土曜日、この日は朝から山口で教員免許更新講習がありました。申し込み締め切りは1か月以上前。いつものことながら申し込みの日を忘れていて7時過ぎに他の人に言われて申し込みを行ったため、一般的な講習はすでに埋まっていました。言っても仕方ないのですが、本当に受けたい講習が受けられないというのはどうなのかと思います。私は「商業」の教員免許を持っていますが、「商業」のための講習はほとんど開講されていません。人数が少ないからです。ほかの教科は小学校・中学校でも実施されていますから講習があります。何のための免許更新講習なのか?申し込みに関しても春先に紙を渡されて「自分で申し込め」で終わり。ほとんどの講習は大会や行事と重なっているため受けられません。夏休みはインターハイがありました。いい加減にしてもらいたいですね。
で、受けようと持っていた講習は受けられませんでした。共通で2日間、専門(選択)で3日間受けないといけません。専門は「哲学」と「コート競技の授業指導」を受けていました。自分の専門とは全く関係ありません。今回も興味があった講習はすでに埋まっていました。今回の日程を逃すと今度は県合宿と重なります。そのためこの日に受けるしかないと考えていました。申し込みの日に見てみると空いていたのは「数学」と「芸術」でした。どちらも私の生活には全く縁のない話です。数学は間違いなく難しいので諦めて「芸術」にしました。こういう書き方をすると講習を実施される講師の先生に申し訳ないのですが、自ら進んで芸術を受けようと思ったわけではありません。このシステムの無意味さは明らかだと思います。人によっては通信教育のような形で受けています。「やったことに意味がある」というだけの話です。本来の目的とは大きな違いがある。
少し話がそれますが、学校授業アンケートや自己目標シートなんていうのは顕著ですね。何の意味があるのか?「目的」があってそのための「手段」「方法」がある。国や県がやれといったから「ひとまずやりました」というだけの話です。それをやったからといって教員の資質が向上するわけでも授業内容が大きく変わるわけでもありません。管理職による授業参観なども同じです。授業を見ても特に何かを言われるわけではない。「見に来た」という事実だけが残るのです。授業時間が一番大事だと思っています。が、今年は19時間授業(LHRも含む)、この間に面談をやるとか教育相談との打ち合わせをするといわれても・・・。クラス担任をすれば授業時間以外にも様々な対応があります。その部分を理解しているのか?かなりイラっとしています。それに加えてこの免許更新講習。どこまで意味がある取り組みなのか?「実施する」ということが大事なのかもしれません。免許更新講習のために1日6000円、全部で3万円かかります。何なんでしょうか。
かなり本論とずれましたが、今回は「芸術」の講習。「鑑賞能力向上指導」についてです。芸術的な感覚が鈍い私にとってはかなりのダメージです(笑)。座って講義だけを聞いておけばなんとかなるだろうという安易な気持ちがありました。実際に大学について教室に行くと明らかな場違い。私はいつも通りジャージで参加しましたが(ここに取り組む姿勢の差がある)、他の人は「先生」といった感じの服装です。参加者の9割くらいは間違いなく美術の先生。話によるとわざわざ話を聞くために広島や北九州から参加しているとのこと。きっとすごいことなのですが私にとっては大きなプレッシャーでした。
講義が始まると「対話型鑑賞」の実践ということでプロジェクターで前に映し出された「芸術作品」に対して感じることを、思ったことを何でもいいから挙手で発表して欲しいという話になりました。これは子どもたちに対してやっていくための練習だそうです。実際は「ギャラリートーク」といって美術館で作品の鑑賞を行うための手法の一つだという話です。大した話ではないのですが周りは専門家ばかり。芸術作品なんて普段から見ませんから全く分りません。気付いたことを何でもいいから言うようにと言われましたが、かなり気がひけます。他の人は作品を見てかなり話をします。1つの作品から物語りを作り出してそれについて語ります。見たまんまではなくて・・・。「女性が持っている剣が下を向いている。外部の敵に対して威嚇するのではなく、連れ去った子どもを脅しているのだ」とか・・・。「確かにそういう見方もあるのかな」とは思いますが、鑑賞能力の低い私にとってはついていけません。
