まだ小樽にはあった!小樽港を築港するための技術、そして人。先に紹介した北防波堤を見てから、引っ越しの荷物を載せたハイエースは小樽港縦貫線の運河沿い走り抜けて南防波堤に向かう。
前回紹介したとおり、北防波堤の建造は広井勇の設計・監督により行われたが、その後二代目の小樽港築港事務所長・伊藤長右衛門に引き継がれ、北防波堤の延伸、南防波堤の築造、島防波堤の建設が委ねられた。
この時に使用されたのがケーソン式の工法により防波堤等の港湾が築造された(南防波堤の一部を除く)。これまでもケーソンという言葉はこのブログでも登場してきたが、コンクリートで箱を作り川や海での土木構造物を支持層に据え付けて強度を得るというもの。
南防波堤の付け根にあたるところに国土交通省北海道開発局の「小樽港湾事務所」があるが、そのすぐ脇にケーソンを製作した跡が残されている。これが「小樽港斜路式ケーソン製作ヤード」で、1912年(明治45年)生まれ110歳、2009年(平成21年)の選奨土木遺産である。
斜路式というのは、コンクリートで作られた巨大なケーソンを滑り台方式で進水させるというもの。所長の伊藤が軍艦の進水方式を参考にして考案した世界初のもの。広井所長の後の第二期小樽築港工事の間で100個のケーソンをここで制作した。
これは小樽港の港湾としての機能を高めるために寄与したことはもちろんなのであるが、留萌港や岩内港などの北海道各地の港湾工事に採用されたほか、日本の港湾整備の近代化、各地の経済発展にも貢献したといえる。
制作ヤード自体が木製であることから、かなり傷みは激しいように見えるが、ここで千トンを超える巨大なケーソンが造られていたとは?
もっと小樽港のこと知りたいと思ってここに来たのだが、港湾事務所に併設されている「おたるみなと資料館」は休館日!日曜がお休みなのはお役所のカレンダーに基づくもので、残念な限りであった。