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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

世界短編傑作集4

2024-11-22 20:03:57 | 読んだ本
江戸川乱歩編 1961年 創元推理文庫
ことし3月ころに買い求めた古本の文庫、シリーズは全5冊で、第5巻に収録されてる「危険な連中」が読みたかっただけなんだけど、どーせ読むだろと思って、同じ時期に5冊とも買っといた、これ読んだのは最近のこと。5→1→2→3→4の順でいちおう全部読めたことになる。
時代順に作品が並べられてて、本書は1927年から1933年にかけての作品が収録されてるんだが、しょっぱなにヘミングウェイがあって、ちょっと驚く。
ヘミングウェイって推理小説書いたっけか、と思うんだが、この短編のハードボイルドのスタイルが推理小説に影響を与えたって理由での選出らしい、そうそう、このシリーズは探偵ものに限らない、短編傑作集だった。
収録作は以下のとおり。物語の序盤のうちから引用して何となくどんな話だったかのメモとして、あまりくわしく内容を書いたりしないようにしておく。

「殺人者」 The Killers(1927) アーネスト・ヘミングウェイ
>ヘンリー食堂のドアが開いて、ふたりの男がはいってきた。カウンターの前に腰をおろした。
>「何をさし上げますか?」とジョージがきいた。
>「さて」とひとりの男が言った。「アル、おまえ、何を食うかね?」
>「さあ、何にするかな」とアルは言った。「おれにも何が食いたいんだかわからねえ」(p.11)
ふたりの男は、もうすぐここに来るであろう男をばらそうってわけよ、と言い出す。

「三死人」 Three Dead Men(1929) イーデン・フィルポッツ
>私立探偵所長マイクル・デュヴィーンから、西インド諸島まで、特別調査に出張してみないかと勧められたとき、私は飛びあがらんばかりに喜んだ。(略)
>デュヴィーンは次のように説明した。
>「この依頼者は、出張調査の費用として、一万ポンド提供するといってきているのだ。(略)(p.33)
バルバドス島で大農場の経営者と使用人など三人が殺されているのが見つかった。

「スペードという男」 A Man Called Spade(1929) ダシール・ハメット
>サム・スペードは卓上電話をよこにおしやり、腕時計に目をやった。四時ちょっと前だ。「おーい」
>チョコレートケーキをたべながら、秘書のエフィ・ペリンが表のオフィスから顔をだした。
>「シド・ワイズに、きょうの午後の約束はだめだ、といってくれ」(p.97)
私立探偵サム・スペードが、だれかに脅かされていると連絡してきた男を訪ねると、すでに事件は起きていた。

「キ印ぞろいのお茶の会の冒険」 The Mad Tea Party(1929) エラリー・クイーン
>ミランは戸を大きく押しあけた。「さあ、さあ、おはいりになって、クイーン先生。オーエンさまにお知らせして来ます。……みなさん、芝居の下稽古をしているんですよ、きっと。ジョナサン坊ちゃまが起きているあいだはやれませんのでね。(p.159)
エラリーが招待された田舎の家を訪ねていくと、翌日の誕生日祝いの余興の「不思議の国のアリス」の芝居の練習をしていたが、翌朝には関係者の失踪事件がもちあがり、次いで奇怪な出来事があれこれ起こる。

「信・望・愛」 Faith, Hope and Charity(1930) アーヴィン・S・コッブ
>三人の囚人はすわってたばこをふかしながら、護送官がそばにいないときには、いろいろおしゃべりをした。
>スペイン人のガザとフランス人のラフィットは、英語がかなりできたので、彼らはおもに英語で話した。イタリア人のヴェルディ(略)はほとんど英語はしゃべれなかったが、ナポリに三年いたことがあるガザがイタリア語がわかったので、彼のいうことをフランス人に通訳してやった。三人は食事以外は特等車にいれられたきりだった。(p.223)
列車で護送中だった三人の囚人はスキをみて逃げ出して駅から離れていくが、三人それぞれに運命が待ち受けていることになる。

「オッターモール氏の手」 The Hands of Mr. Ottermole(1931) トマス・バーク
>これが『ロンドンの恐怖の絞殺事件』といわれたものの発端であった。『恐怖』と呼ばれたのは、それが殺人事件以上のものだったからである。動機がなく、それには邪悪な魔術めいたところがあった。殺人は、いずれの場合にも、死体が発見された街には、それとわかるような、あるいは、嫌疑をかけ得るような犯人の姿も認められないときにおこなわれた。人っ子ひとり見えない小路がある。その端には警官が立っている。警官はほんのちょっと小路に背をむける。そして、今度ふりかえったとたん、またしても絞殺事件がおこったという報告をもって、夜をつっ走るのである。そして、いずれの方角にも人の姿は見られなかったし、見かけたという人もないのである。(p.257-258)
これ、エラリー・クイーンなど12人が、世界のベスト短編選出を行ったとき、ポオの「盗まれた手紙」、ドイルの「赤髪連盟」をひきはなして、第一位になった物語なんだそうである。