話をひたすら聞いていて納得できる部分がいくつもありました。「無意味」と思っている免許更新講習もこういう意味では「意味」があります。講習内容が無意味だと言っているのではなく、このシステム自体が無意味だと言っているだけです。あしからず。芸術作品を示す時にその部分だけを抜き出して示しても本当の意味は分らない。陸上の連続写真の1つを抜き出してその局面についてあれこれ議論しても仕方ないのと同じですね。「考えさせる」というのは全ての教科に共通する大事な部分だと思いますね。まー作品の構図が云々、この作品の作者がという話もありましたが私には基本的にそういう知識はありません。全て縦線と横線が基調としてデザインしてあると言われても(笑)。
何とかやっていけるかなと思っていたら、「午後からは皆さんにギャラリートークをやってもらいます。前で芸術作品を鑑賞するための司会者になってください。」という無茶ブリ。見ている人の意見をくみ取って作品の鑑賞をしていくというものです。それを進めていくための進行役をやると。おいおい、どれだけなんだよと感じました。全員が素人ならなんとかやっていけますが、周りは専門家、芸術作品に対しの理解や知識があります。こちらは作品を見ても「どこかで見たことがあるな」と思うか思わないかのレベル。有名な作品であっても「初めて見る」くらいのレベルです。衝撃的でした。知らなくても出来るような進行役だとは思うのですが、さすがに気がひけます。
他の人を見ながらなんとかやっていこうと思っていたら「申し込み順が早いというのはやる気がある証拠だと思う。発表もその順番にしましょう。」と言われました。実は6時申し込み開始で私は7時くらいに申し込んだので(消去法的に)申し込み番号は1番でした・・・。この緊迫した状況で一番最初にやるのか・・・。かなり凹みました。繰り返しになりますが1人だけジャージですから間違いなく場違いです。昼休みは心が折れそうになりながら作品鑑賞のための勉強をしていきました。
結局1人5分程度の発表だったのでなんとかやることができましたが、精神的にはダメージが大きかったですね。こういう意味では鍛えられました。強い心を持ってやっていかないといけないという経験をすることができたのですから。
講習自体は非常に面白く聞くことができました。実際の生徒との関わりにも生かせる部分があります。これは講師の先生の力だと思いますね。他の講習であればどうなのか?地学でバスに乗って地層を見に行くという講習もあります。教科は問わずです。「講習を受ける」ということ自体に意味があって何を学ぶかは関係ない。文科省はこういう現状をどうとらえていくのか?絶対に分ってもらえないでしょうね。
疲労しましたがなんとか免許更新講習は終了しました。あとは「講習が終わりました」という報告をしないといけないですね。これも申請手続きにお金が必要だと言っていました。全く何を目指しているのか分りません。これから先、この講習がいつまで続くのか。55歳になってもやらされる可能性はあるのではないかと危惧しています。どうにかならないものでしょうか・・・。
で、受けようと持っていた講習は受けられませんでした。共通で2日間、専門(選択)で3日間受けないといけません。専門は「哲学」と「コート競技の授業指導」を受けていました。自分の専門とは全く関係ありません。今回も興味があった講習はすでに埋まっていました。今回の日程を逃すと今度は県合宿と重なります。そのためこの日に受けるしかないと考えていました。申し込みの日に見てみると空いていたのは「数学」と「芸術」でした。どちらも私の生活には全く縁のない話です。数学は間違いなく難しいので諦めて「芸術」にしました。こういう書き方をすると講習を実施される講師の先生に申し訳ないのですが、自ら進んで芸術を受けようと思ったわけではありません。このシステムの無意味さは明らかだと思います。人によっては通信教育のような形で受けています。「やったことに意味がある」というだけの話です。本来の目的とは大きな違いがある。
少し話がそれますが、学校授業アンケートや自己目標シートなんていうのは顕著ですね。何の意味があるのか?「目的」があってそのための「手段」「方法」がある。国や県がやれといったから「ひとまずやりました」というだけの話です。それをやったからといって教員の資質が向上するわけでも授業内容が大きく変わるわけでもありません。管理職による授業参観なども同じです。授業を見ても特に何かを言われるわけではない。「見に来た」という事実だけが残るのです。授業時間が一番大事だと思っています。が、今年は19時間授業(LHRも含む)、この間に面談をやるとか教育相談との打ち合わせをするといわれても・・・。クラス担任をすれば授業時間以外にも様々な対応があります。その部分を理解しているのか?かなりイラっとしています。それに加えてこの免許更新講習。どこまで意味がある取り組みなのか?「実施する」ということが大事なのかもしれません。免許更新講習のために1日6000円、全部で3万円かかります。何なんでしょうか。
