを取り上げてきたが、まだまだ魅力は多い。「暴れ川」というくらいなので、今回はその一端を求めて、中流・下流域に少し目をやることにする。
あまり知られていないスポットなのだが、「立山カルデラ博物館」の学芸員にその情報と詳しい位置などを聞き出し、扇状地の田んぼの中を車で走り回ることになる。(写真下:「暴れ川と生きる」という本の「安政の大災害」のページと、立山カルデラ博物館の学芸員からいただいた下流域の紹介マップ。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/60/214ec643083847d8915356f3c5add6e8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/1d/f9a786ac8aad5f699b103566799e5511.jpg)
今後、最上流部を紹介していくときに随時触れたいとは思うのだが、私の目的はあくまでも「立山カルデラ」と、その水が流れ込む川の「砂防施設」にある。
立山の地質は、火山の噴火による堆積物が重なってできたとてももろい地質が特徴。立山カルデラは浸食カルデラであり、その堆積物が大雨になると幾度となく崩れ、土石流となって大災害を引き起こしてきた。(崩れた土砂が余震や度重なる水害で、その後何か月となく大洪水が続いた。)
安政5年(1858年)、この地域を大地震が襲った。飛越(飛騨と越中)地震は、マグニチュード7.6にも及んだのではないかと言われており、この時に崩れた土砂が川をせき止め、それが一気に崩れることにより土石流が発生。死者は200人以上とも言われた大災害であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/8f/46e4799a8e8a74b14645c7b5f392218b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/9f/edfa3c97efae8273cd0ebc8bbb57cac5.jpg)
その時に、上流から流れ出た石は「転石」と呼ばれ、実は富山市や立山町の常願寺川付近に40個ほどあって、重さは100トンから重いものでは600トンにも上るという。凄い巨石を常願寺川の鉄砲水が運んできたのである。
ただ、地元では災害の惨禍を風化させることのないように、これらの巨石を単に保存しているばかりでなく、各所で石碑などを建立して大切に祀っているという。とてもローカルなスポットなのかもしれないが、私は目の当たりにして川の恐るべきパワーを感じた次第だ。
ただ、なかなかわかりにくい場所にあることも確かで、訪れるためには下調べが必要。中には霊園のど真ん中にあるものもあって、合掌して見学しなければならないってことですかね。(写真上:大場の転石と西大森の転石。いずれも、常願寺川堤防にある。写真下:西の番転石と富山霊園転石。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/cf/dcf037ddeac1fc9b40290bce578fcc3f.jpg)
これまで、日本一の暴れ川と紹介してきた常願寺川。魅力的な橋や滝、堰堤などを取り上げてきたが、まだまだ魅力は多い。「暴れ川」というくらいなので、今回はその一端を求めて、中流・下流域に少し目をやることにする。
あまり知られていないスポットなのだが、「立山カルデラ博物館」の学芸員にその情報と詳しい位置などを聞き出し、扇状地の田んぼの中を車で走り回ることになる。(写真下:「暴れ川と生きる」という本の「安政の大災害」のページと、立山カルデラ博物館の学芸員からいただいた下流域の紹介マップ。)
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今後、最上流部を紹介していくときに随時触れたいとは思うのだが、私の目的はあくまでも「立山カルデラ」と、その水が流れ込む川の「砂防施設」にある。
立山の地質は、火山の噴火による堆積物が重なってできたとてももろい地質が特徴。立山カルデラは浸食カルデラであり、その堆積物が大雨になると幾度となく崩れ、土石流となって大災害を引き起こしてきた。(崩れた土砂が余震や度重なる水害で、その後何か月となく大洪水が続いた。)
安政5年(1858年)、この地域を大地震が襲った。飛越(飛騨と越中)地震は、マグニチュード7.6にも及んだのではないかと言われており、この時に崩れた土砂が川をせき止め、それが一気に崩れることにより土石流が発生。死者は200人以上とも言われた大災害であった。
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その時に、上流から流れ出た石は「転石」と呼ばれ、実は富山市や立山町の常願寺川付近に40個ほどあって、重さは100トンから重いものでは600トンにも上るという。凄い巨石を常願寺川の鉄砲水が運んできたのである。
ただ、地元では災害の惨禍を風化させることのないように、これらの巨石を単に保存しているばかりでなく、各所で石碑などを建立して大切に祀っているという。とてもローカルなスポットなのかもしれないが、私は目の当たりにして川の恐るべきパワーを感じた次第だ。
ただ、なかなかわかりにくい場所にあることも確かで、訪れるためには下調べが必要。中には霊園のど真ん中にあるものもあって、合掌して見学しなければならないってことですかね。(写真上:大場の転石と西大森の転石。いずれも、常願寺川堤防にある。写真下:西の番転石と富山霊園転石。)
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