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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

古本屋台2

2024-12-13 19:54:19 | マンガ
Q.B.B.(作・久住昌之/画・久住卓也) 二〇二四年二月 本の雑誌社
これは、出てんのずっと知らなくて、出遅れたーとあわてて、ことし9月ころに買ったマンガ。
(買っちゃったら安心して、しばらく読まずにいるのは、いつものこと。)
続巻あるとは思ってなかったよ、第1巻の発行は、ふりかえってみたら2018年だもん。
いいなあ、6年にいちどくらい単行本が出るマンガ、ものすごいゆったりした流れだ、少年誌連載ものだと巻末に、もう次巻の発売予定日が宣伝されてたりするけど、せわしないよねえ。
しかし、次も6年後だとしたら、私は生きてるかどうかわかんないかもしれない、こまったもんだ。
それはそうと、第一巻を読みなおしたら、最後の数ページは書き下ろしで、なんか物語はおしまい的な雰囲気で、最後のコマの隅には「終」って書いてある、そうだよな、続きあるとは思ってなかった俺、まちがってないよな、って気がした。
いま調べたら、第一巻の後半は初出が2017年ころの「小説すばる」、今回の初出は2019年から2020年の「月刊こどもの本」と、「本の雑誌」の2020年から2023年、やっぱ一回終わったものとしていたのを、再立ち上げしたのかな。
(コロナ流行のころなのかな、登場人物がみんなマスクしてるときがある、当然ながら誰も死んだりしてないけど。)
って、いま気づいたら、一巻は集英社で、今回は本の雑誌社じゃん、本の外観おんなじだから出版元変わってたなんて、全然わかってなかった。
なかみは、なんも変わってない、夜に営業している屋台の古本屋、提灯が下がってる、ときどき出る場所変わったりする。
サービスで焼酎一杯を100円で出してくれる、冬はお湯割り、夏は氷入れたり、ただしお代わりはない、「ウチは飲み屋ぢゃないんだから」って言われちゃう。
店主のオヤジが渋くて渋くて、でも機嫌損ねると、「あんたら声が大きいよ」とか「帰んなよ」とか言われちゃう、そう言われるのは通過儀礼みたいなもんで、この屋台気に入ったひとはそれでも常連になっちゃう。
ちょこちょこと出てくる本の数々も多彩なラインナップで、気になるものもあるんだけど、本書ではとうとう巻末に「登場文献一覧」なるリストまで用意してくれちゃってる、読んだことないもの多いけど、今後読もうとするかどうかはわからない。
どんな本かって登場人物たちの話にあがるものもあるけど、ただその本の表紙の画だけが、関係ないセリフのやりとりのあいだに、舞台装置のように描かれてる場合なんかもあって、そういうのが渋くてたまらん。
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ひとり暮らし

