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山王海ダムの「平安」の込められた意味とは

2025年02月04日 | 土木構造物・土木遺産


山王海(さんのうかい)ダムを紹介しておきたい。岩手県のほぼ中央、盛岡市の南に位置する紫波町(しわちょう)にある。そう以前紹介した「オガール紫波」のある町、その中心部から西の方向、奥羽山脈を源とする北上川支流の滝名川(写真上)の上流にある。
農業用のかんがい用水を供給するために建設されたダムで、山あいにひっそりとその大きなガタイを隠している。中央土質遮水型のロックフィルダムで、堤高61.5m、堤頂長241.6m、3840万㎥の総貯水量は農業用のかんがい用水専用ダムとしては全国第一位の規模である。
麓の升沢地区は「志和稲荷神社」で有名だが(写真上:志和稲荷神社の大鳥居)、そこからの管理道路となっている山道は狭く、カーブと急坂が続くが、クルマで10分ほど進むと植栽で「山王海」と文字が刻まれた大きな堤体が目に飛び込んでくる。不気味な真っ暗なトンネルをくぐると天端脇の管理事務所前に着くが、ゲートが閉ざされていて単なるダムマニアを寄せ付けない。(写真下:管理用道路のトンネルと管理事務所のゲート前)



先の5大ダムでも触れたが、北上川のは支川は流域面積が狭いことから、農耕が盛んになった江戸期から各支川の沿川集落では水をめぐる争いが絶えなかったという。「志和の水喧嘩」と言われるこの地の水論は三百年も続き大小の争いは記録に残るものだけで42回。中には死者を出すということもあった。
土地改良事業が始まった近代においては、北上川の鉱毒汚染事案などもあり本川の水をかんがい用に引き込むことは問題があったため、大正期のため池構想から20余年を過ぎた1952年に農地開発営団事業により山王海ダムが完成した。これが第一期のもので、その後国営山王海農業水利事業により嵩上げ工事を行い、現在の山王海ダムとなった。
旧ダムは、完成当時、日本のアースダムでは初めて土質工学を取り入れたダムで、「東洋一」の土堰堤ダムであった(堤高37m、堤頂長150m、総貯水量959万㎥)が、そのダムの堤体を取り込んで世界でも例のない嵩上げ工法により新山王海ダムが2001年に完成した。



1978年から始まった国営山王海土地改良事業では、新山王海ダムの工事とともに、南側の葛丸川に葛丸ダムを建設。山王海ダムのダム湖(写真上:ダム湖は「平安の湖」)を貯水池とするため葛丸川上流に頭首工を設け導水路を建設し、さらに取水トンネルで必要な時に葛丸ダムに水を戻すという国内では珍しい「親子ダム」とする工事も行われて、より安定的な水管理を行っている。(写真上:事務所前に設置された親子ダムを説明する看板)
堤体の「平安 山王海 2001」の文字は、水争いが永遠になくなることを意味しており、旧ダムにも同じく「平安 山王海 1952」と植栽されてた願いが継承されている。ダム事業者は農林水産省(東北農政局)で、管理・運営を山王海土地改良区が担当している。(写真下:管理事務所前の水争いのなくなるの歌碑と、ダム堤体には「平安」の植栽。)
5大ダムの中でも本川に建設されている四十四田ダム以外のダムでは、洪水調整のほか貯水をかんがい用水や上水道などに供給しているものが多いというのも、北上川支川のダム群の特徴でもある。





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