陸上競技は地味な競技だと思います。球技種目のように注目はされません。駅伝やマラソンなどの長距離種目は日本人の価値観に合うのか比較的受け入れられますが、短距離や投擲などの種目はなかなかその「楽しさ」が分ってもらえません。学生時代には友人から「走るだけで何が楽しいのか?」と良く言われていました。周りからみると確かにそうかもしれませんね。道具を使わずに身体を使って勝負をします。より速く、より遠くへ、より高くというのが陸上競技を表現するには最も適していると思います。
陸上競技をやっている者の中でも「本当の楽しさ」を理解している人はそれほど多くないのではないかと思っています。他の種目との一番の違いは「能力の差」が顕著に現れるということです黒人選手の速さは技術云々ではなく「筋肉の質」の違いだと言い切れます。もちろんトップ選手の技術はすごいものがあるのかもしれませんが、自然にその動きができるだけかもしれませんし、もっときちんとした技術を身につけたらもっともっと速くなるかもしれません。大学時代の監督が「駄馬は駄馬」だと良く言われていました。先天的な要素が大きいのです。競走馬などは本当に「血」の影響がその馬の資質を決めるので走れなくなっても種馬としてその価値は下がることはありません。「駄馬は駄馬なりに努力するしかない」という表現をされていますがまさにその通りだと思います。
先日の「祝勝会」で短距離の話になりました。他の先生が新任のころに他校に練習に行ったそうです。その場に自転車で乗り入れてきてアップもしないでスタート練習を数回やって20分程度でまた自転車で帰っていく選手がいたそうです。「なんだこいつは?」と思ったそうですが、後日のレースでは勝っていたそうです。それをみて「短距離は何をやっても勝てない」と感じたと。結局は「能力」が高ければそれだけで十分に戦えるのです。
学生時代、本当に必死に練習をしました。何が何でも全国レベルの大会に出場するんだと思って多くのものを犠牲にして取り組みました。しかし、なかなかそのレベルには達しませんでした。普通の選手ですからそれほど簡単なことではありません。しかし、そんな時期にものすごい才能を持った選手が入ってきました。練習どころが様々な部分で大変な選手でしたが、ほとんど何もやらない状態で地区インカレに出場し1位を取りました。本当に辛かったですね。必死でやっていてもなかなか届かない場所に、少し練習をして簡単に行ってしまう者がいる。この現実を受け入れるというのが本当に嫌でした。自分は何をやっているのか?という気持ちになりますからね。他の人と比較することに全く意味はありません。当時学生だった私にはなかなか受け入れられない現実でした。今考えると情けないですが。
しかし、この手の選手に共通して言えることがあります。それは、「陸上競技の本当の楽しさ」を知りません。少しずつ努力を重ねて様々な工夫をして長期間かけて力を上げていく。試合に出場してこれまで自分がやってきたことを試して上手くいくか上手くいかないのかを確かめる。そこからまた次の目標に向けて何をするかを考える。身体を使って勝負をする種目ですから自分自身と向き合いながらもっとこうしたほうが良いのではないかというのを考えながらやっていくことの楽しさがあります。「勝った」「負けた」もありますが、「勝ったから楽しい」というだけではなくそのプロセスの中で何を感じ何を学んだかというのが楽しいのだと思っています。
「能力」の高い選手はそこまでやらなくても勝手に結果が付いてきます。誤解を恐れずに書きますが、「努力」は関係ないのです。少しやれば走れるのです。だから他の者に「勝つ」ことだけが楽しい。レースに出て勝って優越感に浸ることができるから続けている部分が少なからずあります。だから、他の者が努力をして力をつけていき勝てなくなると面白くないので「言い訳」をしたり、すぐに競技を辞めてしまうという結果になります。もともと「能力」でやっているのですから、競技自体に「価値」を見出していません。だから周りの「努力すれば強いのに」という意見に耳を傾けることはありません。「能力」の高い選手にはありがちな部分だと思っています。偏見ではないと。
もちろん、「能力」が高く「目標」を明確に持って努力する選手もいます。本当に強い選手というのはそのような選手だと思います。普通の選手がどれだけ努力してもそのような選手に勝つのは正直不可能だと思っています。夢を奪うような書き方かもしれませんが100mを10秒5で走ったりするのは普通の選手ではなかなか難しいことです。全力で努力するウサギには普通のカメは勝てないと思います。