2024-12-06 19:14:08 | 読んだ本
谷川俊太郎 平成二十二年 新潮文庫版
ちょっと前に、谷川俊太郎さんが亡くなったってニュースをみた。
詩人として有名なひとなんで、どっかでその詩を目にすることはあったはずだけど、ちゃんと読んだことはないなあ、詩集読むガラぢゃないのよ私。
私がいいなあと思ったのは、矢野顕子さんが歌う『さようなら』って曲があって、その作詞が谷川俊太郎さんだった。
ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
で始まって、なんだろう、どうしたんだろうと思わされてるうちに、
よるになればほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
ってところで、なんかグッと盛り上がる、曲としては静かな調子なんだけど、なんか伝わってくるものある感じで引き込まれる。
この「死ぬまで生きる」ってフレーズがよくて、この歌詞カードのなかでアッコちゃん自身も「俊太郎さん、死ぬまで生きていてくださいね。絶対。」って言ってるんで、私もマネしてときどき使う。
んぢゃ、なんか読んでみなきゃいけないかな、って気になって、かと言って詩を読むのはどうかなって思って、とりあえず中古で手にとったのが、これ。
エッセイ集ということになろうか、単行本は2001年らしい、最初の章では1980年代後半から2001年までにあちこちに書いたものを集めたようだ。
詩を読んでもよくわかんないと思う私だが、詩について谷川さんが、
>詩は思想を伝える道具ではないし、意見を述べる場でもない、またそれはいわゆる自己表現のための手段でもないのです。詩においては言葉は「物」にならなければならないとはよく言われることですが、もしそうであるとすれば、たとえば一個の美しい細工の小箱を前にするときと同じような態度が、読者には必要とされるのではないでしょうか。そこでは言葉は木材のような材質としてとらえられ、それを削り、磨き、美しく組み合わせる技術が詩人に求められる倫理ともいうべきものであり、そこに確固として存在している事実こそが、詩の文体の強さであるはずです。(p.136-137)
っていってるとこは興味深いものあった。なんかインスピレーションめいたものを書きつけてんぢゃないんだ、木工細工なんだ。
という一方で、朗読会のようなイベントの質問コーナーで、
>いつだったかやはり一人の小学生に、「谷川さんはなんでそんなにくだらない詩ばっかり書くんですか?」と問われ、やけになって「詩なんてみんなくだらないものなんだよ」と答えたのを思い出した。(p.159-160)
なんてやりとりをしてるらしい、笑える、面と向かって「くだらない詩」とか言われるとは。
詩にかぎらず言葉ってものについての考察として、レンブラントの自画像を引き合いにだして、その絵は自分で自分をリアルにみつめたものだとして、
>自分という意識なしで、まるで他人を見るように自分を見ている。私もそんなふうに言葉で自分を描けたらと思うが、思うにまかせない。(略)
>(略)詩で自画像を書こうと試みたこともあるが、これもパロディのようなものにしかならなかった。自画像というような主題抜きで書くほうがきっと正直な自分が現れてしまう、それが言葉というものかと思う。(p.51-52)
みたいなこといってるのも、おもしろいと思った。
それはそうと、今回こうやって著者が亡くなったタイミングで読んでたりすると、ご自身の死について語っているところが気になったりする。
2000年ころで70歳ぐらいだろうけど、ひとり暮らしをしてる影響もあるんだろうか、老いとか死とかを考えたりする機会がけっこうあるみたいで。
>過去の自分と出会うのはしかたないにしても、年をとると未来の自分とももうじき出会うんだと覚悟を決めるようになる。つまり老いと死をぬきにしては自分とつきあえない。そろそろ自分とおさらば出来るのがそう悪い気もしないのは、自分に甘い私にも、自分をもてあましているところがなきにしもあらずだったのか。(p.58)
とか、
>死生観の代わりに私がもちたいと願っているのは、死生術もしくは死生技である。何も目新しいものではなく、処世術もしくは格闘技のひとつと思えばいい。要するにどう死んでゆくかという技術のことだ。これがなかなか難しい。人は死の瞬間まで生きねばならないものだから、生のしがらみは最後までついてまわる。しかもその最後の瞬間に至るまでに起こる状況変化は、各人の運命によって千変万化する。なかなか予定というものが立てられない。(p.88)
とか、
>(略)私は年をとるにつれて自分がいいかげんになっていくような気がする。若いころは気になっていたことが気にならなくなった。(略)年とって自分が前よりも自由になったと感じる。(略)
>まあどっちにころんでもたいしたことないやと思えるのは、死が近づいているからだろう。痛い思いをしたり身内や他人を苦しめて死ぬのはいやだが、死ぬこと自体は悪くないと思っている。この世とおさらばするのは寂しいだろうが、死んだら自分がどうなるのかという好奇心もある。未来に何を期待しますかと問われれば、元気に死にたいと答えることにしている。(p.108)
とかって、まだまだ元気だったときに書いたんだろうが、80歳になり90歳になり実際に死が近づいてきたときにどう思ったんだろうって、ちょっと考えさせられる。
あと、死生観とは直接関係ないけど、著者が豊栄市の図書館は市民が集う場所をめざしてるって話を紹介したところで、
>私はこの時代を理解するキーワードのひとつに、「寂しさ」があるのではないかとひそかに思っている。日本人はかつてなかったほどに、一人一人が孤立し始めているのではないか。大家族はもう昔話だし、核家族という言葉さえ聞かれなくなったくらい家族は崩れかかっている。私もその一人だが独居老人が増えているし、結婚を願わない若者も多い。会社もすでに疑似家族としての機能を失いつつあるし、都会では隣近所も見知らぬ人ばかり。私たちは帰属出来る幻の共同体を求めて携帯電話をかけまくり、電子メールで埒もないお喋りに精を出し、ロックコンサートに群がり、居酒屋にたむろし、怪しげな宗教に身を投じる。(略)「和」で生きてきた私たちは、「個」の孤独に耐えられないのだ。(p.221-222)
っていってるのがあって、2000年当時の話なんだが、今もっとそういうの加速してるような気もする。
コンテンツは以下のとおり。

 ポポー
 ゆとり
 恋は大袈裟
 聞きなれた歌
 道なき道
 ゆきあたりばったり
 葬式考
 風景と音楽
 昼寝
 駐ロバ場
 じゃがいもを見るのと同じ目で
 春を待つ手紙
 自分と出会う
 古いラジオの「のすたるぢや」
 通信・送金・読書・テレビ、そして仕事
 惚けた母からの手紙
 単純なこと複雑なこと
 内的などもり
 とりとめなく
 十トントラックが来た
 私の死生観
 五十年という歳月
 私の「ライフ・スタイル」
 ひとり暮らしの弁
 からだに従う
 二〇〇一年一月一日
 二十一世紀の最初の一日
ことばめぐり
 空
 星
 朝
 花
 生
 父
 母
 人
 嘘
 私
 愛
ある日(一九九九年二月~二〇〇一年一月)
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想いでの馬の顔

2024-12-04 19:34:07 | Weblog
むかし、ここに書いたと思うが、私の寝床の手の届くとこには、馬の日めくりカレンダーってのが置いてあるのさ。
目覚まし時計を止めたら、その流れでカレンダーをめくるのが、一日の最初にやることだ。

(いま調べたら、ひとからこれもらったのは、たぶん10年前ってことになる、10年ひと昔、早いような遅いような。)

んで、きょう12月4日は、なんと札幌にいたミニチュアポニーのゴルゴが主役さ。

(「大通り公園に来ていたゴルゴくん」ってキャプションついてるけど、たぶんゴルゴが大通り公園とか行ったのは夏のことさ。)
私のパソコンのなかには、馬の顔の写真いっぱいあるけど。
なんも整理とかしてなくて年月日順にただ保存されてるだけ、わざわざ開いて見たりとかしないんだが。
でも、こうして、たまたま古い馴染みの顔を朝から見ることができたりすると、なんか、ちと、ハッピー。
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新聞を疑え

2024-11-29 19:53:54 | 読んだ本
百目鬼恭三郎 昭和五十九年 講談社
これは、今年6月ころだったか買い求めた古本、最近やっと読んだ、読み始めるとなんか勢いついてどんどん進めちゃう感じはした。
著者は昭和59(1984)年3月に、31年つとめた朝日新聞社をやめて、その直後に出した本ということになる。
ずっと新聞はおかしい、自分の考えとへだたりがあると思ってたらしいけど、なんでもっと早く辞めないのかな。
新聞を疑えってのは、新聞に書いてあることが真実とはかぎらないとか、そういうことですね、たいしたことでもないのを騒ぐとか、なんかバイアスがあるとか。
>(略)新聞が真実を報道しない理由については、この本の各章で縷々述べているつもりだが、一口でいうと、それが新聞の伝統的な性格だからである。つまり、新聞は、イデオロギーあるいはセンセーショナリズムによって作られているのであり、真実を追求しているようにみせかけているのは、読者をだます手段だと思えばまちがいなかろう。(p.13)
って、ことだそうです、真実はなにかなんてことより、読んだひとにウケりゃいいってことらしい。
著者は学芸部に長くいたんだが、新聞は、文化勲章とかそういう権威ありそうな賞の受賞者決定すると、この人すごい、この人の仕事すごいって持ち上げるけど、
>私にいわせると、こういう時にこそ文化ジャーナリズムの真価が問われるのであって、受賞者が本当にそれに価する業績をあげている人物かどうかを検証するのが、ジャーナリズムに課せられた使命であるはずだ。(p.29)
という意見をもってます、もちろんその価値判断するのはやさしいことではないんだろうけど。
でも、たとえ可能でも、そういう新聞社のなかの人の識見は紙面には反映されることはないといい、
>(略)本来新聞には事物の価値判断など必要ない、という抜きがたい通念にぶつかるのである。この研究は学問的に価値があるのか、この絵は美術的にすぐれているのか、といったその事物が本来問われるべき価値を、新聞は避ける。いま流行の現象学の用語を借りるなら、「判断停止」ということになろう。そして、新聞が専ら問うのは、ニュース価値という得体のしれぬ代物なのである。
>(略)おおよその見当でいうほかはないのだが、ニュース価値とは、広く世間の話題になるかどうかということであるらしい。平たくいうと、みんながおどろくか、みんなの共感を呼ぶような事物が、ニュース価値があるということになる。(p.31-32)
ってことで、本来の価値なんか検証せんと、ウケることを目指すと。
うーん、そういう方向走ってくと、たとえば学者の研究内容そのものなんか置いといて、そのひとの趣味とか意外な一面とか、そーゆーのばっかフォーカスあてるんだろうねえ。
ものごとの本質とか真実とかには全然興味なくて、世論を煽りたてるような報道ばっかしている新聞記者はあぶないよ、ってことは、
>戦争中、新聞は、軍部に強制されて嫌々戦争に協力する紙面を作ったように、新聞研究史などには書かれているが、あれは全部ホントというわけではない、自分から進んで戦争に協力した新聞記者も少なくなかったはずである。そういう彼らに共通していたのは、理性の働きによって物事を判断しようとせず、ただ世間の感情によりかかっていたこと。先入観にとらわれて、事物を直視しようとしなかったことなどであろう。要するに、一切の既存の価値判断、先入観をぬきにして、事物の本質を見極めようという、ジャーナリズム本来のありかたに背いていたということである。(p.65-66)
みたいな言い様もされている。ウケねらうだけぢゃなく、世論誘導しちゃおうみたいになると、もっと危ないってか。
新聞が自らを権威づけるような傾向に走るのもよろしくないという、たまに読者が電話で何か訊いてくるんだが、わからんと答えると怒り出すひとさえいるとして、
>読者にしてみれば、それだけ朝日新聞の権威を買いかぶっているわけで、つい国立国会図書館とか国立科学博物館などとおなじような社会教育機関と錯覚してしまっているのであろう。新聞はそのように権威ある存在にみせかけることに成功しているけれど、私は、その姿勢はまちがっていると思う。なぜなら、新聞は、何度も繰り返すようだが、立ち向う対象の虚像の部分をひきはがして、真実の姿を読者に示すことを使命としているはずである。その新聞が、自ら虚像を読者に示すことに汲々としていは、結局その報道姿勢まで疑われる事態を招くことになりかねないからだ。(p.95-96)
と危惧している。
最後の章で、新聞の文章の書き方について、この著者得意の講演の形をして書いているけど、これはちょっとおもしろい。
>ご承知のように、新聞記事は、ようやく版を組み終えたと思った途端に、新しく大きなニュースが飛びこんできて、それをのせるために、組んである記事を落としたり、削ったりする場合が甚だ多い。従って、記事は、どこを削ってもいいような文章が好ましいとされています。(略)
>ですから、筆者は、どこを削られても文意がとれる文章を書かなければならないことになる。文章読本の類に名文のお手本としてあげられている文章のように、各部分が互いに有機的につながりをもっていて、どこも削れないような記事は、新聞では歓迎されません。(p.239)
ってことを新聞記者だったひとから教えてもらうと、よくわかる、無味乾燥というか砂をかむようなというか、新聞がそういう文章でも文句は言えないね、そりゃ。
最後の最後に付録として、昭和51(1976)年に田中角栄前首相が逮捕されたときに、裁判もまだなのに逮捕で悪者退治は終わったみたいに騒ぐのはいかがか、みたいなこと書いたら、読者から悪いやつの味方をするのかみたいな抗議がたくさんきたって話があんだけど、
>戦争を知らない若い人たちのために断っておくと、正当な意見を非国民呼ばわりして抹殺しようとしたのは、軍部やその手先ばかりではない。世論までそうだったのである。ちかごろ、戦争の悲惨さを若い人たちに伝えようという運動が盛んなようだが、ついでに世論がいかに戦争に迎合しそのお先走りをしたかも、よく伝えておいてもらいたい。(略)
>とにかく、この種の世論は、自分たちの考えに逆らうような意見が、この世に存在するのは許せない、という感情から出発しているので、はなはだ始末が悪い。反対意見の存在を認め、それと自分たちの意見との調整をはかってゆく、というのが民主主義のやりかただ、などとこの人たちに説明してもムダだろう。この点で、日本はいまなお、戦争中と変わっていないようにみえる。(p.271-272)
って感想が述べられてんだけど、それから50年ちかく経ったわけだが、いまの日本も変わってねえなあと、私は思ってしまった。
コンテンツは以下のとおり。なかで「たった一人の世論」は「現代」に昭和57年から2年間連載したものらしいけど、どれもおもしろい。
新聞を疑え――序にかえて
飛ぶ鳥の記(上) 内から見てきた朝日新聞
飛ぶ鳥の記(下) 内から見てきた朝日新聞
「風」とともに去った朝日新聞
たった一人の世論
 人三化け七
 新版罪と罰
 被害妄想史
 就職難
 文化勲章
 大義名分
 共通一次試験
 人間になった警官
 戦死地図
 子どもの地位
 死の値段
 無党派市民
 黒い手の英雄
 都市生活者の資格
 狂った季節
 革命志向
 文学賞の物差し
 分身
 下手も芸のうち
 能力別学級
 お年玉
 オリンピック
 音声言語
 挑戦
 悪の代理人
 殺人嗜好者
新聞の文章
付録
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世界短編傑作集4

2024-11-22 20:03:57 | 読んだ本
江戸川乱歩編 1961年 創元推理文庫
ことし3月ころに買い求めた古本の文庫、シリーズは全5冊で、第5巻に収録されてる「危険な連中」が読みたかっただけなんだけど、どーせ読むだろと思って、同じ時期に5冊とも買っといた、これ読んだのは最近のこと。5→1→2→3→4の順でいちおう全部読めたことになる。
時代順に作品が並べられてて、本書は1927年から1933年にかけての作品が収録されてるんだが、しょっぱなにヘミングウェイがあって、ちょっと驚く。
ヘミングウェイって推理小説書いたっけか、と思うんだが、この短編のハードボイルドのスタイルが推理小説に影響を与えたって理由での選出らしい、そうそう、このシリーズは探偵ものに限らない、短編傑作集だった。
収録作は以下のとおり。物語の序盤のうちから引用して何となくどんな話だったかのメモとして、あまりくわしく内容を書いたりしないようにしておく。

「殺人者」 The Killers(1927) アーネスト・ヘミングウェイ
>ヘンリー食堂のドアが開いて、ふたりの男がはいってきた。カウンターの前に腰をおろした。
>「何をさし上げますか?」とジョージがきいた。
>「さて」とひとりの男が言った。「アル、おまえ、何を食うかね?」
>「さあ、何にするかな」とアルは言った。「おれにも何が食いたいんだかわからねえ」(p.11)
ふたりの男は、もうすぐここに来るであろう男をばらそうってわけよ、と言い出す。

「三死人」 Three Dead Men(1929) イーデン・フィルポッツ
>私立探偵所長マイクル・デュヴィーンから、西インド諸島まで、特別調査に出張してみないかと勧められたとき、私は飛びあがらんばかりに喜んだ。(略)
>デュヴィーンは次のように説明した。
>「この依頼者は、出張調査の費用として、一万ポンド提供するといってきているのだ。(略)(p.33)
バルバドス島で大農場の経営者と使用人など三人が殺されているのが見つかった。

「スペードという男」 A Man Called Spade(1929) ダシール・ハメット
>サム・スペードは卓上電話をよこにおしやり、腕時計に目をやった。四時ちょっと前だ。「おーい」
>チョコレートケーキをたべながら、秘書のエフィ・ペリンが表のオフィスから顔をだした。
>「シド・ワイズに、きょうの午後の約束はだめだ、といってくれ」(p.97)
私立探偵サム・スペードが、だれかに脅かされていると連絡してきた男を訪ねると、すでに事件は起きていた。

「キ印ぞろいのお茶の会の冒険」 The Mad Tea Party(1929) エラリー・クイーン
>ミランは戸を大きく押しあけた。「さあ、さあ、おはいりになって、クイーン先生。オーエンさまにお知らせして来ます。……みなさん、芝居の下稽古をしているんですよ、きっと。ジョナサン坊ちゃまが起きているあいだはやれませんのでね。(p.159)
エラリーが招待された田舎の家を訪ねていくと、翌日の誕生日祝いの余興の「不思議の国のアリス」の芝居の練習をしていたが、翌朝には関係者の失踪事件がもちあがり、次いで奇怪な出来事があれこれ起こる。

「信・望・愛」 Faith, Hope and Charity(1930) アーヴィン・S・コッブ
>三人の囚人はすわってたばこをふかしながら、護送官がそばにいないときには、いろいろおしゃべりをした。
>スペイン人のガザとフランス人のラフィットは、英語がかなりできたので、彼らはおもに英語で話した。イタリア人のヴェルディ(略)はほとんど英語はしゃべれなかったが、ナポリに三年いたことがあるガザがイタリア語がわかったので、彼のいうことをフランス人に通訳してやった。三人は食事以外は特等車にいれられたきりだった。(p.223)
列車で護送中だった三人の囚人はスキをみて逃げ出して駅から離れていくが、三人それぞれに運命が待ち受けていることになる。

「オッターモール氏の手」 The Hands of Mr. Ottermole(1931) トマス・バーク
>これが『ロンドンの恐怖の絞殺事件』といわれたものの発端であった。『恐怖』と呼ばれたのは、それが殺人事件以上のものだったからである。動機がなく、それには邪悪な魔術めいたところがあった。殺人は、いずれの場合にも、死体が発見された街には、それとわかるような、あるいは、嫌疑をかけ得るような犯人の姿も認められないときにおこなわれた。人っ子ひとり見えない小路がある。その端には警官が立っている。警官はほんのちょっと小路に背をむける。そして、今度ふりかえったとたん、またしても絞殺事件がおこったという報告をもって、夜をつっ走るのである。そして、いずれの方角にも人の姿は見られなかったし、見かけたという人もないのである。(p.257-258)
これ、エラリー・クイーンなど12人が、世界のベスト短編選出を行ったとき、ポオの「盗まれた手紙」、ドイルの「赤髪連盟」をひきはなして、第一位になった物語なんだそうである。

「いかさま賭博」 The Mud's Game(1932?) レスリー・チャーテリス
>かたちもすっかりくずれた服のその男は、ひょうきんそうなかっこうで、テーブル越しに名刺を差し出した。J・J・ネイスキルと印刷してあった。
>聖者(セイント)は、チラッとそれを見ただけで、シガレット・ケースのふたをピンとはねると、一本抜いて勧めながら、
>「ぼくはあいにく、名刺をきらせてしまった。名前はサイモン・テンプラア」(p.281)
主人公サイモンは、義賊なんだそうである、悪漢を懲らしめ、警官の鼻をあかし、可憐な美女を危機一髪の場面で救い出したりするのが仕事なんだとか。そのサイモンに、なにか仕掛けのありそうなカードを使った、インチキ賭博でカネを巻き上げられたって青年が相談をもちかけてくる。

「疑惑」 Suspicion(1933) ドロシイ・L・セイヤーズ
>列車のなかはたばこのけむりが濛々と立ちこめて、ママリイ氏は、しだいに胸がむかついてくるのを感じていた。どうやら、さっきの朝食のせいらしい……
>しかし、べつにわるいものを食べたとも思えない。まず黒パン。(略)かりかりに揚げたベイコン。ほどよくゆでた卵が二つ。それに、サットン夫人独特のいれかたによるコーヒーだった。サットン夫人という女中は、ほんとの意味で掘り出し物だった。この女中のために、彼ら夫妻は、どのくらい助かっているか知れなかった。(p.317)
体調がすぐれないママリイ氏は、新聞紙上を賑わせている、砒素を使った連続殺人の容疑者で行方不明になっている料理女の話題が気になっている。

「銀の仮面」 The Silver Mask(1933) ヒュー・ウォルポール
>ミス・ソニヤ・ヘリズがウェストン家の晩餐会から帰ってくる途中、すぐ耳もとで人の声がした。
>「おさしつかえなければ――ほんのちょっと――」(略)
>「でも、あたし――」彼女はいいかけた。寒い夜で風がほおをさすようだった。
>ふりかえってみると、それはじつに美しい青年だった。(p.349)
ひとりもので五十になるソニヤは、寒さにふるえている青年に、親切心をだして家にいれてやり食べものを与えてやったのだが、後日また青年は訪ねてきて、だんだんおかしなことになっていく。
これ、あと味わるいなあ。
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