かなり本論とずれましたが、今回は「芸術」の講習。「鑑賞能力向上指導」についてです。芸術的な感覚が鈍い私にとってはかなりのダメージです(笑)。座って講義だけを聞いておけばなんとかなるだろうという安易な気持ちがありました。実際に大学について教室に行くと明らかな場違い。私はいつも通りジャージで参加しましたが(ここに取り組む姿勢の差がある)、他の人は「先生」といった感じの服装です。参加者の9割くらいは間違いなく美術の先生。話によるとわざわざ話を聞くために広島や北九州から参加しているとのこと。きっとすごいことなのですが私にとっては大きなプレッシャーでした。
講義が始まると「対話型鑑賞」の実践ということでプロジェクターで前に映し出された「芸術作品」に対して感じることを、思ったことを何でもいいから挙手で発表して欲しいという話になりました。これは子どもたちに対してやっていくための練習だそうです。実際は「ギャラリートーク」といって美術館で作品の鑑賞を行うための手法の一つだという話です。大した話ではないのですが周りは専門家ばかり。芸術作品なんて普段から見ませんから全く分りません。気付いたことを何でもいいから言うようにと言われましたが、かなり気がひけます。他の人は作品を見てかなり話をします。1つの作品から物語りを作り出してそれについて語ります。見たまんまではなくて・・・。「女性が持っている剣が下を向いている。外部の敵に対して威嚇するのではなく、連れ去った子どもを脅しているのだ」とか・・・。「確かにそういう見方もあるのかな」とは思いますが、鑑賞能力の低い私にとってはついていけません。
話をひたすら聞いていて納得できる部分がいくつもありました。「無意味」と思っている免許更新講習もこういう意味では「意味」があります。講習内容が無意味だと言っているのではなく、このシステム自体が無意味だと言っているだけです。あしからず。芸術作品を示す時にその部分だけを抜き出して示しても本当の意味は分らない。陸上の連続写真の1つを抜き出してその局面についてあれこれ議論しても仕方ないのと同じですね。「考えさせる」というのは全ての教科に共通する大事な部分だと思いますね。まー作品の構図が云々、この作品の作者がという話もありましたが私には基本的にそういう知識はありません。全て縦線と横線が基調としてデザインしてあると言われても(笑)。
何とかやっていけるかなと思っていたら、「午後からは皆さんにギャラリートークをやってもらいます。前で芸術作品を鑑賞するための司会者になってください。」という無茶ブリ。見ている人の意見をくみ取って作品の鑑賞をしていくというものです。それを進めていくための進行役をやると。おいおい、どれだけなんだよと感じました。全員が素人ならなんとかやっていけますが、周りは専門家、芸術作品に対しの理解や知識があります。こちらは作品を見ても「どこかで見たことがあるな」と思うか思わないかのレベル。有名な作品であっても「初めて見る」くらいのレベルです。衝撃的でした。知らなくても出来るような進行役だとは思うのですが、さすがに気がひけます。
他の人を見ながらなんとかやっていこうと思っていたら「申し込み順が早いというのはやる気がある証拠だと思う。発表もその順番にしましょう。」と言われました。実は6時申し込み開始で私は7時くらいに申し込んだので(消去法的に)申し込み番号は1番でした・・・。この緊迫した状況で一番最初にやるのか・・・。かなり凹みました。繰り返しになりますが1人だけジャージですから間違いなく場違いです。昼休みは心が折れそうになりながら作品鑑賞のための勉強をしていきました。
結局1人5分程度の発表だったのでなんとかやることができましたが、精神的にはダメージが大きかったですね。こういう意味では鍛えられました。強い心を持ってやっていかないといけないという経験をすることができたのですから。
講習自体は非常に面白く聞くことができました。実際の生徒との関わりにも生かせる部分があります。これは講師の先生の力だと思いますね。他の講習であればどうなのか?地学でバスに乗って地層を見に行くという講習もあります。教科は問わずです。「講習を受ける」ということ自体に意味があって何を学ぶかは関係ない。文科省はこういう現状をどうとらえていくのか?絶対に分ってもらえないでしょうね。
疲労しましたがなんとか免許更新講習は終了しました。あとは「講習が終わりました」という報告をしないといけないですね。これも申請手続きにお金が必要だと言っていました。全く何を目指しているのか分りません。これから先、この講習がいつまで続くのか。55歳になってもやらされる可能性はあるのではないかと危惧しています。どうにかならないものでしょうか・・・。