「いかさま賭博」 The Mud's Game(1932?) レスリー・チャーテリス
>かたちもすっかりくずれた服のその男は、ひょうきんそうなかっこうで、テーブル越しに名刺を差し出した。J・J・ネイスキルと印刷してあった。
>聖者(セイント)は、チラッとそれを見ただけで、シガレット・ケースのふたをピンとはねると、一本抜いて勧めながら、
>「ぼくはあいにく、名刺をきらせてしまった。名前はサイモン・テンプラア」(p.281)
主人公サイモンは、義賊なんだそうである、悪漢を懲らしめ、警官の鼻をあかし、可憐な美女を危機一髪の場面で救い出したりするのが仕事なんだとか。そのサイモンに、なにか仕掛けのありそうなカードを使った、インチキ賭博でカネを巻き上げられたって青年が相談をもちかけてくる。

「疑惑」 Suspicion(1933) ドロシイ・L・セイヤーズ
>列車のなかはたばこのけむりが濛々と立ちこめて、ママリイ氏は、しだいに胸がむかついてくるのを感じていた。どうやら、さっきの朝食のせいらしい……
>しかし、べつにわるいものを食べたとも思えない。まず黒パン。(略)かりかりに揚げたベイコン。ほどよくゆでた卵が二つ。それに、サットン夫人独特のいれかたによるコーヒーだった。サットン夫人という女中は、ほんとの意味で掘り出し物だった。この女中のために、彼ら夫妻は、どのくらい助かっているか知れなかった。(p.317)
体調がすぐれないママリイ氏は、新聞紙上を賑わせている、砒素を使った連続殺人の容疑者で行方不明になっている料理女の話題が気になっている。

「銀の仮面」 The Silver Mask(1933) ヒュー・ウォルポール
>ミス・ソニヤ・ヘリズがウェストン家の晩餐会から帰ってくる途中、すぐ耳もとで人の声がした。
>「おさしつかえなければ――ほんのちょっと――」(略)
>「でも、あたし――」彼女はいいかけた。寒い夜で風がほおをさすようだった。
>ふりかえってみると、それはじつに美しい青年だった。(p.349)
ひとりもので五十になるソニヤは、寒さにふるえている青年に、親切心をだして家にいれてやり食べものを与えてやったのだが、後日また青年は訪ねてきて、だんだんおかしなことになっていく。
これ、あと味わるいなあ。
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事件屋稼業

2024-11-13 19:59:42 | マンガ
関川夏央 & 谷口ジロー 1981年 双葉社
「新・事件屋稼業」 1~5巻 昭和58年~平成6年 日本文芸社
これは今年5月の古本まつりで、6冊セットで買ったマンガ。
けっこう迷った、買おうか見送ろうか、どうしようかと。
(ちょっと値段が高かったってのもある。)
私が「アクション」を読んでた当時、この作者コンビは「『坊っちゃん』の時代」をやってたんだけど、このマンガのタイトルは知ってた(広告があるから?)、でも読まずにずっと来ちゃったんで、すごく気になった。
(ちなみにタイトルの事件屋稼業って、チャンドラーの小説だよねえ、Trouble is my business って。)
で、まあ勢いで、えいやと買ってしまった、古い本を揃いで手に入れる機会って、なかなか無かったりするからねえ。
そのあと、例によって買って安心してしまって、しばらく積んどいたんだけど、夏が終わってからようやくボチボチ読んだ。
主人公は私立探偵の深町丈太郎、1948年生まれで物語の開始時には32歳で、いつまでも若くないとか既に言われてっけど、最後には47歳になってる、ちゃんとトシとってく。
探偵事務所の場所は、歯科医院に間借りしてるかたちで、横浜のどっか山下公園とかに近いエリアっぽい、いいっすね、昭和のころにはそんなにキレイなイメージの街ってわけでもなかったし。
探偵ものなんで、まいど何か依頼が持ち込まれて、かと言って名探偵ものぢゃないんで不可能犯罪とか怪盗とかぢゃなく、人探しとか現実的な地味なやつだったりすんだけど、まあそれらを解決してく。
ときどき、アブナイ裏社会と関わってしまうこともあり、意外と銃撃戦なんかする頻度は多くて、そこは古き良きテレビドラマに近いようなものあるかも。
暴力団のえらいひととも友だちなのはいいとして、地元警察の悪徳刑事なんかにあれこれせびられたりしながら、稼業をしのいでくさまが描かれてんのが何かおもしろい。
1970年に外科医と結婚して、翌年には娘が生まれたけど、1976年には離婚と、やたら詳細な設定あるけど、元妻には未練たらたら、娘に月2回会えるのはけっこう楽しみとか、そういうのも物語をおもしろくしてる要素ではある。
うん、読んでくうちにだんだんおもしろくなってくるな、これ。
最初のほうは、ちょっと設定凝りすぎっていうか、力入りすぎてるような印象受けるんだけど、3冊め(「新・事件屋稼業2」)くらいからが、いい感じになってくる気がする。それぞれの登場人物も自然に動きだしているというか、そんな感じ。
谷口ジローの画も、そのへんからが、すごく見やすい(私の知ってる画ってことかな?)ような気がする。
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天使と宇宙船

2024-11-06 18:37:31 | 読んだ本
フレドリック・ブラウン/小西宏訳 1965年 創元推理文庫
これは今年5月の古本まつりで買った文庫、どうでもいいけど1971年15版のカバーについてる定価は170円、そうだよな、いま文庫本の値段ってやたら高くない?って思うの、私だけだろうか。
短編集読んだらおもしろくて他にも読んでみたくなったブラウンの、これはSF短編集、原題「Angels and Spaceship」は1954年の刊行だそうで、70年前ですか、ふーむ。
本書の「序」で、著者は、ファンタジーとSFのちがいを説明している、広義ではSFはファンタジーのなかに含まれるが、
>ファンタジーは存在せぬもの、存在しえぬもののことを扱う。
>一方、SFは、存在しうるもの、いつの日か存在するようになるかもしれぬものを扱う。SFはみずからを、論理の領域の中の可能性に限定するのである。(略)
>(略)ファンタジーを読んでいる時、われわれは半信半疑の状態のままに、魔神(デモン)を受け入れる。しかし、もし魔神がSFの中に登場すれば、彼の性格と実体に関する説明があたえられなければならないのである。つまり、もっともらしい説明を必要とするのだ。(p.8-9)
ということでファンタジーでは作者が出してきた超自然的なものはそのまま受け入れるだけだけど、SFでは科学的な説明がついた作りぢゃなきゃダメよと。
そう言っといて、本書の物語はファンタジーとSFが半々くらいみたいなこと言ってる、どっちでもいいや、おもしろければ、という気がするが。
なお、短編と短編のあいだには、ショート・ショート(著者によれば「ヴィニエット」)が配置された構成になってんだけど、これが、どれも2ページに収まる短いやつなんだけど、とてもおもしろい。短編集をこの形にするために書きおろしたのだというが、なんかお得した感じ。
収録作は以下のとおり。

「悪魔と坊や Armageddon」
悪魔の放つ炎を、自分でも理屈のわからぬまま九歳の坊やが消し止めて、世界を救うことになる。

「死刑宣告 Sentence」
これはショートショート、地球の宇宙飛行士がアンタレス第二惑星で殺人罪で死刑宣告される。

「気違い星プラセット Placet is a Crazy Place」
大小不同の二つの太陽の周囲を8の字型の軌道で回る惑星での話、そこでは視覚が通常ではなくなることがあり、三年間の勤務でうんざりした男は地球へ帰ることにする。

「非常識 Preposterous」
これはショートショート、家のなかに息子が持ち込んだくだらん雑誌があったので不機嫌になる父親。

「諸行無常の物語 Etaoin Shrdlu」
ライノタイプという新聞編集・印刷に使う機械の話、ある小男に半日機械を貸して使わせてやったあと、機械は勝手に働きだすようになった。

「フランス菊 Daisies」
これはショートショート、草花だって通信する、人間と草花の間でも通信は可能。

「ミミズ天使 The Angelic Angleworm」
ある朝、チャーリーは釣りの餌にするミミズを探していると、そいつは天使のような羽で舞い上がった、その後も彼のまわりには奇怪な出来事が続く。
チャーリーは自力で事態を解決するんだけど、思いもかけない仕掛けが背後にあったんで、一読したなかではいちばん驚かされたといえるかも。

「大同小異 Pattern」
これはショートショート、あるとき地球にやってきた宇宙人は一マイルの高さもある怪物たちだった。

「ユーディの原理 The Yehudi Principle」
友人のチャーリーがヘッドバンド型の装置を発明した、ユーディの原理という目に見えないこびとの力で、ちょっとしたことなら望みどおりにやってくれるのだという。

