「あいぽーと」で北上川の情報を仕入れて、さらに上流に移動する。せっかくなので遊水地の中に縦横無尽に走る道路へ。管理用、農業用の道路だけでなく、ここには立派な県道も走り、生活路線として使用されている。
第三遊水地から柵の瀬橋で北上川を渡り、第一遊水地へ。第二遊水地を含めると面積は1450ヘクタール、総貯水量1億2940万立方メートルで日本では釧路遊水地(北海道)、渡良瀬遊水地(栃木、群馬、埼玉、茨城の4県にまたがる)に次ぐ国内三番目の規模である。
北上川沿いに小堤を築いた上、遊水地の外側に周囲堤がある。普段は農耕地として利用するが、洪水時には遊水地に水をためこみ、一時貯留し周囲堤外側の市街地等への浸水を防ぐととともに下流地域へのへの洪水調整の役割も担う。
(写真上:第一遊水地を走る県道14号、もう一枚は遠くに大林水門を望む。写真下:遊水地のど真ん中を東北新幹線の高架が走る、もう一枚は周囲堤の内側から)
この遊水地は、1947年(昭和22年)のカスリン台風、翌年のアイオン台風がもたらした2年連続の大洪水により、「北上特定地域総合開発計画」の一環として計画されたもの(このご紹介する5大ダム、一関遊水地の前身である「舞川遊水地計画」など)。で、徐々に計画規模を拡大していった。
事業着手は1972年(昭和47年)、昨年3月末の進捗率は87%。計画からは70年が経過しているが、まだ工事が進められている。住民の反対運動や遺跡の保護、たび重なる洪水、地役権補償などを乗り越えて、完成までもう少しというところまできた。
その工事の中には、3か所の遊水地の排水を担う水門三基のほか、周囲堤に陸閘(りっこう:堤防等に作られた水門付の通路)2か所、遊水地に流れ込む支川の改修工事、樋門・橋梁・排水機場などの建設も含まれている。救急内水排水施設、排水ポンプ車も設置され、万全な内水対策(洪水時に樋門を閉めることにより、支川の水を排水するための施設など)も施されている。
(写真下:遊水地の平面図・断面図(国土交通省東北地方整備局のハンドブックから)と、遊水地の水門を紹介するあいぽーとの展示写真)
前回も触れたが、遊水地として一関の地が選ばれたのかというと、下流26キロの宮城県境まで及ぶ狭窄部があること、一関より下流では極端に勾配が緩くなり河川の流下能力が低くなり、流しきれない水が一関・平泉地区にあふれ出すという洪水が起こりやすかった。
狭窄部を切り開くためには硬い岩でできた川岸を大幅に削るというのは難工事。トンネルを掘って太平洋に流すためには40キロのトンネルは必要で工費や時間がかかりすぎるということもあって、5大ダムとともにこの地に広大な遊水地を整備することになった。
なお北上川は下流に分水路があり、追波湾(おっぱわん)に注ぐ新北上川(新川)と石巻市の中心地を経由して石巻湾に注ぐ旧北上川があることはご承知のとおり。こちらは1934年(昭和9年)完成。信濃川の大河津分水よりも少し後輩。
(写真下:周囲堤の高さを実感できる写真と、周囲堤上の管理道路から。右手に遊水地、左に住宅地が見える。)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます