木曜日、本当にバタバタしました。もっているエネルギーの9割くらいは使い果たした感じですね。ヘロヘロでした。
朝練の時間に3年生を呼んで下級生に話をさせました。残念ながら全員を呼ぶ気にはなりませんでした。色々と思うことはありますし、この行動は批難されるかもしれません。一つ一つは書きません。こういう公の場面ではすべてを書きません。一部分だけですからそこを取り上げて批難されたら返す言葉はありません。それでもあえて書いています。
本来であれば3年生の最後のレースの日に3年生から話をさせたかったのですが、1人が体調不良でいませんでしたから月曜日に延期しました。狙ったようにその月曜日も体調不良者が引き続いて欠席。伸びに伸びて1週間延期しましたが、その日は練習中にトラブルが発生してまたも延期。最終的に木曜日の朝としました。3年生はそれぞれ思うことがあったでしょう。それを自分の口で下級生に伝えるというのは大事なことだと思います。
一人は「信頼関係」について話をしました。チームが崩れていくのはお互いの信頼関係がなくなるから。ダメなものはダメと伝え、それを素直に受け入れる。そいやって互いに高めあう関係が作れなければあっという間に崩壊する。表面的なつながりは本物にはならない。嘘をついたりすると信頼関係は作れない。みんなで一つの目標に向かうためにはお互いの悪いところばかりに目を向けずに「良い所」を認めて褒めていくことで互いが高まっていく。それが非常に大事だと。
一人は「目標に向かっての努力」と「目の前のことを全力で」と話しました。女子と一緒に走って負けたので悔しかったが自分がやると決めたことだからしっかりとやる以外にはないと思ってやってきた。大きな目標のことも考えたがまずは「目の前のこと」に対して全力で取り組むことを心がけた。先ばかり見て今やらないといけない練習ができなければ意味がない。皆よりも力がないからやっていくしかない。記録的には大きく伸びたかもしれないが、最終目標には届かなかった。やはり自分は甘い部分があった。本当はもっとできたのではいか?
一人は「何か残せたか」ということを話しました。どれだやってきても少し歯車がくるってきちんとできなくなるとそれまでの取り組みは水の泡になる。一番大切なところで自分の行動でチームに大きな迷惑をかけてしまった。それを取り戻すためにやってきたができたかどうかは分からない。取り返しのつかないことがある。それを痛感した。本当に申し訳ない。先輩たちから引き継いできたものを壊してしまった。何か自分が後輩に残せたものがあるだろうか。それが気がかりだ。
それぞれ想いはあるでしょう。その言葉を下級生がどのように感じ取るかです。どんな形であれ一生懸命にやってきた人間の言葉には重みがあります。それを感じ取れないようでは先はありません。思い通りの結果は出せなかったかもしれない。それには必ず原因がある。後悔をしても手遅れです。反省はしなければいけないかもしれませんが、悔やんだところで時間は戻ってきません。その姿をみて自分たちが何をやっていくかを冷静に考えられるようにならないといけない。何も残せなかったわけではない。自分を否定し続ける必要はないのです。
最後の県体で総合2位、マイルで3位に入りました。これにより3年生の男子も校納式で賞状を納めることができました。高校生活で全員が全校生徒の前で賞状校納ができるわけではありません。こういう行事にはそれほど思い入れはありませんが、3年生の最後という意味では非常に大事な経験かもしれないですね。最後の最後にこういう経験ができたというのはこの子たちが取り組んできたことの証明だと思います。本当に大切なのはこれからの行動です。部活で学んだことが証明されるかどうかは競技中ではなくその後の生活に現れます。ここができなかったら「3年間競技をやった意味はない」と思っています。ダメですね。うちの学校で競技に取り組んだことを誇りに思えるか?見ていきたいと思います。
朝練の時間に3年生を呼んで下級生に話をさせました。残念ながら全員を呼ぶ気にはなりませんでした。色々と思うことはありますし、この行動は批難されるかもしれません。一つ一つは書きません。こういう公の場面ではすべてを書きません。一部分だけですからそこを取り上げて批難されたら返す言葉はありません。それでもあえて書いています。
本来であれば3年生の最後のレースの日に3年生から話をさせたかったのですが、1人が体調不良でいませんでしたから月曜日に延期しました。狙ったようにその月曜日も体調不良者が引き続いて欠席。伸びに伸びて1週間延期しましたが、その日は練習中にトラブルが発生してまたも延期。最終的に木曜日の朝としました。3年生はそれぞれ思うことがあったでしょう。それを自分の口で下級生に伝えるというのは大事なことだと思います。
一人は「信頼関係」について話をしました。チームが崩れていくのはお互いの信頼関係がなくなるから。ダメなものはダメと伝え、それを素直に受け入れる。そいやって互いに高めあう関係が作れなければあっという間に崩壊する。表面的なつながりは本物にはならない。嘘をついたりすると信頼関係は作れない。みんなで一つの目標に向かうためにはお互いの悪いところばかりに目を向けずに「良い所」を認めて褒めていくことで互いが高まっていく。それが非常に大事だと。
一人は「目標に向かっての努力」と「目の前のことを全力で」と話しました。女子と一緒に走って負けたので悔しかったが自分がやると決めたことだからしっかりとやる以外にはないと思ってやってきた。大きな目標のことも考えたがまずは「目の前のこと」に対して全力で取り組むことを心がけた。先ばかり見て今やらないといけない練習ができなければ意味がない。皆よりも力がないからやっていくしかない。記録的には大きく伸びたかもしれないが、最終目標には届かなかった。やはり自分は甘い部分があった。本当はもっとできたのではいか?
一人は「何か残せたか」ということを話しました。どれだやってきても少し歯車がくるってきちんとできなくなるとそれまでの取り組みは水の泡になる。一番大切なところで自分の行動でチームに大きな迷惑をかけてしまった。それを取り戻すためにやってきたができたかどうかは分からない。取り返しのつかないことがある。それを痛感した。本当に申し訳ない。先輩たちから引き継いできたものを壊してしまった。何か自分が後輩に残せたものがあるだろうか。それが気がかりだ。
それぞれ想いはあるでしょう。その言葉を下級生がどのように感じ取るかです。どんな形であれ一生懸命にやってきた人間の言葉には重みがあります。それを感じ取れないようでは先はありません。思い通りの結果は出せなかったかもしれない。それには必ず原因がある。後悔をしても手遅れです。反省はしなければいけないかもしれませんが、悔やんだところで時間は戻ってきません。その姿をみて自分たちが何をやっていくかを冷静に考えられるようにならないといけない。何も残せなかったわけではない。自分を否定し続ける必要はないのです。
最後の県体で総合2位、マイルで3位に入りました。これにより3年生の男子も校納式で賞状を納めることができました。高校生活で全員が全校生徒の前で賞状校納ができるわけではありません。こういう行事にはそれほど思い入れはありませんが、3年生の最後という意味では非常に大事な経験かもしれないですね。最後の最後にこういう経験ができたというのはこの子たちが取り組んできたことの証明だと思います。本当に大切なのはこれからの行動です。部活で学んだことが証明されるかどうかは競技中ではなくその後の生活に現れます。ここができなかったら「3年間競技をやった意味はない」と思っています。ダメですね。うちの学校で競技に取り組んだことを誇りに思えるか?見ていきたいと思います。