「探索 Search」
これはショートショート、わずか四歳のピーターが神を捜しにいく。

「不死鳥への手紙 Letter to a Phoenix」
十八万年生きた人間からのメッセージ、世界大戦や銀河系のかなたからの侵略戦争からも生き延びてきた経験から、あることを教えたいという。

「回答 Answer」
これはショートショート、宇宙のなかの人間の住む960億個の惑星の巨大計算機をすべて接続する。

「帽子の手品 The Hat Trick」
男女四人の集まった場で、ボブが披露したトランプの手品のタネを見破ったウォルターだが、怒ったボブにおまえも何かやれと言われると、帽子があればやってみせると答える。

「唯我論者 Solipsist」
これはショートショート、唯我論者とは、自分だけが実在する唯一のものであり、他人や世界は自分の想像のなかに存在するにすぎないと信じてる者。

「ウァヴェリ地球を征服す The Waveries」
ある日ラジオやテレビが使えなくなる、どこからかの電波妨害らしきもので混信が続いているのだが、やがてそれは宇宙からの侵略ではないかという説がでてくる。

「挨拶 Politeness」
これはショートショート、金星探検隊によると、金星人は地球語を理解できるのだが、いっこうに地球人と親交を結ぼうとしない。
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漢字語源の筋ちがい

2024-10-30 19:08:37 | 読んだ本
高島俊男 2006年 文春文庫
これはことし6月ころに買い求めた古本の文庫、「お言葉ですが…(7)」ということで、前に読んだ『イチレツランパン破裂して』につづくもの、「週刊文春」で2001年から2002年ころが初出だそうで。
こないだ読んだ『日米開戦・破局への道』のなかで、牧野伸顕の話題になったとき「お互い忙しい時には一々伸顕(のぶあき)なんて言いません。「しんけん」で通ります。逆にそういうふうに通るということは大物になったということです。」なんて言ってるとこあったんだけど。
本書には、そういう名前のことを5回連続でとりあげたシリーズがある、徳川慶喜のなまえは「ケイキ」と呼んで間違いではないってとこから始まる。
>つまり「徳川慶喜(けいき)」というのは、この人のことを言う時の最も一般的な呼称なのだ。それに「徳川ヨシノブ」とむきつけに名を言うより、「徳川慶喜(けいき)」と音で呼ぶほうが、敬意をこめた呼びかたである。
>森銑三先生が若いころ、山田孝雄博士から、「人の名前を音読するのは、寧ろ敬意を表することになるので、定家をテイカと音読するのはいい。定家自身は、私はサダイヘです、といふのが当然で、私はテイカですとはいはない」と教えられたことを書きとめていらっしゃる(略)(p.229)
ということで、大物になると音読されるのはあたりまえってことらしい。
>日本人の名前は種々ある。うち慶喜、あるいは家康、吉宗のようなのを「実名(じつみょう)」と言い、また「名乗(なのり)」とも言う(略)
>実名は、公家、武家の男子が元服する時につける名である。嘉祥の文字二字より成る。(略)そしてそれを訓でよむ。(略)
>この「訓でよむ」というのが大事な原則である。そして、そのよみかたはどうであってもよい。(略)リクツはどうともつくから、実際のところ、一つの字をいろんなふうによむ。(p.230-231)
っていうことで、慶喜と書いて、ヨシノブと読もうがノブヨシと読もうがかまわないらしい。
>人が生前に、他人から実名で呼ばれることはまずない。というのは、実名というのは非常にだいじなものであるから、人はそれを尊重して、めったに口にせぬようにしなければならぬのである(略)
>誰も呼ばないのなら実名というのはいつ誰が使うのかというと、当人が公文書に署名する際にもちいるのである。つまり実名というのは、事実上、書くための名前である。だから、文字は絶対にまちがいは許されない。(略)そのかわり、それをどうよむのかは当人と親族くらいしか知らないということがしばしばある。(p.231-232)
ということらしい、実名の読み方ってのはわからないことが多いし、わかってても気安く呼んぢゃったりすんのは失礼なことだと。
音読みするのは、そのひとのこと直接さしてるんぢゃなくて、名前の文字をさして言ってる、間接的にいってるとこに敬意があるってことなんだろう。
さてさて、タイトルの「漢字語源の筋ちがい」ってのは何のことかっていうと、ある言葉について民間でいわれる語源ってのはあてずっぽうなものがあって、日本ではそれが漢字がらみでそうなることが多いって話。
たとえば、十二月のことを師走っていうのは、師である先生とか僧侶とかが忙しくて走る・馳せるって説明をつけることが多いんだけど、これって平安時代の書物にもあって千年くらい前から言われてるらしいが、ぢゃあ一年のおわりの月を「しはす」と呼ぶのはいつからかというと、それより何百年も前からのことで、なんでそう言うのかは古すぎてホントのことはわからないんだという。
おなじように十月のことを「神無月」というのは、神さまが出雲に集合しちゃっていなくなるからだっていうけど、「かみな月」の意味がわからなくなって「神無」って字をあとからあてたんだってことらしい、とかく漢字つかってあると字面に引っ張られて適当な解釈しちゃうのはアヤシイもんだと。
コンテンツは以下のとおり。
ウマイとオイシイ
 メル友、買春、茶髪
 ウマイとオイシイ
 女の涙
 鳥たち虫たち
 黒き葡萄に雨ふりそそぐ
 人はいつから人になるか
 孔子さまの引越
漢字語源の筋ちがい
 洗濯談義
 潔癖談
 吾妹子歌人
 ますらたけをの笠ふきはなつ
 漢字語源の筋ちがい
 看護婦さんが消える
 若鷲の謎
ドンマ乗りとカンカンけり
 紙芝居とアイスキャンデー
 だれが小学校へ行ったのか
 むかしの日本の暦
 ドンマ乗りとカンカンけり
 母の家計簿
 「スッキリ県」と「チグハグ県」
 片頬三年
訳がワケとはワケがわからぬ
 ミー・ティエン・コンの問題
 香港はホンコンか
 むくの人々?
 訳がワケとはワケがわからぬ
 連絡待ってますよ
 王様の家来
お客さまは神さまです
 前に聳え後に支ふ
 どうした金田一老人
 お客さまは神さまです
 だいぶまちがいがありました
 勉強しまっせ
 忠と孝とをその門で
ヒロシとは俺のことかと菊池寛
 慶喜(けいき)と慶喜(よしのぶ)
 ジュードーでごわす
 ヒロシとは俺のことかと菊池寛
 カメは萬年、ウエダも萬年
 おーい、源蔵さん
 主税がなんでチカラなんだ
 マルちゃんレーちゃん
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 臼挽歌
 アサガヤアタリデ大ザケノンダ
 人が生きてりゃ
 「イェイゴ」の話
 「円」はなぜ YEN なのか
 開元通宝と開通元宝
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日米開戦・破局への道

2024-10-23 19:19:49 | 読んだ本
黒羽清隆著・池ヶ谷真仁編 2002年 明石書店
タイトルはほんとはあたまに「黒羽清隆 日本史料購読」とついて、うしろにサブタイトル「『木戸幸一日記』(一九四〇年秋)を読む」とつく。
これ、たしか去年の10月ころに買い求めた古本で、ありがちなんだけど手に入れて安心して放っておいた、読んだの最近。
もとはといえば、丸谷才一さんが何かでほめてて、それで読んでみたくて探してたんだけど、例によってというか。
いまあらためて引き合いだすと、『絵具屋の女房』のなかの「先生の話術」という一篇のなかで、
>ところがこの人の講義がすばらしい。このあひだ、静岡大学での講義の録音を起した本(『日米開戦・破局への道』明石書店)が出て、何となく手に取つたら、じつにおもしろくて、やめられない。眠気が覚めること請合ひの語り口で、なるほど、この先生は人気があつたらうなと思ひました。(『絵具屋の女房』p.184)
と紹介して、多く引用して解説してる。しかし、私がそこんとこ読んで書名メモしといたの2018年で、いまごろやっと読んだんだから気が長いというか、意欲旺盛ではないというか。
なかみは、1982年度の静岡大学の二年生対象の日本史史料購読という講義(二単位)の記録で、日本史ってむずかしそうだし特に近現代史っておもしろくなさそうだしってのが私が読むの後回しにしてた理由なんだけど。
本文読んでみたら、ほんと講義のしゃべりそのままなんで、とてもおもしろくスラスラ読み進めた、テープで録音したのを忠実に再現してあるんで、場合によっては繰り返しのとことかもっと短く編集してくれてもいいのにって思うくらい、講師が語る調子そのものである。(だから丸谷さんがそう言ってたのに、私はそんなこと忘れて書名だけ憶えてた。)
ただ単に史料をダラダラ読んでくだけぢゃないからね、ひとつのことから、関連する人物とか経緯とかどんどん話がひろがっていく、話跳んださきからまた話飛んだりして本線帰ってくるまで時間かかったりして、だから一回100分の授業で日記1日分しか解説できなかったりする、おもしろいからいいんだけど。
たとえば元老・山県有朋について、東京に椿山荘っていうすごい料亭があってこれが山県有朋のお屋敷だって話をした次には、
>それから大正の末に、これも九十代まで異例のスタミナで生きた、山県有朋は長州出身で木戸幸一と同郷ですが、薩摩出身で日本銀行の生みの親で、今日の大蔵省を作り出した松方正義。この人は精力抜群でして、だいたいそんな九十いくつまで生きたということからも精力抜群ですが、あっちこっちにこの人の子供がいる。バカ話みたいですが、だいたい現代史というのはこういうバカ話を知らないと政治の話はできない。私の情報の入手源はものすごく多種多様です。(p.41)
なんて言ったりする。バカ話が重要なんだよって、私の高校の日本史の授業でも教えてくれればよかったのにな。
そして、これ脱線したのの言い訳で言ってるわけぢゃなく、確信をもってやっているのがほかのところでもわかる。
教材の史料に「牧野伯爵」って文字が出てくると、これは重要人物ですといって説明をはじめる、大久保利通の次男で外交官になって文部大臣になって、内大臣を10年の長きにわたって務めた、ってのはわりとふつうの解説だと思うんだけど。
牧野伸顕は「君側の奸(くんそくのかん)」として二・二六事件で襲撃目標に挙げられた、河野陸軍航空大尉が伊藤屋旅館襲撃の隊長だったが、居合わせた警官の対応により牧野伸顕は逃げることができた、河野大尉は負傷して憲兵隊に捕らわれていたが兄の差し入れに隠されていた果物ナイフで自殺したが、そのほかの反乱を起こした青年将校たちは死刑になった、とかなんとか言ってるうちに、
>(略)渋谷公会堂とNHK放送センターの間に一本道がある。この辺が昔陸軍の代々木宇田川町陸軍衛戍刑務所という、(略)そこの刑務所の、中庭の演習所みたいな所で青年将校を銃殺した。(略)だから一時NHKのスタジオの中に幽霊が出るという話を、私がNHKに出ていた頃聞いたことがあります。(略)その死刑場の跡へ、まさか道の真ん中に立てるわけにいかないから、ちょうど渋谷公会堂に沿った所に、かなり大きな見上げるような観音様を立てました。(略)毎年二月二六日には、この観音様の周りにはものすごい花束が、その観音様を取り囲みます。(略)
>この観音様でおもしろいのは、二月二六日に花束が集まるのは当たり前ですが、もう一つこの頃、この観音様に変な日に花束が集まる。それは三島由紀夫さんが自殺した日です。(略)その憂国忌の日にもここに花束が集まる。日本の奇妙な思想状況がこの観音様に反映されています。
>随分話が広がりましたね。これくらい話というのは広がっていく。それが歴史なのです。(p.130-132)

