many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

俳句とは何か

2011-01-09 20:43:57 | 小林恭二
日本ペンクラブ編・小林恭二選 1989年 福武文庫
裏表紙にいわく、「俳句をとりまく幻の名散文を集めた俳句エッセイアンソロジー」だそうで。
なにを急にというわけでもないが、このあいだ「昭和将棋史」(大山康晴)を買ったときに、同じ古本屋で一緒に見つけた本だっていうだけで。
小林恭二はたいがい持ってるはずなんだけど、これはたしか読んだことも見たこともないような気がするぞ、って手にとってみてオドロキ。
1989年の文庫の定価はカバーには600円(本体583円って消費税がまだ3%だから)ってあるんだけど、鉛筆書きのその古本屋の値段は800円。
なぜに発売当初の定価より高いのか、全然わからんけど(ふつうの文庫本で、それなりに経年劣化してる外観だし)、こういうのは、迷わず買いである。
絶対逃してはならない(どっかにもうちょっと安いのあるだろ、なんて根拠レスな希望的観測なんかしてはいけない)、古本との出会いは一期一会なんである。
で、買ってきて、ヒマなときにボチボチ読んでみた。20年以上その存在を知らなかった本に、いまさら出会ったからって焦って読む必要はない。

コンテンツは以下のとおり。
「現代俳句(抄)」山本健吉
「百句燦燦(抄)」塚本邦雄
このふたつは、巻末の解説によれば(あとのも解説による)、俳句の注釈文としては最高のもの。
「偽前衛派」高柳重信
「虚子俳話(抄)」高浜虚子
このふたつは、俳句に対する決意表明とも言える散文。
「入庵雑記(抄)」尾崎放哉 
「雄鶏日記(抄)」富沢赤黄男
このふたつは、日記というかエッセイというかというもの。
「山林的人間」永田耕衣
「「澱河歌」の周辺」安東次男
「俳句は可能か」坪内稔典
このみっつは、オーソドックスな俳論。
「神戸(抄)」西東三鬼
これは小説。小林恭二が「好きで好きで仕様がない」、「昭和の小説史上に燦然と輝くもの」という小説。
「新鋭俳人の句会を実況大中継する」小林恭二
これは句会の模様をつづったもの、のちの「俳句という遊び」につながるものでしょう。

読んだなかで、私がいいなって思ったのは、虚子。
べつに虚子の意見に無条件に賛成するわけぢゃないけど、「無季の句、若しくは季の働きの無い句は俳句ではない」とか「無季の句は唯の十七字詩である」とかって言い切りが、すごい。
(虚子は「私は無季の句を必ずしも排斥するものではない」って書いてて、実際に自分でも無季の句(「俳句ではない」とことわってるけど)を作ってる。)
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したたるものにつけられて

2010-04-05 22:14:18 | 小林恭二
小林恭二 平成13年 角川ホラー文庫
小林恭二のつづき、せっかくなんで“怪談”っぽいのつながりで。
この文庫は「自選恐怖小説集」ということになってるんで。
収録作は、
「悲歌」
「走る女」
「したたるものにつけられて」
「星空」
「流れる」
「田之助の恋」
「葺屋町綺談」
「東昏侯まで」
「ゴブリン」

でも、いわゆるホラーとか怪談っていうのとは違うんだけど。
小林恭二らしい面白さはいっぱいある。
怖がらせるってわけぢゃなく、少し普通ぢゃない狂気じみたものが描かれてて。
歴史上の歌舞伎役者を採りあげた物語なども、どこまでが題材あって、どこからが創作なのか分かんない、そんな独特な想像性があって、けっこう好きです。
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麻布怪談

2010-04-04 20:53:32 | 小林恭二
小林恭二 2009年 文藝春秋
しばらく前に買っといて、最近になってやっと読んだ本。
私の好きな作家、小林恭二の新刊。
読んでて、ん?どこかで見たな?って思ったんだけど。
『本朝聊斎志異』のなかに、「蓮の香」という、狐と幽霊に見染められちゃう男の話があるんだが、その焼き直しというか拡大版というか何つーか。まあ、お話は読んでもらえばわかる。
私が何で小林恭二に魅かれるかは、いつも、なんとも説明がつかない。
「とにかく、言葉の使い方が、魔術のようなんだよ」って、いつも言うんだけど、その理由をうまく説明できたことはない。
だけど、今回も、読んでて、すっごい心地よく、先へ先へとページを進んでゆく。これは、ストーリーが面白いとかどうとかぢゃなく、言葉の響きが気持ちいいからだと、改めて思った。
読んでるうちに、その語りのリズム感に身をゆだねていると快感なんだよね。
琵琶音曲の平家物語の例まで引き合いにしたら極端かもしれないけど、古来「物語」は音楽に近いものだった側面もあるはずで、やっぱリズムっていうか、聞いた感じが大事って思う。
だからって、この本を実際声に出して読んで聞かされたらどうかはわからないけど、とにかく目で追って言葉が自分のなかに響いてくる感じは気持ちいいです。でも、個人的な体験にすぎないのかな、きっと。
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本朝聊斎志異

2009-09-26 22:59:49 | 小林恭二
小林恭二 2004年 集英社
タイトルは「ほんちょうりょうさいしい」
聊斎志異を気どっての小林恭二の創作です。きのうおとといからは、ちょっと古風な文体っていうか文章表現つながり。
わざと「伉儷甚敦かった」(ふうふなかはとてもよかった)とか、「惻然心動って」(あわれにおもって)とか、「何能何地だわ」(いまとなつてはておくれだわ)とかって表現をつかってます。
舞台は日本にしてますが、聊斎志異同様、狐、妖怪にたぶらかされる話を中心に54話、伝奇的な悲喜劇、読んでてとても楽しい。

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カブキの日

2009-08-17 23:52:44 | 小林恭二
小林恭二 1998年 講談社
『五七五でいざ勝負』のなかで、小林恭二自身がいちばん気に入っていると答えたのが『カブキの日』。
この少し前から、小林恭二の著作には、カブキについて書かれたものがポチポチ出てたと思うけど、この小説はすごいです。
でも、この小説の面白さを説明するのは、私にはとても難しいです、できません。
物語の舞台は、一応、現代の「世界座」という劇場なんだけど、読んで小説の世界に入り込んぢゃうと、いつの時代かどこの場所かわからない迷宮のなかを引っ張りまわされる感じになります。
主人公の少女・蕪と少年・月彦の駆け回るがままに、読んでいくとすごいスピードでアタマんなかがグルグルします。
(アタマんなかがグルグルするというのは、私が小説に与える最大級の賛辞のひとつで、古くはミヒャエル・エンデについての何かの評であったと思うのの流用。)
要は最後にはカブキの神が降臨するって感じなんだけど、なんというか読んでて自分の目の中には映像がキラキラと浮かんではくるが、実際の映像化は(映画とかにするのは)できないだろーなって類の描写です。

独自の世界の不思議な物語という点で、テイストは違うけど、ガルシア・マルケスを読んだときに通ずるものあったなーと、いま唐突に思った。
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