ここ最近の教育活動、若干無意味だなと感じることが増えています。本気になって人と向き合っても受けとる側に素直さが無くなってきている感じが強くあります。注意を受けても別に構わないという感じがあります。この状態の中で何を目指すのか非常に疑問を感じます。
万人に受け入れられようという気持ちは全くありません。人間ですから好き嫌いは必ずあります。しかし、本気で話していてもそれを受け入れる気持ちがなければそれは無意味になってしまいます。だからといって止めてしまえばそれで終わりなのですが。
高校生は「他者から何かを言われる」のを嫌います。ここ数年、特にその部分が強くあると思います。どこの段階が間違っているとは言えませんが、教育活動のどこかで「自分がやりたくないことはやらなくていい」という意識が身に付いてしまっています。
マスコミは何かあれば教師を叩きます。もちろん、大きな問題がある人間もいるでしょう。しかし、現場でどれだけの苦労をしているかは公表しません。モンスターペアレント云々だけは大きく取り上げていますが、それにより何かを変えようとするわけではない。現場で教職に就いている者がどれだけ精神的な負担を強いられているのかは分かってもらえません。
生徒に合わせて何かあっても注意もせず見てみぬ振りをする、友達感覚で生徒と関わる。生徒に関心を持たず淡々とやるのであればそれほど不快感を感じることはないでしょうが、何とかしようと思えばどうしても生徒に何かを伝える時間が必要になります。
しかし、それをすると「何でそんなことを言われないといけないのか」「ムカつく」「ウザい」という反抗的な態度を取られる。真剣に向き合おうとすればするほどそう感じることが多くなります。授業だけを教えておけばいいという仕事ではありません。かなりの精神的な不快感を感じながらやらなければいけない。
ここの部分は制度としてもっと考えていかなければいけないのではないかと思いますね。一時的な感情だけで書いている訳ではありません。注意をするのも感情だけでやっている訳ではない。別に嫌われても問題はありません。人気取りのために仕事をやっているわけではありません。こちらが「育てたい人物像」を持っていなければ進んでいく方向性も見えてきません。ポリシーを持ってやっているつもりです。
しかし、最近は「教育活動の無力感」を感じることが多くなっています。今の教育制度の中で本当に人が育つのか疑問を感じます。別に私が正しいと思っているわけではありません。全員が同じようなタイプで指導をするわけではない。年齢的な部分があるのかもしれませんが今のままで本当に意味があるのかを感じています。
高校生が間違いなく幼くなってきていると感じます。精神年齢が上がってこない。1人の大人として関わっていく事は出来ません。もちろん、高校生ですから幼い部分があるのは当然です。関わり方が希薄になっているというか相手が真剣に話している事を感じ取れない気がしています。私が求めている水準が高いのは分かっています。ある程度高い水準に意識を置いておかなければ自然にレベルが下がってしまいますから。
高校生と真剣に向き合える状態を作りたい。今はちょっと遠いですね。せめて部活はきちんと育てる環境を保ちたい。生徒の現状に合わせていく事も必要だとは思いますが、全てを生徒に合わせるというのは違うと感じています。無力感があるのは確かです。だからといって諦める気はありません。何とかしないといけない。そう思っています。
上手く書けませんが…。今のままでは嫌だなと感じます。この1年、特に感じている部分です。表現できないもどかしさ…。難しいですね。
万人に受け入れられようという気持ちは全くありません。人間ですから好き嫌いは必ずあります。しかし、本気で話していてもそれを受け入れる気持ちがなければそれは無意味になってしまいます。だからといって止めてしまえばそれで終わりなのですが。
高校生は「他者から何かを言われる」のを嫌います。ここ数年、特にその部分が強くあると思います。どこの段階が間違っているとは言えませんが、教育活動のどこかで「自分がやりたくないことはやらなくていい」という意識が身に付いてしまっています。
マスコミは何かあれば教師を叩きます。もちろん、大きな問題がある人間もいるでしょう。しかし、現場でどれだけの苦労をしているかは公表しません。モンスターペアレント云々だけは大きく取り上げていますが、それにより何かを変えようとするわけではない。現場で教職に就いている者がどれだけ精神的な負担を強いられているのかは分かってもらえません。
生徒に合わせて何かあっても注意もせず見てみぬ振りをする、友達感覚で生徒と関わる。生徒に関心を持たず淡々とやるのであればそれほど不快感を感じることはないでしょうが、何とかしようと思えばどうしても生徒に何かを伝える時間が必要になります。
しかし、それをすると「何でそんなことを言われないといけないのか」「ムカつく」「ウザい」という反抗的な態度を取られる。真剣に向き合おうとすればするほどそう感じることが多くなります。授業だけを教えておけばいいという仕事ではありません。かなりの精神的な不快感を感じながらやらなければいけない。
ここの部分は制度としてもっと考えていかなければいけないのではないかと思いますね。一時的な感情だけで書いている訳ではありません。注意をするのも感情だけでやっている訳ではない。別に嫌われても問題はありません。人気取りのために仕事をやっているわけではありません。こちらが「育てたい人物像」を持っていなければ進んでいく方向性も見えてきません。ポリシーを持ってやっているつもりです。
しかし、最近は「教育活動の無力感」を感じることが多くなっています。今の教育制度の中で本当に人が育つのか疑問を感じます。別に私が正しいと思っているわけではありません。全員が同じようなタイプで指導をするわけではない。年齢的な部分があるのかもしれませんが今のままで本当に意味があるのかを感じています。
高校生が間違いなく幼くなってきていると感じます。精神年齢が上がってこない。1人の大人として関わっていく事は出来ません。もちろん、高校生ですから幼い部分があるのは当然です。関わり方が希薄になっているというか相手が真剣に話している事を感じ取れない気がしています。私が求めている水準が高いのは分かっています。ある程度高い水準に意識を置いておかなければ自然にレベルが下がってしまいますから。
高校生と真剣に向き合える状態を作りたい。今はちょっと遠いですね。せめて部活はきちんと育てる環境を保ちたい。生徒の現状に合わせていく事も必要だとは思いますが、全てを生徒に合わせるというのは違うと感じています。無力感があるのは確かです。だからといって諦める気はありません。何とかしないといけない。そう思っています。
上手く書けませんが…。今のままでは嫌だなと感じます。この1年、特に感じている部分です。表現できないもどかしさ…。難しいですね。