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大都市・東京の守り神的存在である「岩淵水門」を訪ねて

2023年03月11日 | 土木構造物・土木遺産


さて、お話は隅田川・荒川に戻ることになる。今回訪れたのは隅田川の起点、荒川との分水地点となる北区志茂にある岩淵水門と国土交通省荒川下流河川事務所。東京の下町を水害から守る最後の砦でもある。
先にも少し触れたとおり、東京が江戸と呼ばれている頃は、荒川は現在の隅田川(大川)を本流としていて、その昔は利根川の水もここから東京湾に注がれていた。つまり、流域面積日本一の利根川によって関東平野の水が江戸に集まっていたのである。
そんなことから少しの雨でも下流部は浸水し、水害を繰り返していたという。現在の江東区や墨田区、江戸川区、はずぶずぶの湿地帯、荒川区や台東区、中央区の東側などでも大雨時には浸水区域であったに違いない。それを解消するために、江戸時代初期に利根川の瀬替えが行われ、明治に入って荒川放水路(現・荒川)が新設されたという歴史を持つ。



岩淵水門は、大雨時に隅田川の氾濫を防ぎ、流量を調整しながら荒川方向に流す役目を担っており、旧岩淵水門(赤門)は1924年(大正13年)に完成。その後1982年(昭和57年)に完成した新水門(青門)がその役目を引き継いでいる。
旧岩淵水門は、9メートル幅の5門のゲートを持ち、右岸側の第5ゲートは通船のために1960年に改良が加えられた。地盤沈下に悩まされたというが、新水門が完成した後も地元の人たちの意向も受けて保存されることになったそうだ。
その後、土木建造物としての歴史的価値が見直されて、「北区景観百選」、「東京都選定歴史的建造物」、産業考古学会「推薦産業遺産」、土木学会「日本の近代土木遺産」、2008年(平成20年)経済産業省「近代化産業遺産(群・続33)」など、数々の栄誉に選定されている。



新しい岩淵水門は、旧水門の下流300メートルの付近に設置されている。RC造、10メートル幅のゲート3門で構成。1,500tの水圧に耐えられるゲートは、1枚214t。鋼製ローラーゲートだが、地震等の非常時には電源がなくても15分で自重降下できる装置を持っている。
新旧合わせて99年間、大都市・東京を守り続けていよいよ100歳を迎えるのだが、その活躍振りはいかがなものだろうかと調べてみた。平成に入ってから岩淵水門が閉鎖されたのは5回。近くでは令和元年の東日本台風の際に12年ぶりに閉門したとのこと。
先に触れた江東デルタなどの海抜0メートル地帯周辺のいざというときの守り神的存在ではあるのは確かであるし、荒川放水路という大事業を成し遂げてきたという先人の功績は正に凄いと言わざるを得ないのである。



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