という話になるんだが、最後の「それが歴史なのです」ってのに、揺るぎない確信を感じるなあ。
歴史っつーのはどういうもんかってのは、同じ回の講義ですぐあとにも示されている。
木戸幸一日記には、ゴルフをしたって記載がでてくることがあって、以前はそんなゴルフの記事は飛ばして読んでたんだけど、政治家が誰とゴルフに行くかというのは重要だとして、
>中世から近世にかけて、茶の湯があんなに大名たちではやったのは、みんなお茶が好きだった、みんな利休の侘び茶の理想を理解していたというのは、少しあまちゃんな理解で、そういう人は文化史は文化史、政治史は政治史、別々に考える、存在するのは歴史です。現実に存在するのは歴史だけです。あの茶室という環境は、秘密の話をするには実に都合がいい。だから、堺から茶の師匠が多く出た。ああいうお師匠さんと織田信長、豊臣秀吉が茶室の中で会いますね。茶の話だけなどということは絶対に考えられません。(略)だからお茶を飲みながら秀吉は、今度、来年ちょっとでかい仕事をするので、種ヶ島式の小銃何千丁と、火薬の硝石や何かをこれだけ、何貫目、何日までに届けてくれということを茶室でやっている。(略)茶の湯は文化史で、長篠の合戦は政治史だなどという歴史の理解の仕方は実情に合っていない。(P.134-135)
というように、歴史とはなにかってことを説明している。
ところで、ぢゃあ、そうやってわずか数行の記事を何十分もかけて読み込んでいって、なにをわかろうとしているのかっていうと、どうして日本はアメリカとの戦争へ突入してしまったんだろうかってこと。
それは昭和15年・1940年9月27日に日独伊三国同盟を結んぢゃったからだ、ってことらしい。
それでその前日の9月26日の木戸幸一内大臣の日記を読むと、午前10時から午後10時20分まで途中休憩をはさみながら枢密院が延々と会議をしていることが記録されている。
>この一二時間続いた老人たちの会議は、それを避けうるほとんどラスト・チャンスだった。この深夜まで続いた会議が終わって、疲れきった老人たちがそれぞれ車で宮城を出た時、もうこの世界にこの危険な条約を引き返させることのできる人間は誰一人いなかった。もしいたとすれば天皇自身ですが、天皇は、枢密院本会議が全員一致で決めたことに対して拒否権を発動することは、立憲君主としての自分の立場に合わないというマキシム(規範)を二〇年間保ち続けていた。(p.102)
と講義では説明されている、こっからはもう戻れなくなったと。
ちなみに天皇については、
>昭和天皇というのは、相模湾でヒトデだけ専門の、政治のことは何も分からないただの生物学者だなどという見方が巷に、国民の意識の中にあります。これは大間違いです。ものすごい鋭い政治的センスと情報網を持って、ピシッピシッと質問します。(p.44)
というふうに言ってます。そのちょっと後のとこでは、大日本帝国が長い間やらないでいた、朝鮮に徴兵令を適用することを決めたって陸軍大臣が上奏しにきたときに、天皇は即座に、徴兵制を施いたら選挙権を与えなければならないがよいのかと言った、って話が出てくる、優秀な君主なんですと。
でも、天皇は、枢密院が可決・否決したことを、自分ひとりでひっくりかえすことはしちゃいけないって立場を忠実に守ってるんで、三国同盟は決まっちゃったと。
で、翌9月27日の木戸日記によると、午後4時20分から6時の間に近衛文麿首相が天皇に会いにきた、このとき何が話されたのかは木戸日記ではわからないが、
>この点については、近衛さんが敗戦後に、自殺する直前に書いた二つの回想録、メモアール、その他によって、天皇が近衛首相に次のようなことを話したことが明らかです。
>それは、この日独伊三国同盟は、まかり間違うと日本、大日本帝国の滅亡につながる。そういう危険性を持つ条約だと私は思う。日本の滅亡の可能性を、一九四〇年九月二七日は開く。(略)日本が滅びなければならなくなった時、(略)おまえだけは朕と運命を共にしてくれるだろうな。そういうことを言っています。(略)
>このエピソードから、われわれが何を受け取るべきかと言うと、天皇が、この前ご紹介した山本五十六連合艦隊司令長官と同質の危機感を、この三国同盟について持っていたということです。(p.170-171)