しかし、少しずつであれ必ずその差を縮めることはできると思っています。全力で努力するカメは一生懸命になることを競技から学びますから、少しの負けや苦しさではへこたれません。何度でも何度でも起き上がって前に進もうとします。その中で自分で価値観を見出していくのです。負けから学び、次に何をするかを考えて行動に移すことができるようなる。陸上競技は他の種目とは違い「内面の成長」が競技成績に顕著に現れると思います。
私は「能力」としてはそれほど高くはなかったと思います。中学時代は学校のリレーメンバーにすら入っていませんでしたから・・・。それでも地道にやっていくことだけは周りの者よりも優れていたと思います。だからご褒美として全国を経験できた。普通の選手でも一生懸命にやればある程度の水準までは強くなります。高校などはその顕著な例です。うちの選手は中学時代の実績はほとんどありません。それでも地道にやっていくことができますからかなり強くなっていると思います。指導者の力というよりも本人たちの「心」の部分だと思います。
「心」が育たなければ陸上競技の楽しさには触れられないと思います。ワイワイやって「楽しい」のとは全く意味が違います。本気でやっていくためには取り組む姿勢や物事に対する「考え方」がしっかりとしていなければ強くはなれないと。それなりにやっているチームや「心」がつながらないようなチームには負けたくはありませんし、負けてはいけないと思っています。「正しい方向への努力」が人を変えるんだというのを示していく必要がある。その姿を見て今度は周りの「心」を動かすようなチーム作りをしていきたいと思っています。
「強いチームには責任が伴う」。これは以前ある人に言われた言葉です。少しずつ力をつけ始めていたうちのチームが明らかに周りの手本とはならないような行動をとってしまったときに注意を受けた言葉です。力がつけばそれなりに周りから注目されます。「あんなチームが勝つなんて」と思われるようなチームでは競技をする意味はありません。「能力」だけで戦うようなチームにはなりたくありません。「心」のあるチーム、周りから応援されるようなチームになりたいと常々思っています。それに選手が応えてくれます。選手たちも「楽しい」と思って取り組んでくれています。そうでなければうちが今やっているようなことは間違いなくできませんから(笑)。
まずは自分たちが「戦える力」を身につけることが最優先です。他校がどうこうという前に自分たちがその場にふさわしい力をつけなければいけません。他校が落ちてくるのを待つという消極的な話ではなく、自分たちが強くなることが一番の近道なのですから。それが「楽しい」と最近は強く思います。
なんとなく書いてしまいました。うちの選手にも想いが届くといいなと思います。
陸上競技をやっている者の中でも「本当の楽しさ」を理解している人はそれほど多くないのではないかと思っています。他の種目との一番の違いは「能力の差」が顕著に現れるということです黒人選手の速さは技術云々ではなく「筋肉の質」の違いだと言い切れます。もちろんトップ選手の技術はすごいものがあるのかもしれませんが、自然にその動きができるだけかもしれませんし、もっときちんとした技術を身につけたらもっともっと速くなるかもしれません。大学時代の監督が「駄馬は駄馬」だと良く言われていました。先天的な要素が大きいのです。競走馬などは本当に「血」の影響がその馬の資質を決めるので走れなくなっても種馬としてその価値は下がることはありません。「駄馬は駄馬なりに努力するしかない」という表現をされていますがまさにその通りだと思います。
先日の「祝勝会」で短距離の話になりました。他の先生が新任のころに他校に練習に行ったそうです。その場に自転車で乗り入れてきてアップもしないでスタート練習を数回やって20分程度でまた自転車で帰っていく選手がいたそうです。「なんだこいつは?」と思ったそうですが、後日のレースでは勝っていたそうです。それをみて「短距離は何をやっても勝てない」と感じたと。結局は「能力」が高ければそれだけで十分に戦えるのです。
学生時代、本当に必死に練習をしました。何が何でも全国レベルの大会に出場するんだと思って多くのものを犠牲にして取り組みました。しかし、なかなかそのレベルには達しませんでした。普通の選手ですからそれほど簡単なことではありません。しかし、そんな時期にものすごい才能を持った選手が入ってきました。練習どころが様々な部分で大変な選手でしたが、ほとんど何もやらない状態で地区インカレに出場し1位を取りました。本当に辛かったですね。必死でやっていてもなかなか届かない場所に、少し練習をして簡単に行ってしまう者がいる。この現実を受け入れるというのが本当に嫌でした。自分は何をやっているのか?という気持ちになりますからね。他の人と比較することに全く意味はありません。当時学生だった私にはなかなか受け入れられない現実でした。今考えると情けないですが。