というような説明をしてくれます。
そこで山本五十六長官が出てくるんだけど、本書全般をとおしてわかるのは、当時の日本では海軍は戦いたくなかった、っていうか戦うのムリって考えっていうべきか、すでに中国大陸へ入り込んぢゃってる陸軍のほうはやるべきだってスタンスだったってこと。
山本五十六の危機感ってのは、1940年10月14日に東京新橋で西園寺公望の私設秘書的役割の原田熊雄男爵と会食したときに、次のような見通しを語ったって『西園寺公と政局』って本に書いてあると。
>「実に言語道断だ。」と山本さんはまず言う。近衛内閣が日独伊三国同盟を結んだことについて、連合艦隊司令長官が「実に言語同断だ。」(略)
>第一。対米戦争は対世界戦争に転化する危険がある。
>第二。ソ連は外交上信頼できない国家である。
>第三。連合艦隊司令長官としての山本五十六は、戦艦長門の甲板上で討ち死にする。
>第四。東京は三度丸焼けにされるだろう。非常な惨めな目に遭うだろう。
>第五。そしてそういう事態をもたらした近衛公爵は、国民の恨みを買って八つ裂きにされるだろう。(略)(p.99-101)

開戦一年前にこの見通しできてる、どうして、わかってるのに、止められないんだろう、って気がする、ほんとに。
当時の海軍省のトップは、米内光政海軍大臣、山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長のトリオで、
>このトリオがやったことの中で一番大きな意味をもつのが、当時陸軍を中心に推進されていた日独伊三国同盟を阻止することでして、三国同盟反対論の砦がこの海軍省の三人のトップだったわけです。(略)
>(略)三国同盟が日本を誤るものだという結論については、三人の間では一度も話をしたことがないそうです。それはもう自明であって、議論の余地のないこと。(略)つまり日米戦争の危険を加速するだけの国策であるという点で、議論が無かったそうです。(略)山本さんはこういうことを次官の時に言っていたそうです。三国同盟というのは、ドイツだけが得をする同盟である。バカを見るのは日本だけで、イタリアは必ず途中で抜けるだろう。これはその通りになりました。(略)
>ヒトラーが三国同盟を非常に焦って、急いだ理由の一つに、三国同盟を結ばせた後、日本陸軍にシンガポールを攻撃してもらいたかったということが、今日ナチス関係の文献によって明らかになっています。(略)そういうドイツにとって利益のある三国同盟の使い方を考えていた。その点からも、この時の米内・山本・井上グループの判断が、認識としては正しかったことが言えるわけです。(p.320-322)