しかし、この手の選手に共通して言えることがあります。それは、「陸上競技の本当の楽しさ」を知りません。少しずつ努力を重ねて様々な工夫をして長期間かけて力を上げていく。試合に出場してこれまで自分がやってきたことを試して上手くいくか上手くいかないのかを確かめる。そこからまた次の目標に向けて何をするかを考える。身体を使って勝負をする種目ですから自分自身と向き合いながらもっとこうしたほうが良いのではないかというのを考えながらやっていくことの楽しさがあります。「勝った」「負けた」もありますが、「勝ったから楽しい」というだけではなくそのプロセスの中で何を感じ何を学んだかというのが楽しいのだと思っています。
「能力」の高い選手はそこまでやらなくても勝手に結果が付いてきます。誤解を恐れずに書きますが、「努力」は関係ないのです。少しやれば走れるのです。だから他の者に「勝つ」ことだけが楽しい。レースに出て勝って優越感に浸ることができるから続けている部分が少なからずあります。だから、他の者が努力をして力をつけていき勝てなくなると面白くないので「言い訳」をしたり、すぐに競技を辞めてしまうという結果になります。もともと「能力」でやっているのですから、競技自体に「価値」を見出していません。だから周りの「努力すれば強いのに」という意見に耳を傾けることはありません。「能力」の高い選手にはありがちな部分だと思っています。偏見ではないと。
もちろん、「能力」が高く「目標」を明確に持って努力する選手もいます。本当に強い選手というのはそのような選手だと思います。普通の選手がどれだけ努力してもそのような選手に勝つのは正直不可能だと思っています。夢を奪うような書き方かもしれませんが100mを10秒5で走ったりするのは普通の選手ではなかなか難しいことです。全力で努力するウサギには普通のカメは勝てないと思います。
しかし、少しずつであれ必ずその差を縮めることはできると思っています。全力で努力するカメは一生懸命になることを競技から学びますから、少しの負けや苦しさではへこたれません。何度でも何度でも起き上がって前に進もうとします。その中で自分で価値観を見出していくのです。負けから学び、次に何をするかを考えて行動に移すことができるようなる。陸上競技は他の種目とは違い「内面の成長」が競技成績に顕著に現れると思います。
私は「能力」としてはそれほど高くはなかったと思います。中学時代は学校のリレーメンバーにすら入っていませんでしたから・・・。それでも地道にやっていくことだけは周りの者よりも優れていたと思います。だからご褒美として全国を経験できた。普通の選手でも一生懸命にやればある程度の水準までは強くなります。高校などはその顕著な例です。うちの選手は中学時代の実績はほとんどありません。それでも地道にやっていくことができますからかなり強くなっていると思います。指導者の力というよりも本人たちの「心」の部分だと思います。
「心」が育たなければ陸上競技の楽しさには触れられないと思います。ワイワイやって「楽しい」のとは全く意味が違います。本気でやっていくためには取り組む姿勢や物事に対する「考え方」がしっかりとしていなければ強くはなれないと。それなりにやっているチームや「心」がつながらないようなチームには負けたくはありませんし、負けてはいけないと思っています。「正しい方向への努力」が人を変えるんだというのを示していく必要がある。その姿を見て今度は周りの「心」を動かすようなチーム作りをしていきたいと思っています。
「強いチームには責任が伴う」。これは以前ある人に言われた言葉です。少しずつ力をつけ始めていたうちのチームが明らかに周りの手本とはならないような行動をとってしまったときに注意を受けた言葉です。力がつけばそれなりに周りから注目されます。「あんなチームが勝つなんて」と思われるようなチームでは競技をする意味はありません。「能力」だけで戦うようなチームにはなりたくありません。「心」のあるチーム、周りから応援されるようなチームになりたいと常々思っています。それに選手が応えてくれます。選手たちも「楽しい」と思って取り組んでくれています。そうでなければうちが今やっているようなことは間違いなくできませんから(笑)。
まずは自分たちが「戦える力」を身につけることが最優先です。他校がどうこうという前に自分たちがその場にふさわしい力をつけなければいけません。他校が落ちてくるのを待つという消極的な話ではなく、自分たちが強くなることが一番の近道なのですから。それが「楽しい」と最近は強く思います。
なんとなく書いてしまいました。うちの選手にも想いが届くといいなと思います。