っていう説明を聞かされているうちは、まだいいんだけど、続いて、
>これに対して、表面では右翼が猛烈な反対運動を行います。三人、特に山本次官が元凶であると見なされていた。記者会見などはほとんど山本さんがやりますから、右翼が毎日のように海軍省を訪ねて来て、(略)山本次官の前で警告書とか建白書を読み上げて、(略)おまえは海軍次官を辞職すべきであるということを言ったそうです。これも戦後になって明らかになったことですが、こういう右翼の山本次官排斥運動の背後には、実は表立っては出て来ませんが、陸軍当局、陸軍の首脳部がありまして、この陸軍の方から右翼のいろいろな団体や個人に資金が流れた。
>この頃の軍隊にはたいへん膨大な機密費という、何にいくら使ったかということを議会などに報告しなくていい、極端なものになると領収書も要らないような金がある。これは内務省とか厚生省とか、いろいろな省にもありますが、特に陸海軍の機密費はすごい。(p.322)

という話を聞かされちゃうと、なんだか暗澹たる気分になるね、よくないよ機密費、現在の官房も何に使ってんだか、いったい。
で、三国同盟は結んぢゃったけど、海軍にこれだけの人たちがいれば、アメリカとは開戦しないだろうにと思うんだが、最終的には1941年11月30日に海軍が「イエス」「ゴー」を言っちゃう。
木戸日記には「六時三十五分、御召により拝謁、海軍大臣、総長に先程の件を尋ねたるに、何れも相当の確信を以て奉答せる故、予定の通り進むる様首相に伝へよとの御下命あり」と記述されている。
海軍代表として天皇に呼び出されたのは、永野修身軍令部総長、嶋田繁太郎海軍大臣、どうでもいいけど嶋田大将のあだ名が「副官」、東条陸軍大臣の副官みたいだから、ってダメだ、こりゃ。
>だからこの一一月三〇日というのが本当に最後の最後の日本の関所だ。
>つまり何を言いたいかというと、(略)この時に「だめです。」と言えばよかった。(略)海軍のトップ二人が、「だめです。」と言えば、その二人に補佐される大元帥としての自分は、明日の御前会議はもう開かせない。開けば原案は開戦の原案ですから、われわれの会議と違って御前会議で潰すことはできない。潰すということは御前会議の役割ではない。(略)だからその前に停めなければいけない。そうすると最後のチャンス、ラスト・チャンスは一一月三〇日。特に天皇と永野総長と嶋田大将との会談です。
>ではこの二人は、本当に自信があったのかと言うと、自信はなかった。山本長官がかねがね言っていた通り、一年か二年まではやれるけれども三年目からはやれない。勝ち目がない。そういう判断、山本長官の判断と同じ判断を持っていた。と言うよりも、その山本長官の判断を、何度も山本長官からしつっこいほど、この二人は言われているわけです。当の指揮官から。それなのになぜ、山本長官の進言と反対のことをこの二人は天皇に言ったかと言うと、それはそうだが、明治以来、日本海軍は毎年毎年膨大な予算をいただいて、膨大な艦隊を陛下のお力で育てていただいた。その陛下から、いよいよ海軍が主役の戦争が始まるがどうかと言われて、今更「できません」という答えは、恥ずかしくてできなかった。だから「できる」と言った。この論理構造です。意識構造です。(略)
>しかし、責任というのはそうではないでしょう。(p.309-310)

ということだそうで、国を滅ぼしちゃうような危険のあることはできません、って言うのが責任でしょと。
この論理構造、現在の日本でもいろんなとこにはびこってるような気がしてしょうがない。
本書の章立ては以下のとおり。
I 『木戸幸一日記』とは何か
II 政治的回帰不能地点としての三国同盟
III 日本近代史における牧野伸顕
IV 三国同盟調印までの抗争
V 木戸幸一の公私の人脈
VI 日中戦争の泥沼化と対中工作
VII 日本海軍と山本五十六 1
VIII 日本海軍と山本五十六 2
IX 松岡外交の目論みの破綻
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